百薬の長と言えど、よろずの病は酒より起これ
海月
第1話 昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しよう
苦しい……息が出来な……。
「——ぉい!」
「……」
「おい! 坊主! っ大丈夫か?」
(身体が重い、全身痛てぇな…)
「よかった! 生きてる」
(こかぁ《ここは》どこなん? 何で俺こがん《こんな》所に寝転がっとん……?)
俺の人生はそれなりに順調だったと思う。
学生時代のバイト先、昔ながらの
当時、俺はもう社会人だったがそこのコーヒーが好きでよく通っていた。そこでアルバイトをしていた高校生だった彼女に一目惚れをしたのだ。
大人びた雰囲気で芯が強そうな黒い瞳がとても印象的だった。俺は女性経験が乏しく、それでも彼女となんとか仲良くなりたくて、足繫く通いデートにこぎつけた。
何度目かのデートの後、俺は思い切って告白すると彼女は受け入れてくれた。そして、その後彼女が実は高校生で9歳も離れている事実を知った。俺は彼女が大学生位の年齢だと思い込んでいたので年齢まで聞いた事がなかった事に気付いた。
けれど、その時にはもう、どうしようもない程好きになっていたし諦め切れなかった。
それから、彼女が高校を卒業するタイミングで彼女と結婚。周囲には早すぎると反対されるが妻のお腹には既に新しい命が宿っていた。彼女はパティシエになるという夢があったが俺との結婚を選んでくれた。
それから、少し無理をして郊外に家を買った。可愛い娘と俺をいつも支えてくれる妻の為になら、多少通勤時間が掛かろうとも苦とも思わなかった。
それから数年後には2人目の娘が誕生し、休みの日には家族4人で出かけたりした。穏やかで幸せな時間だった。
しかし、30代半ばになると管理職となり残業の日々が続いた。ローン返済とこれからの家族の為にも頑張り時だと思い必死に働いた。残業がない日でも接待などで帰りは毎日深夜近くになる。そんな俺を妻はウトウトしながらもダイニングで待っていてくれた。
「起きとってくれたん? 寝とってくれてええのに……。日中は子供の世話で大変じゃろ?」
「ううん。私が専業主婦で子育て出来てるんは、いっくんのお陰じゃし。いっくんも遅くまで仕事で大変なのに、私が先に寝とくのは……」
そんな事を言われると、これからももっと仕事を頑張ろうという気になる。
しかし、順調に見えていた俺の人生は徐々に
家の電気は全て消され、真っ暗な部屋のダイニングテーブルには飯だけが置かれるようになった。
そこからテーブルに何も置かれなくなるのに、そう時間はかからなかった。
たまに仕事が休みの日に家族と夜ご飯を一緒に食べる日があったが、高校生になった娘2人はご飯中もずっとスマホを弄っている。
「飯の後にしろ。今はみんなで飯を食べよんじゃから」
見兼ねた俺が娘2人に向かってそう言うのだが、返ってくる言葉は
「は? うっざっ。今はこれが普通だし。この昭和が! 父親面すんなし。しかも岡山弁キモッ」
決まって反抗的な言葉だ。岡山に住んでいるのに、岡山弁がきもいとはどういう
妻との会話もなく、俺が言葉を発すればただ睨まれるだけだ。
仕事から帰って半ば倒れるようにソファに寝転び、スマホでweb小説を読んで現実逃避をしていると水を飲みにキッチンに来た妻に舌打ちされる。
自宅なのに俺の居場所はない。なんの為にローンを組んでまで家を買ったのか分からなくなってくる。
結婚当初は妻と「定年退職したらこの家を売って海の近くにペットと泊まれるペンションでもしよう」と話していた頃もあった。料理が得意な妻が宿泊客のご飯とデザートを作り、俺は釣りをして食料を調達したり、ずっと飼いたかった大型犬を飼って店のマスコット的存在にしたり、長年の夢だったDIYにも挑戦してみてもええななんて語り合ったりもした。
今の仕事で培った営業スキルと、インテリアのコーディネートスキルで泊りに来てくれるお客さんを楽しい気持ちにさせてあげたいと熱く語っていた自分が今となっては嘘のようだ。
「田中くん! 飲んどるか?」
今日も、取引先の社長に誘われて高級な料亭に来ている。
