第11話 冬ごもり その一・その二

 冬ごもり その一


 いよいよ秋も深まり、シティで収穫祭が開催される。

 例によって岡さんの話から知ったのだが、なんでも毎年味噌造りに参加するのだそうだ。なんのことやら?・・・

「収穫祭って、たしか10月31日の行事ですよね。シティはいつやるんですか?」

「来週ね。天気次第だけど、基本、日曜日なのね。今年はもう早くも雪が降ったり、天候不順だから来月の文化の日あたりになると思うの」

「そんなアバウトなんですね?。そう言えば元の街ではいつの頃からか、収穫祭と呼ばれなくなってしまって、ハロウィンのお祭りの日になってしまいました」

「そうですの?。まあ、それはおしゃれな文化なこと。クリスマスのお祝いはありますが、シティではハロウィンではなくて昔から収穫祭なのね。もともとキリスト教ではハロウィンの翌日の11月1日は諸聖人の日という祝日だそうよ。その前夜祭をハロウィンと呼ぶのだそうね。もともと古代ケルトの宗教的なお祭りが起源らしいわ。

そうそう、シティでは昔からその収穫祭にお味噌造りをしますの。ちょっと見てくださいな」

 そう言うと岡さんは台所の床下から小振りな樽を見せてくれた。

「これよ。5キロの樽なのね。毎年、この樽を持って行きますの」

「でも、野口さん。お祭りの謂れも大事ですけど、もっと楽しみましょう!。なんでもご自分を自由に遊ばせてあげて下さいな。

 ごめんなさいね。私が書き物なんてお勧めしてしまったから、野口さん、もう準備しているのが解りますわ?。以前のわたくしにそっくりですの。なんでも体験してみてで・・・。それから調べたり、日記に書くときにまた二人でお話ししましょう。だって、こんな田舎の行事ですから、あなたの感性のお眼鏡に叶うか心配ですわ」


 なんでもシティでの収穫祭での楽しみは味噌を仕込む共同作業らしいのだ。初めて参加する時に農家の方が準備してくれる樽を受け取る時に大豆や材料と保管費として参加費を納め、一緒に仕込みに参加して翌年、自分で樽詰めした味噌を受け取るのだそうだ。

「とりあえずお味噌舐めてみてくださいな。まずはお味からね。わたくしお味噌汁は毎日は作らないものですから、この5キロ樽ひとつで足りますの」

 私はひとくち口に含んでその味に思い出したのだ。

「これ、この味、懐かしい感じがします。私の実家もかなり田舎だったのでご近所寄り合ってお味噌を仕込んだのをかすかに覚えています。私の小学生の頃の記憶です。火起こしや薪を足す事だけでしたが、前髪や眉毛まで焦がしてしまって、覚えてます。きっとあれが味噌の材料だったんですね」

「とても大きい鍋に水を張り、一晩浸しておいた大豆の粒を入れてぐつぐつひたすら煮たのを思い出します。これは懐かしい味じゃないですか。私も参加させてください」


 なるほど、収穫祭は11月の3日、文化の日に決まり、私は岡さんと連れ立ってシティセンターの広場に出掛けた。広場には様々な野菜や大きなカボチャ、コーヒー豆屋さんの出店、農家さん直売の新米。ついでに肉屋さんのコロッケとこの日だけ特別と言われていたパン屋さんとタイアップされた特性メンチカツバーガー、牛乳工場の出店。それ以上にシティにこれほど住民がおられたのかという驚きだった。さあ、何人と尋ねられては迷うが、軽く500人に近い人々が様々に楽しんで集まっている図なのだ。岡さんによると、収穫祭とは冬ごもり前の最後のイベントで、次はクリスマスだけ。これから一気に日も短くなり、長い寒さの始まりの節目だと言うのだった。

「まあ、冬眠とは大げさですけど、春までの長い冬ごもりのスタートね。だから皆さん、少しでも日光を浴びて新鮮な食べ物を求めたくなるのね」

 ひとりひとり目で追うと、確かにどこかでお目にかかったメンバーで、「おはようございます」「こんにちは」「お元気ですか」「それは、それは」「ありがとう」それぞれが微笑み返していて、きょうの収穫祭を楽しまれている。これは先月のバザール以上の人出の多さで、シティの一大イベントを感じさせられるのです。

