第3話

 リュティスが鋭い足音を響かせて廊下を戻ると、王の部屋の扉の前にグインエルの姿があった。


 彼は床に落ちた白百合の花を拾い上げているところだった。

 不思議そうにリュティスの方を見る。

「リュティス……何かあったのか?」

 リュティスは厳しい顔のまま、グインエルの差し出して来た花を手に取った。

 彼は数秒その花を睨みつけたあと、無造作に脇へと放り投げる。


「何も無い」


 そのまま部屋の中へと入って行ってしまった。

 弟をひどく怒らせたものが一体なんだったのか、グインエルには分からなかった。

 兵士とでももめたのかもしれない。

 ただ、明らかにリュティスではない第三者の手でここまで運ばれて来た花が、無惨に床に散っている姿を見て、グインエルはひどく可哀想な気持ちになった。




 ……これが【光の王】と讃えられるグインエルと、後に【サンゴール王家の軽薄な血】と囁かれることになる、メリクが互いの存在を近くに感じた最後の機会となる。

 グインエルはこの花の贈り主と再び会うことはもう無かった。


 そしてこれより二年後、彼は病を深めてこの世を去る。

 


 ――――『聖域』を二度と闇の魔術師に脅かされることも無く。



 彼は最後まで、光の中にいた。



◇   ◇   ◇



 うとうと、と優しい光の中で微睡んでいたオルハは、もうすぐアミアの公務が終わる頃だろうかと思い、眠気覚ましに庭園を少し歩くことにした。

 ゆっくりと花の間を歩いていると、庭園の脇に建てられた休息所にいつのまにかメリクの小さな姿があった。

 一人座って風に揺れる花を見つめている。



「メリク様?」



 メリクが振り返った。

「お戻りになられていたのですね、ごめんなさい、少し眠ってしまって」

 メリクは首を振る。

「グインエル王にはお会いになれましたか?」

 花を持っていないメリクに気づき声をかけると、少年は一瞬間をおいてから今度は大きく首を振った。

 おや、とオルハは思う。

「リュティス殿下がそうおっしゃったのですか?」

「はい」

 頷いたメリクが少し沈んだように見えたので、オルハは少年の栗色の髪を優しく撫でてやる。

「きっとあまりお加減が良くないのでしょう……大丈夫、またの機会にお会い出来ますよ」

 メリクは「はい」ともう一度頷いた。



 アミアがやって来て嬉しそうにオルハと抱き合う。

 その夜はアミアとオルハとメリクの三人だけで、気兼ねの無い夕席が設けられた。

 久しぶりに再会した彼女達は楽しそうに話を弾ませて、それは決して尽きなかった。


 ……メリクもたくさん笑った。



◇   ◇   ◇



 アミアとオルハがまだ話があるというので、先にメリクが部屋に戻ることになった。

 アミアは侍女に送らせようとしたが、メリクが王宮書庫室に寄って本を借りてから帰る、というと一冊だけという約束でアミアが許してくれた。


 王宮書庫室に行くと、蝋燭の灯りが淡く部屋を照らしていた。

 だが机には昼のまま本が広げられている。

 リュティスもあれから戻っていないようだ。

 メリクは何となく昼間目に付いた本をもう一度手に取っていた。

 重い本だ。背表紙に細かい宝石の欠片で綺麗な装飾が描かれている。

 やはり、そこに書かれている文は読めなかった。

 そこで側にあった紙に、羽根ペンでたどたどしくも目についた一文を書き写す。


 書き写し終わるとメリクは本を閉じて丁寧に脇に重ねた。


 シン……とした部屋で一つ息をつくと、その途端リュティスの言った言葉が脳裏に蘇る。


『思い上がるなメリク、王家に紛れた異端の分際で!』


 手を挙げられたことよりも、その言葉が何故かちくちくとメリクの胸を傷ませた。

 メリクは書き写した紙をポケットにしまうとすぐに書庫室を出た。

 自分の部屋に戻ると侍女が待っていて、すぐに眠る支度を整えてくれる。

 それを終えるとメリクは寝台の中に入った。


 眠ろうと思ったのに眠れず、メリクは眠るのを諦めて考えることにした。


 ……もともといつも厳しい顔をする人だけど、今日のは変だった。


 リュティスは怒っていた。

 本当の怒りだ。

 自分が言いつけを守らず、あそこへ行ったからだとメリクには理解出来た。

 変だと思ったのはそのことじゃない。


 メリクはあの時、リュティスの目を見ていたのだ。

 出会った時からずっとそうだった。

 リュティスの瞳を見つめるというメリクの『癖』は、あの瞬間もまた彼に第二王子の目を見つめさせていた。

 だからそこにあの瞬間過った叱責などという、断片的なものでは済まされない何かを見つけたのである。

 後にそれが『完全なる憎悪』だったことにメリクは気づくのだが、幼い彼にはまだ分からなかった。


 自分の『好き』が伝わらない何か。

 リュティスの放った言葉と結びつく……それは。


(きらわれてるのかもしれない)


 メリクはぽつりと思った。

 リュティスは最初から、メリクが自分に近づいて来るのを見ると不機嫌そうな顔をしたけれど、最近はメリクの姿を遠目に見つけるだけであからさまに眉を寄せるようになった。

 その延長上に今日があったのだ。



 ――メリクは何かがひどく怖くなった。



 オルハ・カティアが数日の後、アリステア王国へ戻って行った。

 今度は出産を終えるまではサンゴール王国には来れないという。

 私が会いに行くわ、と言ってアミアが彼女を大切そうに抱きしめていた姿がひどく印象的だった。


 それからしばらく、またアミアは王妃としての公務に忙しくなり、神儀を控え騒がしくなるサンゴール王宮にいるよりは、と王妃の計らいでメリクは王宮内にはあるのだがやや本城からは離れた国教礼拝堂で過ごすことになった。

 リュティスに会うこともなかった。

 ただ、アミアはよほど手が回らなくなる時以外は、必ず毎日メリクのもとを訪れてくれた。

 やがて神儀が無事に終わりサンゴール王城が落ち着きを取り戻した頃、ある日久しぶりに朝食を共にしたアミアはメリクの口から告げられたのだった。



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