コロナ流行に伴い、以前のような形式ばった接待が禁止されているが取引先の社長に誘われたら行かない訳にはいかない。
「はい。ここの料理と日本酒は絶品ですね」
正直、俺は日本酒があまり得意ではない。特に日本酒を飲むと次の日が堪える……。ビールかサワーがいいのだが。
「そうじゃろ? さすが田中くん。この味が分かるとは感心じゃ。最近の若い連中はこんな所に来てもお茶やサワーなどしか飲まん! 私から言わせれば、サワーは邪道じゃ。ちょっと勧めれば、やれアルハラだパワハラだと言ってくる。飲みニケーションと言う言葉を知らんのんか! 田中くんもそう思わんか?」
「そうですよね。以前は酒の席で親睦を深めるのが当たり前でしたからね」
俺からすれば、呪いの言葉に聞こえる……。一時期はその言葉をよく耳にした。本音を言うなら俺も断りたい。しかし、今後の付き合いを考えると断る度胸もなく、今日も飲みたくない酒を口にする。
「ご歓談中失礼します。社長。お車の準備が出来ました」
取引先の社長秘書が
やっと解放される……。
「今日も楽しかった。また一緒に飲もうじゃないか!」
「はい。是非またお願い致します」
俺は料亭の門扉の前で90度の角度までお辞儀をし、社長の車が走り去るのを見送った。
「俺も帰るか……」
車を見送ると緊張感が解け、酔いが一気に回ってきた。
平衡感覚がなく、千鳥足になりながら駅までの道を歩く。
「ちょっと飲みすぎた……。明日が土曜日でよかったわ。この感じだと明日は二日酔いじゃな」
なんとか駅まで辿り着くと、構内アナウンスが流れる。
『まもなく2番線に○○行き電車が到着いたします。白線の内側まで下がってお待ち下さい』
「やべぇ……。これ乗り遅れたらもう次がない」
岡山の終電はとにかく早い。23:30の最終に乗らなければタクシーで帰るほかない。
俺は、駆け足で階段を下りる。ホームに着き白線まで行くと、走ったことにより一気に頭に血が上り、意識が薄れていく。
そのまま線路に前のめりに倒れながら、電車が向かって来るのを眺めていた。
「あ……」
俺の意識はそこで途絶えた。
苦しい……息が出来な……。
「——ぉい!」
「……」
「おい! 坊主! っ大丈夫か?」
身体が重たいし、全身痛てぇ……。
「——うぅ……」
「よかった! 生きてる」
(こかぁはどこなん? 何で俺こがん所に寝転がっとんじゃろ……?)
薄く目を開けると、1人の青年が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「急に上から降ってきたんだぞ。木登りでもしてたのか?」
確か、取引先の社長に誘われて……酒を…飲んだ後、駅で電車を待っていたはず……。
いや! 酔いが一気に回ってきて意識を失いそうになって……。そこに丁度電車が……。
「え……? 生きてる?」
俺は上半身を起こして腕や足、顔を触ってみるが、どこも怪我をした様子もない。
しかし、着ているスーツはやけにダブついている。
(身体が縮んどる?)
手の平を見ると、明らかに小さくなっており、靴はぶかぶかで片方脱げてしまっている。
状況が吞み込めず、混乱していると
「おい。坊主本当に大丈夫か?」
先程からずっと隣にいる青年が心配そうに声を掛けてきた。
「お前、親は? 1人なのか?」
坊主とは俺の事か? 40代後半のオヤジに向かって言う台詞じゃないよな。
「あの……さっきから坊主って誰の事ですかね?」
俺は混乱しつつも青年に訊いた。
「お前1人しかいねぇよ。本当に大丈夫か? 頭打ってどうかしちまったんじゃ……」
どういうことだ? スーツは確かに今日着てたスーツだが、サイズはぴったりだったはずだ。こんなにだぶついていなかった。
俺は、近くにあった池を覗いてみる。すると、そこには子供の姿の俺が映っていた。
確かこの顔は俺が小学校高学年の頃の顔だ。若返っている……。
「あの、ここはどこですか?」
青年に視線をやると、そこで初めて違和感に気付く。
青年が着ている服は映画『グラディエーター』を
(何かの撮影なのか? それともコスプレ?)
