第8話 爆ぜる、運命――ドゥームボマー

 広大な祭壇の間に束の間の静寂がおりる。

 アルバスたちは既に遠く、健太と、圧倒的な存在感を放つ魔王アスタロトだけが残されていた。健太はついに自由を手に入れたが、それは目の前の絶望的な状況とのトレードオフだ。

 状況は何も好転していない。


「ククク…さて、気分はどうだ?」


 アスタロトは、紅い瞳を愉しげに細め、健太を見下ろした。その声には、絶対的な捕食者の余裕と、獲物を弄ぶかのような残酷さが滲んでいる。

 

「あの者たちは、貴様を贄として我に差し出した。ならば、どうする?大人しく我の餌食となるか?それとも、少しは我を楽しませてくれるのか?」


 アスタロトの言葉は、健太にとって死刑宣告にも等しかった。

 逃げ場はない。

 アルバスたちに見捨てられた今、助けを求める相手も――いや、彼らが健太を助けることなどありえない――健太はあの非道な連中にわずかにでも縋ろうとしたことを後悔する。

 

(何を期待してるんだ、俺は……あいつらは、俺を捨てたんだ。いいように使って、最後は責任を押し付けた……誰があんな奴らに助けを求めるかよ)

 

 だがいずれにせよ、戦闘能力など皆無の自分が、魔王と呼ばれる存在に立ち向かう手段はない。


(…死ぬのか…? こんなところで…? やっと、あの地獄から解放されたと思ったのに…)


 恐怖が全身を支配しようとしていた。

 体が重い。

 神経を流れる意志が鉛のようにどろどろになって、手足に行き渡らない。

 どう動けばいいか、わからない。

 健太は絶望の淵に立っていた。

 進めば闇。退くも闇。

 だがその脳裏に、前世のブラック企業での過酷な日々、そしてアルバスたちに奴隷として虐げられた屈辱の記憶が、今、堰を切ったように蘇った。

 理不尽な命令、

 人格否定、

 暴力。

 そして、最後にゴミのように捨てられたこの瞬間。


(ふざけるな…!)


 それは怒りだった。

 心の奥底から、燃え上がる憤怒。

 それは、死への恐怖を焼き尽くすほどの強烈な感情だった。

 このまま、何もせずに殺されるなんて絶対に許せるものか。

 たとえ万に一つも勝ち目がないとしても――


「……俺は……俺は、まだ死ぬわけにはいかないんだ!」


 健太は、震える足に力を込め、魔王アスタロトを睨みつけた。

 美しき絶望。

 それが自分に死をもたらす存在だと理解していても、なおも惹かれるその紅き瞳。

 その瞳を、真っすぐ見据える。

 諦念は捨てる。

 どうせ一度は死んだのだ。

 絶望などするだけ無駄。

 最後の抵抗を試みようとする健太の瞳には、燃えるような意志の光が宿っていた。


「ほお、面白い……」


 アスタロトは、健太のその予想外の反応に、わずかに目を見開いた。そして、すぐに興味深そうな、どこか面白がるような笑みをその美しい唇に浮かべる。


「その眼、気に入ったぞ、小童。絶望に染まらず、まだ抗うか。良い、良い。その心意気や良し。では、妾を楽しませてみよ!」


 妖艶なる魔王はその場で優雅に腕を組み、まるで健太の「最後の足掻き」とやらを観賞するかのように、余裕綽々の態度で微笑んだ。

 絶対的な強者故の余裕。

 だが、今はその圧倒的な力の差が勝機となる。

 

(考えろ、考えるんだ!)

 

 健太の頭脳は、極限の集中状態にあった。

 使えるものは何か?

 【素材無限生成】スキル。

 生成できるものは限られている。ほとんどが冒険で使う道具の一部。

 小石、ロープ、水……

 だが、この魔王相手に、小石をぶつけたところで何になる?

  体内に石を詰める?水で窒息?ロープで動きを封じる?

  その辺のモンスターならいざしらず、だ。

  この相手は格が違いすぎる。

  下手なことしたら、瞬時に焼き尽くされるのが関の山。

  一撃。

  一撃が勝負だ。

  意表を突け。

  そして、そのまま一気に畳みかける――

 

(でも、どうやって……)


 そこで健太は閃いた。

 この地獄の生活の中で磨いた自分の力。

 今だからこそ、できることがある。


(プロパティの上書き…! )


 健太の脳裏をこれまでの経験が駆け巡る。


(ステーキ味のリンゴ…! あの時、俺はリンゴの『構造』に、ステーキの『味』というプロパティを付与した…!)


 物質の「構造」と「性質(プロパティ)」。

 このスキルは、ただ素材を生み出すだけではない。

 その本質は、オブジェクトの情報を読み解き、書き換えることにある。

 有効なプロパティ、例えば「爆発」とか――


(…そうだ、アルバスたちの荷物の中に、確か「火薬」があったはずだ!)


