戦略 / 2011年1月11日
戦略 / 2011年1月11日
2011年1月11日、凍てつくような寒さが東京を包み込む冬の朝、ゆっくりと一歩を踏み出した。霞が関に立ち並ぶ官庁街の重々しい雰囲気に、身が引き締まる思いで深く息を吐き出した。地下へと続く丸ノ内線国会議事堂前駅のコンコースには、鮮やかな色彩のNHKの巨大な横断幕が目に飛び込んできた。「もうすぐ地デジ放送!アナログ終了直前!」という力強い文字が、時代の移り変わりを否応なく告げている。コンコースの柱の欄干には、春の公開が待ち遠しい邦画のポスターと、地元出身のアイドルの親しみやすい笑顔が印象的な握手会告知のポスターが並んで貼られていた。足早に行き交う人々は、折りたたみ携帯電話に思い思いのストラップを下げ、駅の売店に設置された湯気の立つホットコーヒーの自動販売機で温かい缶コーヒーを買っていく。忙しい朝の喧騒の中で、ささやかな温もりを求めているのだろうか。ふと視線を上げると、林立するオフィスビル群の中に、建設途中の高層ビルの無機質な骨組みがいくつか見えた。経済の発展を象徴するその光景とは対照的に、駅の構内には来年度予算の議論の行方を伝える新聞の見出しが躍っており、社会の喧騒がそこかしこに満ちていた。今、この瞬間、この場所に存在する日常には、まだ大きな異変の兆しは見られない。行き交う人々の普段と変わらない様子を眺めていると、この何気ない平穏な生活を何としても守り抜かなければならないという強い使命感が湧き上がり、心の中で固く誓った。内閣府の一室に新設されたばかりの「国家戦略室・特命防災担当」という部署は、急ごしらえのためか、まだ部署名を示す看板一つなく、個人の名刺はおろか、明確なビジョンさえも見当たらない、手探りの状態だった。殺風景な部屋の中で、自分の名前が書かれた一枚の紙が置かれている簡素なデスクを探し当て、ようやく腰を下ろした。机の上に無造作に重ねられた書類にざっと目を通すと、そこには次年度の予算案が記載されていた。「防災分野は今年もまた予算が削減されるのか…」と、やり場のない思いが胸の内で静かに渦巻いたが、意を決したように、大きく背筋を伸ばした。しばらくして、隣の空いた席に、斎藤と名乗る若い男性が遠慮がちに座った。聞けば、斎藤参事官は国土交通省からこの国家戦略室に出向してきたばかりの官僚で、公共事業の見直しを掲げる「コンクリートから人へ」のスローガンの下での予算仕分け作業に深く関与してきたという。若くして様々な難題に取り組んできた、いわばエリート官僚なのだろう。斎藤参事官が持ってきた通勤カバンは、急いで用意してきたのであろう資料で膨らんでいた。机の上に手際よく広げられた資料には、マジックペンで力強く「全国避難訓練の前倒し」「原発臨検」「避難マニュアル」といった、喫緊の課題を示す言葉が書き連ねられていた。赤と黒のペンが乱雑に転がる机の上で、斎藤参事官は広げた資料にはほとんど目をやらず、据え付けられた狭いモニターに表示された新聞の電子版を、マウスで慣れた手つきでスクロールしながら、気さくな口調で話しかけてきた。「常に新しい仕事に手を付けているので、個人的には別に嫌ではないんですが」と、どこか疲れたような苦笑いを浮かべながら前置きし、「M9.0規模の大地震に備えるなんて、正直なところ、起こるわけないですからね。菅さんも東工大で物理学を専攻したはずですから、あんな規模の地震が起こるはずがない、ということは重々承知のはずなんですけどねぇ」と、半ば独り言のように続けた。その言葉を聞いた瞬間、苦い顔をして唇を噛んだ。異国の英語ニュースサイトで毎日のように目にしていた「東北地方を襲った巨大地震とそれに伴う壊滅的な大津波」の記事と、信じられない光景が広がる浜辺に打ち上げられた無残な車の残骸の写真が鮮明に脳裏に蘇った。言葉を発することもなく、ただ苦い表情で静かに頷く様子を見て、斎藤参事官は満足そうな表情を浮かべ、ぱっと資料を手に取ると、身を乗り出してこちらに向けながら言った。