「ここはギーニア王国のメンネフェルって街だ。お前は見たところ、この辺のガキじゃないな? 真っ黒の髪に真っ黒な瞳……どこから来たんだ?」
「ギーニア王国……?」
そんな国、聞いた事もない。
「お前、親は?」
「親……は居ません。何故こんな所に倒れているのかも分からないです」
「参ったな。記憶が飛んじまってるのか」
記憶喪失ではないが、とりあえず今はそう説明しといたほうが無難だな。
「——そう……みたいです。すいません」
「こんな森にガキを1人で放置もできねぇし、俺に付いてこい。自分で歩けるか?」
「はい。自分で歩けます。あの、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「ガキがそんな事気にすんな! 記憶がないんじゃ仕方がないからな。あ! 俺の名前はアトゥムだ。坊主、名前も忘れちまったか?」
「いえ、覚えてます。イツキ……です」
「名前は憶えてたか。しかし、イツキなんて珍しい名前だな。聞いた事がない」
俺はアトゥムという青年に助けられ、何が起こったのか状況がつかめないまま付いて行くことにした。
(しかし、国名からして日本語圏内じゃねぇはずなのに、なんで俺はこの青年の言葉を理解できるんじゃろうか? それに、青年にも普通に日本語が通じているみてぇじゃし……)
そんな事を考えていると、すぐに拓けた場所に出た。
森を抜けると、そこは小高い丘になっており、眼前にはどこまでも青く澄んでいる空と、コバルトブルーの海原。
街並みはギリシャのサントリーニ島を思わせるような白壁で出来ている。息を吞むほどの美しい景色が広がっていた。
「すげぇ……」
俺はあまりの美しさに目を奪われた。
「綺麗だろう? 俺も最初見たときはイツキと同じ感想だったよ。元々、俺の故郷は山に囲まれていて、海なんて見た事なかった。冒険者になって初めてここに来た時、ここを拠点に生活しようって決めたんだ」
アトゥムの気持ちと同じ想いを俺も今感じている。
「とりあえず、街まで下りよう。今後のお前の事も皆と相談したいしな」
それから、体感にして10分程歩くと磯の香りが鼻をくすぐる。
父親の祖父母を思い出す。父親の故郷は海の近くで、祖父は漁師をしていた。毎年長期休みの度に祖父母の家に泊りに行き、祖父について漁や釣りを教えて貰った。
近くにサーフショップもあり、そこのオーナーやお客さんにもずいぶん可愛がって貰った。結婚してからはしなくなったが、サーフィンもそこのお客さんに教えて貰い、ハマっていた時期もある。
俺が大学生の頃に祖母が亡くなり、程なくして祖父も後を追うように亡くなってからはそこに行く事もなくなった。
「懐かしいな……」
感傷に浸っていると、アトゥムが1軒の店の前で立ち止まりこちらを振り返った。
「ここだ」
「オプタニオン……」
看板にはそう書かれていた。恐らく店名だろう。俺にはカタカナ表記で見えるが、アトゥムには違う言語に見えているんだろうか。
アトゥムに促され店内に入ると、そこは食堂のようだった。この店内どこかで見た事があるな……。
俺は、必死に脳内メモリに検索をかける。この前の休日に観たアニメでこんな建物が出てきとった。確か異世界転生物のアニメだったような……。
処理能力が鈍ったアラフィフの脳内でやっと1つの結論に達した。
そう! ここは異世界じゃ! 店内には『グラディエーター』もどきで溢れ返っとる。そして、この飾りっ気のない店内。武器を持っている人までおる。
今まで、異世界に行けたら何をしたいかと幾度妄想したか分からない。完全なる現実逃避をしていただけなのだが、まさか自分が本当にしてしまうとは!
それと同時に「家族にはもう会えないのか。あー週明けに上司に全振りされたクレーム対応しなきゃだったのにな」と脳裏を掠める。
「フフッ。フフフフフ」
「イツキ……なんて気持ち悪い笑い方してんだ。本当変わったガキだな」
しまった。あまりの嬉しさについ声に出てしまっとった。しかし、これが喜ばずにいれようか!