 それだけ私もこちらの皆さんの仲間に馴染んできた実感が持てたりした。

 コミュニティーセンターの一番奥ですでに早朝から大釜に一杯大豆を煮込んでいるところ。石組みされた薪の即席かまどだが、その強力な火力の湯気を利用してせいろでもち米を蒸かしているじゃないか。私はさっそく岡さんに付き添われて来年受け取り予定の諸費用を支払い、余分に仕込んでおいたという、ばら売りの1キロの味噌とこれから仕込む樽の権利を同時に購入することができた。さっそく始まった餅つきに参加し、大釜の大豆が湯立って、手漕ぎのハンドルで肉をミンチにするマシーンですりつぶすのだ。次々ポリバケツで受け取り特大のトレイに空け、麹と塩を蒔きよくかき混ぜる。その後、ひとつひとつの小さな樽に詰められて落し蓋に石を乗せ一年間、ほとんど日の入らない気温変化も少ない納屋で熟成させるだけで天然酵母の力だけで自然と味噌の完成となるのだそうだ。



 そしてもうひとつ。収穫祭、一番の楽しみは「海の穴」だというのだ。それはシティのセンターからほどなくの神社の境内にある天然の井戸だという。

 さて、なんのことやら。

「イカやタコまで釣れますの」

「ええ、ちょうど深い井戸ね」

 すでに30年近く以前、この穴の存在は知られていたらしい。非常用の水源として活かせないかシティ評議会で検討されたこともあったという。しかし試飲して塩分が強く、転落防止として蓋がされた。それからしばらく、釣り好きの老人が評議会に掛け合って糸を垂らしてみたところ、いきなり釣り針にしがみ付いてタコが上がったという。何ともとぼけた話だが逸話らしい。その一事で全てを悟った彼はこの穴でタコの養殖を思い付いたらしい。海からタコの稚魚を運び入れ、「天然タコツボ」を目指した。

 爾来、穴は国見翁の名を冠して「国見の井戸」。もしくは「海の穴」通称「天然タコツボ」などと呼ばれるようになったという。この海の穴とは遠く海に繋がっているらしく常に海水の流れが微妙に入り込んで、海水面よりはるか海抜の高いシティの台地の一部分まで、海からの水圧で海水が押し上げられて一定の水位が保たれた天然の生けすなのだ。

 穴は直径2メートル程の開口しかないのだが、中は天然の岩の空洞で、真っ暗な奈落の底。どうやら人の身長くらいから大きく広がっているらしく、耳をちかづけてみると、はるか底の方に水滴の垂れる音が響いたりしている。数人のギャラリーに混じってながめていると、手慣れた手つきのおやじ連がもともと垂らしてあったそれぞれのロープを引っ張り始めた。一本のロープに数個ずつ高さを変えて素焼きのツボが結ばれていて、ツボを一つずつ水桶にひっくり返している。驚くなかれ、ツボの中には1尾ずつ律儀に大きく育った生きたタコが入っていて、魚屋の主人が次々手慣れた包丁さばきで次々切り身にしているのだ。

 タコツボの引き揚げがひと段落すると、おやじ連は竿を取り出し垂らし始める。すると今度は小魚や大量のイカが水桶に溢れた。穴の奥深く、以前から住み着いていた小魚やタコやイカが自然繁殖したものらしい。後で知ったことだが、毎年のこの収穫後には井戸に蓋を閉める際、海で確保してきた稚魚を必ず放流してやるそうだ。1年に一度のこの漁は10年近く続いていて、このサイクルは今ではシティの住民に年に一度賄えるまでになっているのだ。釣り上げられた小魚やイカは次々天日干しまでされ保存用の干物として楽しまれるまでになったという。スルメイカなどは魚屋の店頭で「志」と定価札に書かれていて、誰でも気持ちだけで購入できるのだ。

 どこかのエピソードでご紹介しただろうか?。もともと、シティの住人とは、欲に薄く、日々の生活を楽しんでいるだけで満足。知り合った方々に共通しているのは別に欲しい物はない。いつか聞いた話だが大富豪と呼ばれる人物のもっぱらの悩みとは欲しいものが何もない事。なぜならば欲しい物はすべて手元にあるかららしい。シティの住民はその真逆なのだ。ネットも通じない、情報も乏しいとなると、欲しい物を知らない。それより今の日々が大切で性に合っている、物より性に合った日々ということらしい。


