第3話 ランチ

 時間が過ぎ、昼休みになった。


 この学校には大きな食堂があり、全品五百円以下でコスパが非常に良いため大抵の生徒はそこで昼食を済ませる。もちろん俺も食堂で昼食をとる。


 先ほどまで椅子に捕まっていた生徒たちは、混雑が予想される食堂に一目散に向かう。俺も財布を片手に教室を出ようとしたが、ある生徒が気になって入り口で止まってしまった。


 未だ席から離れようとしない犬井崎だ。クラスメイトが出払った後も勉強を続けていた。思えば、いつも授業が終わった後の休憩時間も次の授業の予習だったり、復習だったりをしていたな。いくらなんでも勉強の虫過ぎないか?


 もちろん、それは彼女の勝手だし俺が口を出すこと自体が無駄で余計なお世話でしかない。けど………息抜きも大事だ。


「犬井崎」


「っ!な、何よ」


 呼びかけると犬井崎は俺の声にぎょっとし、不機嫌そうに眉根を寄せた。だが俺はそんなのお構いなし。


「食堂まで飯食いに行かない?」


「……何故?」


「俺いつも一人で食べてるからさ、せっかくなら誰かと食べたいと思って」


「なら私じゃなくてもいいじゃない。私である必要は?」


「隣同士だからじゃダメか?」


 犬井崎は黙り込むと、断る口実を考えたようでバッグの中を漁り始めた。


「悪いけど、私はお弁当持ってきているから。他をあたってちょうだい」


「なるほど……そうくるか」


 仲良くもないクラスメイトに対して、ここまで執着してしまっている理由は俺ですらハッキリしていない。彼女よりも付き合いが良く、一緒にいて楽しいと思う生徒は探せばいくらでもいるはずだ。


 でも、理由なんかいらない。この心は直感的にこの子と仲良くなりたいと願った。


 それだけで十分だろ。


「そうか。じゃあ、仕方ないか」


「ええ。それじゃ、楽しん……っ⁈」


 俺は財布をスラックスのポケットにしまえば、自分の席ではなく犬井崎の座っている一つ前の席に座った。犬井崎は分かりやすく動揺すれば、俺は背もたれに腕をまわし、上半身だけ捻って後ろを向いて彼女に話しかける。