ただ、職場と家を往復するだけの毎日……。家族からは空気のように扱われ、妻には舌打ちされ……。上司と部下の板挟みの日々……。ものすごく神経を使う取引先との飲み会、飲みたくもない酒を半ば無理やり体内に流し込んでいく作業。
それら全てから俺は解放された。ただ、1つ文句を言うなら……転移ではなく転生がよかった。
この顔から大人になるとどんな顔になるのか知っているだけに残念で仕方ねぇ。1回モテる人生を経験してみたかったが、そこはもう諦めよう。
きっと、今は10歳前後なはず。異世界の生活を楽しむには十分だ。アラフィフのまま転移じゃなくてまだよかった。
しかし、すごく綺麗な女神様やステータス画面なんて出てこねぇな。チートスキルを貰ったりそんなイベントも一切ねぇ。
まさか魔法がない世界なのか? 色々と思ってた異世界ライフとは違うが、あの地獄の日々から逃れる事が出来ただけでも、ありがたいと思わないと罰が当たりそうだ。
右も左も分からんけど、言葉が通じるだけマシ……そうじゃわ。言葉……もしかして文字も書いたり読んだり出来るんじゃろうか?
「あの、アトゥムさん。お伺いしたい事があるのですが……」
「どした? それより、適当に食うもん頼んだけどお前好き嫌いとかないよな? まぁそんな我が儘言う奴には飯食わせてやんねーけどな」
「あ、はい。なんでも食べれます。お気遣いありがとうございます」
「それで? 訊きたい事ってなんだ? あ! それと、アトゥムさんは気持ち悪りぃからアトゥムな。それとその妙に丁寧な話し方もやめろ!」
「う、うん。分かった。あの、この国の言語ってなんですか?」
「は? お前今この国の言葉で話してるのに知らないのか? 本当おかしな奴だな」
「身体は覚えとるみたいでちゃんと理解できるし、話せるみたいなんじゃけど……。それ以外が記憶がまだちゃんとせんくて」
「あー成程な。この国の言語はポリマティス語だ。この国だけじゃなくて周辺諸国はだいたい同じ言語だな。所々国によって違ったりするが、大きくな違いはないからだいたい通じる。だから、イツキも話せるって事は故郷がこの言語圏内だろうな」
「そうなんじゃ。ありがとう。そうかもしれん……。けど、どこなのか全然思い出せんくて」
「まぁ、焦るこたぁねぇよ。ゆっくり思い出しな。とうちゃん、かあちゃんが心配してるかもしれないけど、焦っても仕方ねぇからな。でも、お前のその服変わった服だよな。生地も見た事ねぇし、そもそもそんなダボダボで歩きにくくないか?」
(アトゥムはこれが正しい着方だと思っとるんか……。そんな馬鹿な。こんな動きにくい服はねぇじゃろ)
「動きづれぇし。それに、暑ちぃ。アトゥムみたいな服はどこで買えるん?」
「今はもう服屋は閉まってるから、明日連れてってやるよ。それよりお前、金持ってるのか? それと、お前の話し方、イツキが住んでいた地域の訛り《なまり》なのか?」
訛り《なまり》……。岡山弁の事か? こっちの言語ではどんな風に聞こえてるんじゃろ? それより、金がなきゃ何も買えんよな。財布もスマホも全部鞄に入れとったけん、全部あっちの世界に置いて、俺だけがこっちの世界に来たゆう事なんじゃろうな。
「たぶん。俺が住んでた地域の方言じゃと思う。それよりも、お金はどうやったら稼げるん?」
「イツキの年齢で話すと何かかわいいな。その年寄り臭い喋り方」
「年寄り臭いんかな? それよりお金を稼ぐ方法ってなんかあるん?」
「あー……それな。子供に出来る事は限られるだろうな」
そこへ、頼んでいた料理が運ばれてきた。香辛料のいい香りがして、そこで初めて自分は腹が減っていたのだと気付いた。
「アトゥム! その子はどこの子? 随分変わった髪の色と服装だけど」
料理を運んできてくれた女性がアトゥムに話し掛けた。
「あー、後でおばちゃんに相談しようと思って連れてきた。こいつ、森で会ったんだけど記憶がないみたいで。放置する訳にもいかないしな」
「ギナーさんの事『おばちゃん』なんて言ったらまた怒られるよ! 見たところアスィーラと同じ位の年齢に見えるけど」
俺を置いて2人で話し始めた。知らない人物の名前が次々に出てくる。半ば呆けた顔で2人の会話を聞いていると、アトゥムがやっと俺の存在を思い出してくれたらしく、紹介してくれた。
