招待 / 2011年1月3日
招待 / 2011年1月3日
2011年1月3日、まだ正月の余韻が色濃く残る東京都心は、門松やしめ縄に彩られ、初詣帰りの人々が静かに行き交っていた。空は重たい雲に覆われていたが、ところどころ雲間から射す陽がビルのガラスに反射し、街並みに儚い模様を描き出していた。そんな中、あなたが懐かしさを感じる街角を歩いていると、ポケットの中の携帯電話が震えた。反射的に身を強張らせつつも冷静を装い、通話ボタンを押す。電話の主は、総理大臣秘書官・吉野だった。「本日14時、菅総理が面会の時間を取れるそうです」淡々としたその声は事務的ながらも、どこか疲労のにじむ調子だった。数日前、突如非通知で告げられた「首相との面会」。それが現実となったことに、あなたの胸はざわめいた。足元に広がる雪解け水に映る自分の顔が、どこか歪んで見えたのは、その緊張ゆえだったかもしれない。慌ただしく安いスーツの一式買って身にまとい、永田町へ向かう。気持ちを落ち着けるため、タクシーの中でメモ帳を開き、震災に関する知識をひたすら書き連ねていく。地震の震源、規模、発生時刻、各自治体の被害、津波の到達時間、原発事故、避難の遅れ…… 13年間、防災の最前線で培った知識と経験のすべてを詰め込むように、ノートにびっしりと書き綴った。「……この資料が、信じる材料になるなら……そして未来を変えられるのなら….」官邸に到着したのは13時40分。予定より少し早めだった。 門の前では、スーツ姿の秘書官が立っており、あなたの名を告げると無言で会釈し、背を向けて電話を取り出し、誰かと連絡を取ったかと思うとやがて別の秘書が現れ、静かに「どうぞ」と言って官邸の中へと導く。応接室は思ったよりもこぢんまりしていて、窓の外には冬の光が淡く射し込んでいた。壁に貼られた2010年10月の資源探査衛星「はやぶさ」の地球撮影画像が、時代を強調する。「君が…元日の防災工学者か」低く、落ち着いた声が響き振り返ると、グレーのスーツに身を包んだ中年男性が立っていた。目は鋭いがその奥に理知的な温もりがある。 菅直人総理大臣だ。あなたは慌てて立ち上がって深く頭を下げた。「ご多忙の中、お時間をいただきありがとうございます」「まぁ、そんな堅苦しくやらなくていいよ。理系同士、和やかにやろうじゃないか。」菅はあなたの真正面に腰を下ろした。 秘書が温かい緑茶を出してから頭を下げてゆっくりと扉を閉める。たちまち二人きりの部屋は静寂に包まれて、空気が張り詰めるのを感じた。「では、早速ですが……」あなたはバッグからメモ帳を取り出し、机の上に差し出した。 「東北太平洋沖の日本海溝、つまり太平洋プレートと北米プレートの境界です。ここで地震が起こればどうなるかわかりますよね?すなわち巨大なアウターライズ地震です。」菅総理はページを捲りながら目を通す。 一ページごとに、眉がひそめられ、時折、目が鋭くなる。『……ここに書かれていることは確かに研究では言われているが、第一、M9.0なんて地震が本当に起きるのかにわかには信じることはできないな、それに日本海溝海底地震津波観測網/S-netってのはなんだ?こんなものはないぞ?』それもそのはず、S-netが敷設されたのは2016年からで、この時代には計画すらなかった。なんと説明をしようか迷い、少し考え込んでから真実を打ち明けることにした。「信じてもらえないと思うのですが、私は2024年から来た防災工学者なんです。信じがたいこととは思いますが、これは記録ではなく、経験に基づく知識です。その証拠に、現場ですら知り得ないような”後世で初めて明るみに出たこと”もお話しできます。」菅総理は腕を組み、しばらく無言で天井を見つめていた。 その沈黙の中に、あなたは政治家としての重さを見た。 彼はこの話を“嘘”として切り捨てることも、“真実”として国を動かすこともできる立場にいる。 その判断がこれから数千、数万人の命運を分けるかもしれないと思うと、身震いが止まらない。これは恐怖からくる震えなのか、それとも未来への希望としての武者震いなのか、わからなかった。どれくらいの時が過ぎたのか、わからない。総理が口を開いた。『一つ、いいか?』あまりのプレッシャーから「はい」と間の抜けた返事しかすることができない。『参考までに、いつ何が起こるのか言ってみてくれるか。