 健太は思い出す。

 ダンジョン攻略のため、あるいは障害物を破壊するために、【銀翼の鷹】は少量の火薬を持ち運んでいた。それは普段、ヴァノスあたりが乱暴に扱っている代物だ。

 健太も荷物整理の際に何度か目にし、その危険な匂いや、ざらついた黒い粉末の感触を記憶していた。何度か複製したこともある。

 あの火薬が持つ「爆発」という性質を、スキルで読み取り、何かに転写コピペすれば……。


(だけど、なにに?石にコピペできないことは実験済みだ……いや、待てよ……)


 健太は、奴隷として酷使されていた日々、夜中にこっそりとスキルの実験を繰り返していた時のことを思い出す。価値のあるオブジェクト、例えば宝石や貴金属そのものを「複製」しようとすると、【権限エラー】が表示された。しかし、それらの「構造」だけを模倣し、価値を持たない「偽物」として生成することなら、何度か成功していたのだ。

 もちろん、それはただのガラクタで、何の役にも立たないものだったが――1つだけ、奇妙な特性を持っていた。

 構造だけ複製された「偽物」はどんなプロパティでも1つだけ転写コピペするこができたのだ。

 空のオブジェクト。

 たいして役に立たないと思っていた。

 だが、今この時だ。

 大量に複製して爆発させれば、魔王に一矢報いることができるかもしれない。

 問題は、なにを複製するか、だ。

 幾つか使えそうな素材は生成リストに保存されている。だが、そんなものを急に生成したら警戒されるに決まっている。

 使うなら、今この場に存在していて、魔王が意識していないもの。

 それでいて、複製不可なもの――そんなものが――あった。

 健太の目に、それらが映る。


(大量の金貨…! あれだ!『素材』として、その『構造』を読み取り、空っぽのオブジェクトを作る!そして、荷物の中の『火薬』から『爆発』のプロパティを転写コピペする…!)


 火薬の正確な化学組成など健太には分からない。

 しかし、プログラミングと同じだ。

 ライブラリの詳細な実装を知らなくても、その機能を「呼び出す」ことで結果を得られる。

 重要なのは、対象オブジェクトへの「アクセス」と、明確な「指示」。

 "そこ"に"それ"が"ある"という確かな認識だ。


「……ああ、魔王アスタロト!」


 健太は、芝居がかった仕草でアスタロトに話しかけた。

 

「最後に…一つだけ、お願いがあります!」

「ほう、命乞いか? それとも、故郷に手紙でも書きたいか?」


 アスタロトは健太が何か企んでいることに気づいていたが、そ知らぬふりで答える。


「いえ…ただ、最後に一目、あの財宝を見せていただけませんか? あれほどの財宝、見たことがありません。死ぬ前に、もう一度目に焼き付けておきたいのです」


 健太は、必死に平静を装い、懇願するような声を出す。

 アスタロトは、健太のその見苦しいとも言える願いを聞いて、クツクツと喉を鳴らして笑った。


「ククク…面白い。死を前にしてなお、金銀財宝に目が眩む、か。良いだろう、許す。思うがままにしてみよ」


 アスタロトは、健太の願いをあっさりと聞き入れた。彼女にとって、それはほんの気まぐれ、あるいは暇つぶし程度のものだったのだろう。

 健太が何を企んでいたとしても、所詮は悪あがきだと思っている。

 だが、この魔王の驕りこそが隙なのだ。


「あ、ありがたき幸せ!」


 健太は、アスタロトに促されるまま、震える足で宝箱へと近づいた。

 金貨が眩い光を放っている。

 その金貨の山に手を伸ばし、数枚の金貨を掴み取った。

 そして、背負っている荷袋にアスタロトから見えないように手を入れ、中の「火薬袋」にそっと触れる。


【実行: オブジェクト構造解析 > 対象: "金貨" (接触オブジェクト)】

【実行: プロパティ情報参照 > 対象: "火薬" (接触オブジェクト, 荷袋内)】

【情報: 主要プロパティ: "燃焼性(極高)", "衝撃反応性(高)", "ガス圧生成(爆発的)", "安定性(低)"...】


(よし…金貨の構造と、火薬の爆発プロパティ…読み取れた…! 問題は、これを組み合わせられるか…!)


 拾った金貨を握りしめ、手のひらのうちで複製する。

 

【警告/エラー:複製不能オブジェクト】


 だが、健太は複製を繰り返す。可能な限り連続し、エラーが表示される前に、さらにその前に複製を割り込ませていく。

 

【警告/エラー:複製不能オブジェクト】

【警告/エラー:複製不能オブジェクト】

【警告/エラー:複製不能オブジェクト】

【警告/エラー:複製不能オブジェクト】

【警告/エラー:複製不能オブジェクト】

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 

 そして、時間にして数秒。

 数十回に及ぶ複製の結果。

 

【実行:複製>不明なオブジェクト"??�?"】


 ソレが生み出された。

 見た目は金貨、しかし、形だけ。

 不明なオブジェクト【??�?】。

 要するに偽金貨だ。


(成功だ!)