「あ! イツキ、こいつはここで働いてるネスリーンだ。ネスリーン、こいつはイツキ」
「イツキくんだね。私はここで働いてるネスリーンだよ! よろしくね」
「僕はイツキです。よろしくお願いします」
「何があったか分からないけど、私でよかったら力になるからね。心細いのにそんな小さな身体でよく我慢したね」
(身体は小さいが、中身はオッサンじゃけぇな……)
と言う訳にもいかず、営業スマイルで流した。
「今日はお客さんも少ないし、早めに店閉めると思う。私からもギナーさんに簡単に説明しとくよ」
「あぁ。そうして貰えると助かる」
グーキュルル――グルグル――
「おーおー腹がえらいイキってんなー。そんなに腹減ってたのか! ちょっと辛いかもしれないけど、しっかり食えよ」
そうアトゥムに促され、先程ネスリーンが運んでくれた料理に手を伸ばす。
幸い、俺は香辛料を使った料理は好きだったので、躊躇いなく口にした。
「うん。美味し――ゴホッ!ゴホッ! くぁwせdrftgyふじこlp……!」
「おい! 大丈夫か? ほら、早く水飲め!」
アトゥムが差し出してくれたグラスを手に取ると、一気に飲み干した。
(辛いなんて次元じゃねぇ……。完全に
水を飲みほしてもまだ喉が痛くて、息するにも
「やっぱ、ガキには少し刺激が強すぎたか。ここの料理はだいたいが辛いんだよ。俺もここに初めて来た時はイツキと同じだったなー」
「ヴゥ。そ……それ……を先……に……」
(ダメじゃ。まだ喉が痛くて上手く喋れん)
悶え苦しむ俺の姿を見て、アトゥムは愉快そうに笑っている。
「この料理が食べれたら一人前だな」
そう言って、木で作られたジョッキをグイッと一気に傾ける。見る感じ、アトゥムは俺の娘たちと大して変わらない年齢に見える。
「この国の成人は何歳からなん?」
特にアトゥムに質問をした訳ではなかったが、口をついて出た。
「イツキの所は何歳……って記憶がないんだったな。ギーニア王国では15歳で成人だな。だから、酒も飲めるし博打だって出来る。なんなら結婚だって出来るぞ。イツキも後4,5年したら好きな子と結婚できるぞ」
15歳で結婚? とんでもねぇな……。
その後運ばれてきた料理は最初に食べた料理と比べて、辛さも控えてあったのでお腹いっぱい食べる事が出来た。きっと、俺が悶えているのに気付き辛さを調節してくれたのだろう。一人でホールを回って忙しくしているのに、なんて出来る娘なんだ。
店に来ていた客が1人、また1人と会計を済ませて帰って行く。そろそろ店じまいの時間なのだろうか。
「アトゥム! 外に出してる看板閉まっておいて」
厨房の中から、先程の女性店員とは違う声が聞こえてきた。
「はいはい。全くこっちは客だってのに、人使いの荒いおばさんだぜ……」
アトゥムはボソッと呟いた。
「まだ、ババアと呼ばれるには遠い年齢だって何回言わせるんだ!」
「げ……。注文する時は何回呼んでも返事しねぇくせに悪口だけは地獄耳かよ」
すると、厨房からフォークが飛んできて、アトゥムの頬を掠める。
「こわ……。ちゃっちゃと看板取ってこないと次は包丁が飛んできそうだな」
アトゥムは重い腰を上げると、看板を取り込みに行った。
ネスリーンは客が食べた食器をテーブルから下げ、1つ1つテーブルを丁寧に拭くと椅子を上げていく。
俺もずっと座ってるのが居たたまれなくなり、ネスリーンの真似をして椅子をテーブルに上げていく。
「イツキくん手伝ってくれるの? いい子だね。ありがとう」
ネスリーンは俺の目線の高さまで腰を落とすと、俺の頭を撫でる。
オジサンは女性への免疫力が無いため、どういう反応が正解なのか分からず困る。
「あ、ありがと……」
「イツキくんはお利口さんだね」
顔から火が出そうになっているのをごまかす為、俯き加減で掃除の続きをする。視線を感じ顔を上げると、アトゥムがニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「イツキは年上好きかぁ? ませガキめ。でも、悪い事は言わねぇ。ネスリーンはやめとけ。ガサツで色気なんかねーぞ」
言った瞬間、今度は雑巾がアトゥムの顔めがけて飛んできた。振り返るとネスリーンが物凄い形相で立っている。
