第十二章 星降る丘の聖域と見えざる守り手

「星見の丘」への道のりは、予想以上に過酷だった。麓の寂れた集落までは古いバスが通じていたが、そこから先は、地図にも載らない獣道のような山道をひたすら登るしかなかった。数日分の食料と装備を詰め込んだバックパックが、ずしりと肩に食い込む。


「本当にこんな場所に、何かあるのかねえ」

息を切らしながら、溝呂木さんがぼやく。だが、彼の目には、単なる仕事仲間に対する義理だけではない、どこか個人的な執念のような色も浮かんでいた。彼もまた、この不可解な事件の先に、過去の未解決な何かとの決着を見ているのかもしれない。


深い森を抜け、視界が開けた時、私たちは息を呑んだ。

目の前に広がっていたのは、なだらかな丘陵地帯。そして、その頂には、まるで夜空のかけらを散りばめたかのように、無数の瑠璃色の羽根が陽光を反射してきらめいていた。空気は麓とは比べ物にならないほど澄み渡り、羽根から放たれる清浄な香りが、疲れた心身を優しく包み込むようだった。


「……ここが、星見の丘」


丘の頂上には、古文書の記述通り、七つの巨大な石が螺旋状に配置され、その中心には鏡のように磨かれた黒曜石の祭壇が鎮座していた。栞さんが悪夢の中で見たという「七つの螺旋」と「鏡面の祭壇」そのものだ。そして、驚くべきことに、瑠璃色の羽根は、地面から湧き出すように、あるいは空から静かに舞い降りるように、絶えずその数を増やしているように見えた。


私が祭壇に近づき、そっとその表面に触れた瞬間、強い眩暈と共に、鮮明なイメージが脳裏に流れ込んできた。それは、倉持栞さんが見ている悪夢の光景だった。暗く冷たい石造りの回廊、どこまでも続く螺旋階段、そして、彼女を執拗に追い詰める、実体を持たない黒い影――。栞さんの恐怖と絶望が、まるで自分の感情であるかのように、生々しく伝わってくる。


「うっ……!」

思わず膝をつきそうになる私を、溝呂木さんが慌てて支えた。

「おい、大丈夫か、嬢ちゃん!」

「ええ……少し、羽根の力に同調しすぎたみたいです」


この場所は、瑠璃色の羽根の力が最も凝縮されている。その影響で、栞さんの精神とのリンクが、これまでになく強固になっているのだ。そして、私は確信した。栞さんを悪夢に引きずり込んでいる「影」は、この「星見の丘」と深く関わる、何か古の存在なのだと。


その時、祭壇の向こうの木立が、微かに揺れた。

獣ではない。人間の気配でもない。それは、もっと希薄で、捉えどころのない……しかし、明確な意志を持った「何か」。


「誰だ!」溝呂木さんが、懐からスタンガンを取り出し、身構える。


木立の中から、ゆっくりと姿を現したのは、鹿のような角を持つ、人間と獣の中間のような姿をした存在だった。その身体は、まるで霧や霞でできているかのように半透明で、周囲の風景が透けて見える。そして、その存在が纏う雰囲気は、昨夜アパートの窓に残された爪痕の主を想起させた。だが、敵意や殺気といったものは感じられない。むしろ、どこか悲しげで、何かを訴えかけるような眼差しを私たちに向けていた。


「……あなたは、この丘の守り手なのですか?」

私が問いかけると、その存在は言葉を発することなく、ただ静かに頷いたように見えた。そして、おもむろに片方の手を挙げ、祭壇の中心を指し示す。


祭壇の中心には、他の場所よりも一際大きく、そして強い輝きを放つ瑠璃色の羽根が、まるでそこに封じ込められているかのように突き刺さっていた。


守り手は、再び私を見つめ、今度は栞さんが悪夢の中で見ていた石造りの回廊と、そこに蠢く黒い影のイメージを、直接私の脳裏に送り込んできた。そして、その影が、祭壇に突き刺さる瑠璃色の羽根に手を伸ばそうとしている光景。


「あの影が……あの羽根を狙っている……?」


守り手は、再び頷いた。そして、次に、その影が羽根を手にした瞬間、世界が闇に包まれ、無数の悲鳴が木霊する、恐ろしいビジョンを見せた。


瑠璃色の羽根は、清浄な力を持つと同時に、使い方を誤れば、あるいは悪しき者の手に渡れば、世界に災厄をもたらす危険な力でもある。栞さんを悪夢に引きずり込んでいる影は、この「星見の丘」の聖なる力を我が物にしようと企む、古の邪悪な存在なのかもしれない。そして、栞さんは、その邪悪な存在が羽根に近づくための「通路」として利用されている……。


「どうすれば、栞さんを救い、あの影を止められますか?」


守り手は、おもむろに自身の胸元を指さした。そこには、瑠璃色の羽根で作られた小さな首飾りのようなものが輝いている。そして、次に、私の胸ポケット――お守りとして入れていた瑠璃色の羽根――を指した。


その意味は、明確だった。この丘の清浄な力、瑠璃色の羽根の力を正しく使い、影の侵入を阻むこと。そして、そのためには、私自身が、羽根の力とより深く同調し、それを制御する術を身につけなければならない。


それは、時任が言っていた「魂を試す旅」の始まりを意味していた。


守り手は、ゆっくりと後退り、再び木立の中へと姿を消した。まるで、私たちに試練を与え、その結果を見極めようとしているかのように。


「……とんでもないことになってきたな」溝呂木さんが、額の汗を拭いながら呟いた。「嬢ちゃん、一体どうする?」


私は、祭壇に突き刺さる瑠璃色の羽根を見つめた。その羽根は、美しくも恐ろしい輝きを放ちながら、私に決断を迫っている。


「やるべきことは、一つです」


私は、胸ポケットから自分の瑠璃色の羽根を取り出し、それを強く握りしめた。


「この丘の力を借りて、栞さんを悪夢から引きずり出す。そして、あの影の正体を突き止め、その企みを阻止するんです」


それは、これまでのどの事件よりも危険で、そして困難な挑戦になるだろう。だが、もう引き返すことはできなかった。

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