 ここの大豆を賄っている主人とお話ができた。

「オレはもともと別のエリアで農業をしていてさ、いやけがさしてシティに移植したんさ」

「ほう、野口さん、レコード針ね?、そりゃ大変だったね。負けっぷりかよかったもの。でもさ、オレに似てるさ。ジャンルは違うがさ、世の中便利になった弊害さ。こう見えてオレもいまだにレコードはクラシックばかりだけどよく聴いては癒されてるんさ。その昔のクラッシック版はほとんどCD化されてないから、当然私もレコード針派。どこまでもレコードについていきますさ。クラッシックの曲は農業によく馴染むんですわ。あの緩やかな抑揚って言うんかな?、畑から眺める景色に一番似合うジャンルさ。なんでも農業大学の教授によると、クラシック音楽を聞かせると野菜の旨味が増すらしい・・・」

 佐野さんとおっしゃる私より10歳は年配の農業一筋のオヤジさんだ。なんでも私の郷里に近い上田という長野というエリアから10年ほど以前、入植されて、畑作をやめてしまったおばあさんから畑地を受け継ぎ、自由に豆類、キャベツ、じゃがいもやキュウリまで栽培しているのだ。

「野口さんも嫌になったね。何がというか、元おられたエリアの急な変化にさ。違うかい?」

 そして、近年、一番困ったのは種の問題だったと話し始めたのだ。

 私は初めて、現在の農業の実態を知らされることになったのだ。

 なんでも、玉ねぎ、キュウリ、豆類、米に至るまで、各農家は毎年商社や化学メーカーから種を購入して栽培しているというのだ。奇妙なのは、元々、農業とは自家で育てた作物から種を採り、翌年栽培するから増えた分を売って利益を得る産業と習ったものが、現代では収穫した作物から採った種を蒔いても育たないというのだ。それは種の良し悪しの問題と考えてしまうが、元々近年流通している種とは品種改良されている種がほとんどになってしまったというのだ。

 この近年の品種改良とは作物の花が咲いたとき、雄しべを切り取り、他の品種の花から採った雄しべの花粉を雌しべに付着させ栽培することを繰り返して、大きな実、型の良い、甘い、苦味のない等の品種を人工的に造ることをいうのだ。するとキュウリにしてもナスにしてもまっすぐで型の良い同じサイズ。見た目も良し、運搬するダンボールサイズ、スーパーに並ぶ棚のサイズまで決めることができる。物流コストも絞られ、店頭に並べる手間も最小限で済む。だから、独自に自家の種から育てる育種の野菜は流通、販売のルートに乗れず、規格外としてはねられてしまう。これでは農業自体が生業にならないのだそうだ。

「それがさ、どこのおかみさんも、スーパーや八百屋さんで見た目の美しい野菜には手が出るが、自然とふぞろいな大きさ、反った形となると手を出さない。試食して選ぶこともままならないからね」

 なるほど、誰もが選ぶビジュアルというものを確立してしまったのか?。味や風味や新鮮さなどは二の次、見た目重視の野菜達。これこそが化学メーカー、飼料メーカー、商事会社の画一化農業らしい。

 このように他の品種の掛け合わせから作られた種をF1種 「雑種1代目」と呼ぶというのだ。ところがこのF1種から採った種をF2種というのだが、2代目とはまったく育たなかったり、極端に小さかったり、苦味や曲がり、皮が硬い等、元々潜在的に持っていた他の負の性質が出て売り物にならないので、「実が成らない」とまで呼ばれているという。

 人間が手を付けてはならない自然の摂理を操作してしまった結果、昔ながらの農家がやってきたような自家の作物の種を蒔く「育種」ができないのだ。

「ほとんどの野菜が見た目は形もそろい、色も美しいのだが、本来の味がしない。どこも種も同じ、肥料も同じ、誰が育てても実るとなっちゃ、何の技もない。しかも種も肥料も買わされてみると、管理農業、画一化農業とは聞こえが良いが、化学メーカーのサラリーマンと同じになってしまってさ」

「キュウリの苦み、トマトの甘味、玉ねぎの辛さ、そんなのがあって本来の味さ。そんな野菜は料理してみた時、忘れていたうま味として出て来るんさ」


 ここまでF1種が普及した事実には秘密があるという。

 なんでも1925年にカリフォルニア農業試験場で栽培していた赤タマネギから雄性不稔という雄しべのない株が見つかったのだ。その後、日本でもイネやダイコンで雄性不稔が見つけられて来たのだ。

 これはもともと雄しべがないので除雄という雄しべを取り去る手間が省け、好みの優等な花粉を受粉させることが楽にできる特徴があった。

 これが現在のF1種作りの主流となり優良種の大量生産を可能にしたというのだ。

F1種は爆発的に世界に広がっていき、日本のスーパーに並んでいる野菜のほとんどがこのF1種だと言われている。

 オリジナル種を失ってしまった我々は今となっては商社や化学メーカーの言いなりとなってしまった。

 こんな知りたくもなかった現在の農業の裏側を露見されて、

「どうせオレはF2種だからさ」(親の劣勢な性質だけを受け継いでいる意)