(どこの世界でも女性は怒らせんほうがええんじゃな……)
一通り片付けが終わったらしく、厨房から30代前半の女性と女の子が1人出てきた。
「ギナーさん! 仕事終わりにごめんな。お前も母ちゃんの手伝いしてたのか。偉い偉い」
そう言って、アトゥムは女の子の頭を撫でてやる。
「この子がさっきネスリーンが言ってた子かい?」
「夜分遅くにすみません。僕はイツキと申します」
俺は、その女性と女の子に向かい90度のお辞儀をする。
「なんてしっかりした子なんだろうね。初めまして。私はこの店を経営してるギナーだよ。この子は娘のアスィーラ。イツキと同じ年ごろだから仲良くしてやってね」
女の子は恥ずかしいのか、ギナーと名乗った女性の陰に隠れて左半身だけを覗かせている。俺は極力怖がらせないように特上の営業スマイルを繰り出した。
「アスィーラさん。初めまして。イツキと言います」
「……」
「よければ仲良くしてくださいね」
「……その笑い方……気持ち悪い……」
それだけ言うと、今度は完全にギナーの後ろに隠れてしまった。握手を求めて差し出した手は行き場をなくした。
「こら! アスィーラ! そんな言い方ないだろ? イツキに謝りなさい」
ギナーは自分の脚にしがみついているアスィーラを剝がそうとしている。
「やだ! だって本当の事だもん」
「ははは! イツキ振られて残念だったなー」
(泣きそうなんじゃけど……)
「ごめんねイツキ。この子男の人に対して人見知りがすごくて」
ネスリーンがすかさずフォローしてくれるが、女の子に対してはガラスハートのおじさんはちょっとすぐには立ち直れそうにない。
「ギナーさん。アスィーラさんを怒らないであげてください(これ以上言われたら俺の心がバラバラに壊れそうじゃけん………)」
「ごめんね。きっとすぐに慣れると思うんだけど……」
ギナーは申し訳なさそうに、眉尻を下げる。
「それよりも、アトゥムはこの子どうしようと思ってるの?」
ネスリーンが空気を読んで話題を変えてくれた。
「あぁ……。こいつ、自分の名前しか覚えてないみたいで。それに金もないらしくて。かと言って働いて暮らしていくにはまだ小さすぎるからなって思って。当面は俺が面倒見てもいいけど、日中がな。俺の仕事に連れて行く訳にもいかねぇーし」
(確かに、生きていけない事もないけどこの国の常識が分からんからなー。日本とじゃ全然違うじゃろうし)
「あんたが子供の面倒? 馬鹿な事言うんじゃないよ。自分の事もまともに出来ないやつが! 子供が子供の面倒みるようなもんさ!」
アトゥム酷い言われようじゃな……。確かに、さっきも言わなくていい事をわざわざ言って怒らせてたもんな。
「イツキさえよければ、ここに住んで店を手伝ってくれたら助かるんだけど。もちろんその分の賃金は出すよ」
ギナーは俺に向かい、そう提案してくれた。
「そんな。住まわせてもらえるだけでもありがたいのに、お金なんて受け取れません!」
「子供がそんな変な気を回すもんじゃないよ。家に子供はこの子だけだし、この子も寂しい思いしなくて済む。それに、男手がないからおばさんとしてもイツキが住んでくれると心強い」
「俺も様子見に来てやるし、心配すんな」
「そうと決まれば、お風呂に入ってその動きにくそうな服をどうにかしないとね。じゃあ、今日は3人で一緒に入ろうか」
ギナーはとんでもない事を言い出した。
「いや……俺……じゃないぼ、僕は1人で入りますので。大丈夫です」
「子供が何恥ずかしがってんだい? ほら行くよ」
ギナー親子は厨房の奥に住居スペースがあるらしい。
「いや、本当に……ちょっとギナーさん?」
ギナーに腕を掴まれ、力技で奥に連れて行かれそうになるのを踏ん張る。
「今日はアトゥムさんの家に泊ろうかな……」
アトゥムに助けを求めたが、アトゥムは親指をびしっと立て満面の笑みで帰って行った。
(昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しよう―—byアルベルト・アインシュタイン――)
こうして、俺の異世界での生活が始まった。
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