私はこれでも東工大を出ていてね、半端な出まかせを言えばすぐにわかるから。逆に本当ならば、信じないこともない。』あまりの迫力ある言葉に思わず目線を下に向けてしまう。「今からいうことはあまりにも信じがたい。しかし、どうか耳を傾けて最後まで聞いてから判断をしていただきたい。」菅総理は重々しく口を一文字に結んでから、ゆっくりと頷いた。落ち着かない様子で、机に置かれたお茶を口に運んで少し飲んではコップを揺らしている。「2011年3月11日、14時46分18.1秒。今から、2ヶ月と少し後に起こるんです。牡鹿半島沖130kmの深さ24km、M9.0の地震です。岩手から茨城までの10万km^2の範囲が破断し、北海道から九州まで日本全国が揺れました。」といって地図を指す。その地図は日本海溝沿いの「アスペリティ」分布図。岩手沖から福島沖にかけて、黒い楕円が鎖のように連なる。このアスペリティが連鎖を引き起こして一気に破壊されると、M9.0クラスの巨大地震が発生する。「その30分後ほどから津波が押し寄せ、最大遡上高は41m、、日本一の記録です。三陸独特のリアス地形で、波が増幅し、第一波よりも第二波の方が大きく…」そこまで言ったところで、菅総理が目を見開いて捲し立てるように声を上げた。『それじゃあ原発は?女川は?福島は大丈夫なのか?あまりにも詳しすぎる、詳しくはコンピュータで演算しないとわからないが君の言った数値を入れたら、君の言った通りの被害になるぞ。それに今の日本では大衆の無関心に官僚的縄張り根性が加わって、ちゃんとした地震対策が出てこない。それを変えなければ、必ず阪神淡路大震災の二の舞になってしまう。』と言った後で首相は頭の中の記憶から報告書の数字を思い出したようで、『海溝型地震の想定最大規模がM8.3...君のデータは学界の常識を超えている。」それは単なる災害の恐怖からの衝動的な発言ではなく政治家として国民を守るための質問にも見えた。東京工業大で応用物理学を専攻し、その分野では専門家同然だったから当然、原子炉のことが気になるのも当たり前の話だった。
言うにはあまりにも残酷すぎるが、言わなければいけないと腹を決めて口を開いた。「女川原発は、東北電力による懸命な処置で事故は起こりませんでした。しかし福島第一原発は15mの津波に襲われて非常用ディーゼル発電機も破壊され、1号機から5号機まで全てで全交流電源を喪失、つまり制御不能に陥ったためベントを試みましたがAO弁・MO弁の2つを開けることに手間取ってしまい、少し海から離れた場所にあった5号機と6号機以外は全て爆発しました。それに、東電は作業員を勝手に現場から撤退させようとしたんです。それを阻止したのはあなたですが、東電は情報を隠蔽するばかりであなたは結局、東電の尻拭いをする形でこれから1年もせずに職を退きます。その後は海外からは脱原発勇敢賞を受賞するなど評価されますが国内では常に厳しい目に晒され、あなたの働きは評価されませんでした。」あまりにも鮮明で詳細すぎるビジョンに菅総理は思わず黙り込んでしまった。頬がぴくぴくと動き、何かを考えているようにも思える。そしてそれから上の方を見つめ、独り言のように『きっとこれは現実に起こるんだろうな、私たちですら知り得ないような情報だ。AO弁・MO弁なんて言うのは私ですら詳しくは知っていなかった。未来では事故報告という形できっとみんな知っているんだろうが、な』あなたは言葉を返すことができなかった。あまりにも、重く長い時間だった。沈黙の時間が落ち、やがて菅総理はふっと小さく笑った。『理系の人間というのは、どうしてこう真っ直ぐなんだろうな……』彼は何かを懐かしむようにそう言い、手元のメモ帳に指を置いた。『君の話が本当だとしても、嘘だとしても、いつかは起こるわけだから対策はしよう。君の情報を科学者・技術者に共有して評価してもらった後で段階的に進める必要がある。時間がかかりすぎるが、評価がなければ、君の話はただの“予言”でしかない。“国家戦略室”の民間人登用制度、これを活用してよう。それとこの話は他言無用だ。」こうして、歴史が大きく動き始めた――その最初の瞬間だった。
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