 健太は、ありったけの集中力で「爆発」という現象をイメージする。一瞬の閃光、轟音、そして全てを吹き飛ばす衝撃波。

 火薬から読み取った属性プロパティを、偽金貨に転写コピペする。


【実行: テンポラリオブジェクト生成 > ベース構造: "金貨", プロパティ付与・上書き: "指向性爆発(中規模, 火薬由来)", "遅延トリガー(任意設定)"】


 システムメッセージが健太の視界に流れる。

 手に握られた数枚の金貨が、微かに、しかし確実に熱を帯びるのを感じた。

 これも成功だった。

  見た目はただの金貨だが、その実態は、健太のスキルによって生み出された「爆弾」だ。


「魔王様、ありがとうございました。これで、心残りなく……」


 振り返る。

 アスタロトはまだ油断している。

 健太は、その「偽金貨爆弾」を投げつけた。


「なに?」


 アスタロトは健太のその行動に、一瞬だけ虚を突かれたような顔をしたが、すぐに嘲りの笑みを浮かべた。


「フン、何をするかと思ったら……本当にただの悪あがきか……」


 アスタロトは避けさえしない。

 彼女の強大な魔力によって自動的に展開される防御フィールド「欲望の炎」が揺らめいた。

 それは、あらゆる物理的、魔法的攻撃を無効化する、魔王の絶対的な守り。

 たかが金貨など触れる前に蒸発する。

 しかし、健太の狙いはそこにあった。


(かかった!!)


【実行: プロパティ"遅延トリガー" > 発動条件: "魔力接触" > 起爆】


 金貨が、アスタロトの防御フィールドに触れた瞬間、まばゆい閃光と共に大爆発を起こす。


ドゴォォォン!!!


 凄まじい爆音と衝撃波が、洞窟全体を揺るがした。

 アスタロトの絶対防御である「欲望の炎」も、至近距離での予期せぬ爆発には完全に耐えきれず、その一部が激しく歪み、火花を散らす。


「なっ…!?」


 アスタロトの紅い瞳が、驚愕に見開かれた。

 彼女の美しい顔に、僅かな煤が付き、黒髪が爆風で乱れる。直接的なダメージはほとんどないかもしれないが、その余裕の表情は完全に消え失せていた。

 虚を突いた、完全に。

 健太はその隙を見逃さない。

 アスタロトが爆発の余波に体勢を崩した一瞬を狙う。

 生成リストから偽金貨を大量に複製。そこに爆発属性を書き加えていく。


【ループ実行: テンポラリオブジェクト生成 > 偽"金貨", プロパティ付与・上書き: "指向性爆発(小規模, 火薬由来)" > 即時起爆】

【警告: リソース - 割り当てメモリ領域 逼迫】

【警告: パフォーマンス - スキルプロセス応答遅延】


 健太の脳が焼き切れそうなほどの負荷がかかる。

 視界が明滅し、意識が揺らぐ。しかし、彼は歯を食いしばり、最後の力を振り絞って、次々と偽金貨爆弾を生成する。

 生成して、投げる。

 投げる。

 投げ続ける。

 宙に放たれた偽金貨はそこでさらに複製され、また複製され増殖する。


「おおおおおおおおっ!!」


 数十、数百の偽金貨爆弾が、雨あられとアスタロトに降り注いだ。

 連続して巻き起こる爆発。

 洞窟の壁が砕け、天井から土砂が降り注ぎ始める。


「この……貴様ぁあああああああっ!!」


 アスタロトの怒声が、爆炎の中で響き渡る。

 彼女は、次々と爆発する偽金貨を魔力で薙ぎ払おうとするが、その数はあまりにも多く、キリがない。それどころか、本来ならその身を守るはずの防御フィールドがさらなる爆発を誘発していた。

 爆弾金貨は無限に生成できる。

 あとは物量で押し切るだけ――

 

(……勝てる、のか?!)

 

 希望の光が見えた――気がした。

 確かに、健太のスキルは無限に生成可能だった。

 だが、健太には限界があったのだ。

 その限界を遥かに超えるスキルの使用によって、ついに健太の力は臨界点に達した。


【エラー: システム - メモリ枯渇。システム安定性 低下】

【エラー: システム - 思考プロセス遅延。意識維持困難】


 視界が、完全にホワイトアウトする。

 全身から力が抜け、膝が折れる。体が、地面に崩れ落ちる。


(……やったか?)


 意識が遠のいていく。

 健太は耳鳴りのように響く爆発音の余韻と、洞窟全体が不気味な呻き声を上げ、崩れ始めるのを感じていた。

 ミシ、ミシ…と岩盤が軋む音。

 天井から、大量の土砂や巨大な岩石が、雨のように降り注ぎ始める。


(崩れる……?にげ、なきゃ……)


 だがもはや、健太の肉体は限界だった。

 疲労困憊の体は、そして失われゆく意識は、この崩壊から逃れる術を持たない。

 体の力が抜け、意識が暗転していく。頭上から響く、岩が砕け散り、全てが埋もれていく轟音も、遠い世界の出来事のように急速に遠ざかっていった。


「くそ、こんなところで……」


 それが、健太の意識が完全に途切れる前の、最後の思考だった。

 洞窟が崩壊する。

 倒れ伏す彼の体の上に、容赦なく瓦礫が降り注ごうとしていた。

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