いいじゃない

喜多殿

ニート所有法

施行から、ちょうど一週間が過ぎた。


正式名称は「未就労成年家族管理促進法」。だが誰もそんな堅苦しい名称で呼びはしない。世間では「ニート所有法」と呼ばれていた。


法の骨子は単純だった。労働人口の激減に歯止めをかけるため、就労の意志も見込みもない18歳以上の無職の子ども(俗にニートと呼ばれる存在)の命と権利を、保護者に一時譲渡するという内容だった。保護者はニートを労働力として「管理」する法的権利を持ち、その活用方法についても「家庭の自由に委ねられる」という形で、極端な規制は設けられなかった。


もちろん、「人権の侵害ではないか」と騒ぐ声は当初多くあった。だが国はこう答えた。


「義務を果たさぬ者に、権利を与えるわけにはいかない。」


多くの国民がその理屈に拍手を送った。そして法律は通り、今、この現実がある。


俺はそのニュースを、布団の中でスマホ越しに見ていた。


毎日寝て、ゲームをして、なんとなくネットを巡回して、たまに母に怒鳴られて、それでも「まぁ明日でいいか」と思いながら生きてきた。


でもその明日が、とうとうなくなったような気がした。


指先が冷たくなる。スクロールする度、目を覆いたくなるような言葉が飛び込んでくる。


「ニート解体工場、売上210億円突破」「ストレス発散ルーム大盛況、ぶん殴られるだけの子どもたち」


映像もあった。防音室で叫ぶ若者。泣きじゃくる少女。腕を引きずられ、部品のように運ばれる男。


全部、同じだ。俺と、何も変わらない。



怖くなった。急いでリュックに財布と水を詰めた。スマホの充電器も。家から出ようとした、その瞬間だった。


「……どこ行くの?」


振り返ると、母が立っていた。台所の電気だけが、ぼんやり彼女の顔を照らしていた。


「ちょっと……散歩……」


「……怖いの?」


俺は無言でうなずいた。すると、母はふわっと笑った。


「大丈夫。あなたはうちの子なんだから、何も心配しなくていいのよ。お母さんね、誰にもあなたを渡したくないの。あなたは……そのままでいいの。」


その言葉に、泣きそうになった。いや、泣いたと思う。初めてだった。怒鳴られたり、呆れられたりはしたけど、こんなふうに優しく言われたのは。


「……ありがとう……」


その夜は、ひさしぶりにぐっすり眠れた。


目が覚めたのは、真夜中だった。重たい物音が階下で響いていた。


最初は地震かと思った。でも、違う。明らかに足音。複数の。


部屋のドアが開く音がして、目の前に、スーツを着た男が立っていた。浅黒い肌に彫り物が浮かび、歯には金が埋まっていた。


「おはよう。準備できてっか?」


声が低く、乾いていた。


「……誰……ですか?」


「お前を運ぶよう、親御さんから正式に依頼を受けてな。」


体が強張る。後ろからもう一人の男が来て、両腕を掴まれた。


「いや、母さんは……!」


「その母さんからの依頼だ。心配すんな。労働は労働でも、合法なやつだ。」


連れて行かれた先は、港の奥に停泊した錆びついた漁船だった。


そこには同じように回収された人間がいた。若い男も女も、足元は裸足で、服はボロボロ。皆、どこか虚ろだった。言葉も交わさない。叫ぶ気力も、もう失われていた。


船の中での労働は、想像を超えていた。氷のような海水に手を突っ込み、魚を仕分け、網を引き上げ、生臭い匂いと汗に塗れ、時には殴られ、時には餌のような食事を投げつけられる。