「ああ。俺は俺で楽しませてもらうから、犬井崎もランチを楽しんでくれ」


「はぁぁぁあ⁈私が遠回しに断っていることが分からないわけ?」


「そうだったのか。だったら初めからそう言ってくれればいいのに」


「え、馬鹿なの?あなたやっぱり馬鹿なの?とんでもないほど馬鹿なの?」


「なかなかひどいことを言うな」


 この状況の綺麗な終わり方が一向に読めないし、一体どういう方向に進んでいることすら把握できない。


 それに、ここで本格的に嫌われて口を聞いてくれなくなるのは本末転倒だ。


「というか、あなたお昼はどうするの?食堂に行くつもりみたいだったけど」


「あ〰〰。まあ、今日くらいは食べなくてもいいや。犬井崎はあんまり食堂に行きたくなさそうだし、ここでお話ししようぜ」


「……大丈夫なの?」


「平気平気。俺めっちゃ小食だし………あ」


 空腹状態を懸念する彼女に事も無げに取り繕っていると、空気を読まずに俺の腹がきゅるぅ~と鳴る。


 お互いフリーズし、言いようのない雰囲気になった。俺は目線をそらし、そこから逃げた気でいる。


「……ああもう。分かったわよ」


 それに痺れを切らした犬井崎はお弁当を持って立ち上がる。


「えっと~」


「ほら、食堂に行くなら混む前に移動しないと」


「お、よっしゃ。行こうぜっ」


 俺は勢いよく立ち上がり、犬井崎の横を歩き始める。


 間違いなく面倒な奴だと思っているだろう。静かに食べたかったはずだし。それなら、せっかく付き合ってくれている彼女を楽しませるのが俺の役目だ。


 それにしても意外だな、俺がこんな選択肢をするなんて。この学校に入るだけで満足していたがそれだけじゃやっぱりダメみたい。



『良かったわね』



「えっ?」


 誰かの声が聞こえたような気がして振り返った。でもそこには誰もいない。


「どうしたの?」


「今誰かの声が聞こえなかったか?」


「そんな声聞こえなかったけど……疲れているの?」


「はははっ。そうかもな」


 そんな冗談を交えつつ、俺たちは食堂に向かった。



 食堂に着けば、すでにほとんどの席が埋まっており空いている場所を探すのに難航した。犬井崎には先に席に座っておいてもらい、俺は食券を買いに行く。


「昨日はカレー食べたから、今日はこのサバ定食にするか」


 二十種類以上もメニューがあるため、毎日来たとしても飽きは来ないだろう。それに季節限定のメニューもあるそうなので、そういうのに弱い俺にとって楽しみでしかない。


 犬井崎の元に戻ると、彼女は何を不思議に思ったのか俺のサバを見ると首を傾げた。


「……サバ?」


「サバだな」


「サバ好きなの?」


「いろいろなメニューがあるからな。ローテーションして毎日別の食べてるんだよ」


「年頃の男の子なんてお肉ばっかり食べるものだと思っていたけど、あなた結構面白い人ね」


「俺のことを変人扱いするのやめてくれ」


 確かにサバ定食を食べている人なんて一日に一人見ればいい方だけれども、毎日ランダムに選んで食べている奴もいるだろう。それだけで面白い人認定してくるのはかなり酷いな。


「それに、愛花君って結構話せる人なのね」


「どうゆうこと?」


「目に掛かっているほど長い前髪だし、愛花君の声って一度も聞いたことがなかったからそっちの人だと思っていたの」


「そっちの人?」


「根暗って意味」


「え、根暗に見える?」


「見える」


「嘘……この髪型流行ってるんでしょ?めっちゃ似合ってると思うし」


「やっぱり自分のことを客観視出来ていないのね」


「もう俺にダメージを与えるのをやめろ。明日から来なくなったらどうするんだ」


「そしたら勉強がより捗るし、ライバルも一人減るから一石二鳥じゃない」


「血も涙も無ぇな」


 彼女の中で俺はいまだに友達ですらないようだ。


 泣いたふりをしても犬井崎は目もくれずに持ってきた弁当を食べ始めた。手を合わせて小さな声で「いただきます」と呟く姿はなんとも微笑ましくて口角が上がってしまう。


 俺も食べ始めれば生徒たちの喧騒だけが俺たちを取り巻く。会話はなくても素敵な時間であり、無理にでも続ければそこで終わってしまうほど繊細な関係だ。


「なあ」


「何?」


「犬井崎は運命の神様を信じるか?」


「そんな非科学的なものを信じるわけないでしょ?愛花君ってもしかしてサンタクロースを信じているタイプ?」


 またこいつは……みたいな呆れた顔をする。


 犬井崎は俺と真反対なようで、そういったことにロマンを感じたりしないタイプのようだ。まあこの辺は話していると大体予想はついていたが。


「昔はな。枕元にお菓子と手紙を置いて朝になればそれが無くなってた時は、本当にいるんだって信じてた」


「何それ。可愛いわね」


 言葉通りの意味かそれとも馬鹿にしているのかギリギリ分からないラインの言葉が返ってきた。


「まあ基本的には神なんて俺も信じてないけどな」


「じゃあどうしてそんなことを聞いたのよ」


「運命っていうのは予め決まっているのか、それともその人の選択で変わり続けていくのか興味があったから」


「哲学みたいね。でも、そうね………」


 箸を置き、真剣に考えだす。思いのほか彼女が興味を示してくれるテーマで良かった。いや、犬井崎のようなお堅い子にはまずパーソナルな話よりかは、考えることのできるネタのほうがいいのかもしれないな。


 少しすると、右下を向いていた彼女と目が合った。


「運命は予め決まっている。それは神が決めているのではなく、周囲の環境に依存している。だから私もあなたもここにいるのが運命だったのよ」


「なにそれエモッ!」


 まさかそんな痺れる言葉が出てくるとは。胸を打たれた俺は無駄に大きな声でリアクションしてしまい、慌てて口に手を持っていく。


 だがそれは杞憂だったようで、俺の声は喧騒によってかき消された。


 はずだった。


「あれっ、愛花くん?」


「野々井?」



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