「まずは、各市町村の防災無線などの緊急放送システムが正常に機能するかどうかを確認するための全国一斉避難訓練を、来月の2月に実施するとのことです。それに向けて、全国の自治体に通達を出し、政府広報のCMをテレビで集中的に放映する手筈になっているようです。予算に関しては、一応、確保されているとのことです。」その情報を聞いた瞬間、あまりの衝撃に目を大きく見開き、思わず聞き返してしまった。わずか一週間という驚異的な速さで決定されたというその事実に、2024年の緩慢な政治とは根本的に異なる、強力な「政治主導」の力をまざまざと見せつけられた思いがしたが、改めてこの時代とのずれを感じていた。未来を知る自分と、まだその未来を知らない人々の間には、埋めようのない深い溝があるように思えた。どんな技術論だろうと予算と3月までの実現可能性という現実の壁に阻まれるし、そもそもM9.0という想定自体が2011年の最悪のシナリオを数十倍も上回る規模だったので、誰にも信頼してもらえないだけでなく、福島第一原発の脆弱性を指摘しても利権や法規、手続きという名の足かせが、迅速な対策を困難にしている。(このままでは、あの未曽有の災害を防ぐことはできない……)焦燥感が募る中、国家戦略室に戻った。デスクには、斉藤参事官から手渡された全国一斉避難訓練の計画案が置かれている。タイムスケジュールの1月17日という日付が、阪神・淡路大震災の記憶を呼び起こす。まだ予算も人員も不足し、自治体との連携もこれからという段階だが、それでも何もしないよりは遥かにマシだ。「斉藤さん、この訓練計画、審議にかけるなら、もっと具体的な報告書が必要だよ。訓練の目的、実施内容、期待される効果、そして必要な予算を明確に示さないと自治体に要請してもなかなかうまく飲み込んでもらえないかもしれない。」とそう指摘すると、斎藤は真剣な表情で頷いた。「はい、すぐに修正しておきますね。」話は変わって、斎藤参事官とともに国土強靭化のための連絡会議に出席した。会場には多くの報道陣が集まっており、菅内閣の危機管理に対する姿勢が注目されていることが窺える。「身を挺してでも国民の安全を守り抜く」という誰かの力強い言葉が会場に響く。しかし、その言葉の裏にある現実の困難さを知っているせいか、空虚な響きにしか聞こえなかった。会議後、ロビーで数社の新聞記者に囲まれた。明日の新聞に、講演会の一場面で姿を写真に収めたいという依頼だった。突然のことに戸惑いを覚えながらも、覚悟を決めて取材に応じた。その夜、帰りの地下鉄の中で、隣に立っていた若い女性アナウンサーが、話しかけてきた。「あの、今日の講演会にいらっしゃいましたよね?失礼ですが菅内閣って、本当に危機管理ができるんでしょうか?」薄暗い車内、蛍光灯の光が彼女の顔をぼんやりと照らす。一瞬言葉に詰まったが、静かに答えた。「……彼はやる人間です。それこそ、爆発寸前の原発に行くぐらいのことは出来ますよ。」アナウンサーは納得がいかないような表情を浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。ほどなくして地下鉄を降り、自宅へと続く夜道を一人歩きながら、今日の出来事を振り返っていた。国家戦略室での斎藤参事官とのやり取り、そして国土強靭化会議。それぞれで感じた手応えと、拭いきれない不安。(このままでは、本当に大勢の人が……)自宅に戻りテレビをつけると、ニュース番組が天気予報を流していた。1月の東京の刺すようなひどい寒さはまだまだ長く続きそうだ。ヒーターの電源を入れながら「……まだ、間に合うはずだ」と呟き、カーテンを開けて夜の街を見下ろした。無数の灯りが瞬く東京の夜景。その光の一つ一つに、人々の暮らしがある。その平穏な日常を守るために自分は何ができるのか、深い絶望の中に、微かな希望の光を見出そうとしていた。
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