数日が何ヶ月にも感じられた。時間の感覚も、言葉も、ただの音になっていく。


希望はなかった。死ぬまで働くのだと思っていた。


でも、それすら叶わなかった。


ある日、再び男たちが現れた。


「お疲れさん。ちょっと移動するぞ。」


その言葉に、一瞬だけ光が差した。地獄から出られる。そんな気がした。


「どこへ……?」


「臓器のバイヤーが来てる。目玉と心臓、それに筋肉はまだ売れるってよ。あー、もちろん親御さんにもマージンは出す。安心しろ。」


笑っていた。男は、心の底から。


そこで、初めて俺は怒りという感情を思い出した。


怒りなのか、哀しみなのか、悔しさなのか、それはもう判別できなかった。


ただ、「何もできなかった自分」への憎しみが、身体の芯から沸き上がっていた。


もっと早く。もっと必死に。何かできたんじゃないか。


でも、もう遅い。


運ばれる途中、薄れていく意識の中で、俺は最後に思った。


「せめて、俺の死が、誰かの目を覚まさせることに……ならないか」


そんなことを願うのは、もう遅すぎる側の人間の、ただの甘えなのだろう。


俺は静かに目を閉じた。




【追記資料】

※想定母数:日本国内のニート人口 約60万人(内閣府推計)


ニート所有法が施行されてからの1ヶ月の統計データ(内閣府)


所有権譲渡件数:431,200件(全体の約71.9%)


解体・部品販売:126,800件(譲渡件数の約29.4%)


労働施設への供出:191,600件(譲渡件数の約44.4%)


死亡・行方不明:非公開(公的記録未整備)



国民満足度調査(JPN未来研)


「ニート所有法は効果があったと思う」:78%


「家族内の空気が良くなった」:57%


「もう少し制限を設けるべき」:7%



以下、法令内容


未就労成年家族管理促進法(通称:ニート所有法)

第一章 総則

(目的)

第1条 本法は、急激な労働人口の減少に伴う国家経済の停滞および社会福祉制度の圧迫を解消するため、労働意思及び労働能力の乏しい未就労成年者を家庭単位において適切に管理・活用し、その社会的再配置を促進することを目的とする。


(定義)

第2条 本法における「未就労成年者」とは、18歳以上40歳未満のうち、進学・就業・就労訓練等のいずれにも属さず、6ヶ月以上にわたり定職に就いていない者をいう。


第3条 本法における「保護者」とは、当該未就労成年者の親権者、扶養義務者、もしくは法定代理人を指す。


第二章 権利譲渡と管理


(管理権の付与)

第4条 保護者は、未就労成年者の命・身体・意思に関する一切の権利を、所定の手続きをもって一時的に譲渡されるものとする。

2 前項の「一時的」とは、譲渡手続きが有効な限り継続されることを意味し、上限期間は設けない。


(使用および処分の自由)

第5条 保護者は、未就労成年者を以下の範囲で使用・処分する権限を有する。

一 肉体的労働への供出または第三者への労働提供

二 医療・科学研究機関への協力提供

三 身体・臓器の譲渡および売買

四 精神的・肉体的な制裁を含む家庭内教育目的の拘束

五 その他、社会的合理性の範囲内で適当と認められる活用


(譲渡手続)

第6条 前条の権利行使を希望する保護者は、市町村に設置された「未就労者活用窓口」への申請を行うことにより、正式な管理権を取得する。

2 手続きは簡素かつ迅速に行われるものとし、申請から管理認定までの期間は原則として72時間以内とする。


第三章 保障および補助

(保護者への補助)

第7条 管理下の未就労成年者を活用した結果として経済的利益が生じた場合、その一部を国庫より補助金として支給することがある。

2 補助金の額および支給基準は政令で定める。


(活用施設との連携)

第8条 政府は、未就労成年者の効率的活用のため、次の機関との連携を促進する。

一 労働供出受入機関(例:第六種船舶労働団体)

二 医療・臓器提供業務認定法人

三 家庭教育支援センター(通称:家庭再生ルーム)

四 再生型更生施設(通称:ニート訓練キャンプ)


第四章 雑則

(情報公開の制限)

第9条 本法に基づく管理措置の詳細は、保護者及び関係機関のプライバシーに配慮し、原則として公開を要しないものとする。

(罰則規定の非適用)

第10条 本法に基づき合法的に管理・活用された行為については、刑法その他の法令における人権侵害、暴行、監禁等の罪を適用しない。


附則

この法律は、公布の日から施行する。

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