とか、

 学校でも

「先生、F1のやつらのようにいい子にはなれないよ。オレ、おやじが次男坊の息子だし、だから種が違うもの」

 などと自虐ネタにまで使われるようになってきたと言うのだ。


 私にはとても新鮮なお話しだった。

 私の感じている脱アナログ化とは、かけ離れて見える農業にまで波及していて、その原因とは便利に走ったスピード感、後先考えず求め始めた世の中の効率化にあることを学ぶ事になった。

「心配なのは、このまま人工的にコントロールされた同じ種に頼っていると、今までにない伝染病、突然の有害性が出た時、抵抗力もなく全滅となるリスクもあるんさ」

「ここの大豆は元々オレらが育ててきた種。米麹も地元の稲作農家さんだからね、味は素朴だが、本来の味噌の味と香りですさ。だし入りだとか、合わせ味噌なんて加工もしてないから旨味に劣っても、何よりも体に良い味と自信もってやってないと働き甲斐もないとオレは思ったさ。ここには野口さんみたいな考えの方々多くってね、こうやって味噌を楽しまれるのを見ることが何よりのやりがいさ」

 佐野さんは実に愚直なストレートな方で、逆に世の中の便利さの波に乗れなかったことをアイデンテティとして大事にしているところにシティでのやりがいを示されているのだ。

 ひとつ痛感したのは私のように居眠りついでに迷い込んで居着いてしまった輩とは違い、自ら飛び込まれての努力の違いを痛感させられた。改めて思う事は、佐野さんのおかげでシティの豆腐、油揚げ、厚揚げとお世話になっている事実なのだ。

「いやいや、野口さん、そりゃ大間違い!。なんにも偉くなんかないさ。いやでというか、便利さからくるストレスから逃げてシティに潜り込んただけなのさ。性に合わなかっただけさ」

 味噌の仕込みの忙しい合間、ほんの10分ほどだろうか、今もってやめられないとおっしゃるタバコの一服でのお話しだったが、私はとても癒されたのだ。

そして、別れ際

「オレは収穫祭に集まる皆さんを見ていると、なんとなくさ、自分を変えない緩さに、とても意志の強さを感じるさ。なんとなくここは高天ヶ原かい?、年に一度地上に降臨されるという神様達を見る思いがするのさ。『お客様は神様っていうじゃないか』だから、オレも、はい、あなたのおっしゃる勉強になってるんさ」

「また、一年経ったらお味噌受け取りに来てください、さ!」

 その一言を噛み締めるのだった。


 思いがけない荷物をナップサックに詰め込み、夕暮れの道を帰路についた。そして、本日の釣果、1キロの味噌とイカの刺身タコの足をテーブルに並べてみた。

 自然と味噌樽を開け、食べ切れそうもない分のイカとタコ足を冷蔵庫に入れずに味噌に混ぜ込んだ。ついでに冷蔵庫のキュウリとナスを半身にして追加する。それから1週間ほどして旨い即席味噌漬けになった。イカとタコ足はダルマストーブであぶり、この上もない美味な保存食として確認、冬ごもり前にはすべて楽しんでしまったのだ。




      冬ごもり その二



 先日、いきなりまだ10月の末だというのに雪が降ったことが新鮮で、私の中に初めて迎える本格的なシティの冬のイメージが固定化されてしまった様子なのだ。

 改めて達磨ストーブ用の木材を確認すると、ほとんど無い。先月シティの燃料屋さんに豆炭を一袋予約はしたが、それ以来連絡もない。一度、達磨ストーブの元オーナーから一輪車をお借りして、近くの神社の境内や小川や岡でそれぞれ、杉の枝葉と松葉、流木や雑木の粗枝と薪、イカやタコの味噌漬けをあぶったので燃料がすでに心許ない。

 そんな時、岡さんから聞いたのがパラグライダーの発射場のある山の中腹の家具工房だった。

「家具のアートの賞で選ばれたフィンランドからの作家さんで、まあ、アーチストの方なのね。北欧家具をこちらで制作しているのね。わたくしもコミュニティセンターで何度かお目にかかっただけですが、強面で長身の方、ガッチリした体躯でスキンヘッド。でもお話ししている姿はとても柔和で気さくな方だと印象的な紳士な方よ。だからいきなりお邪魔しても失礼じゃなさそう」

「えっ、フィンランドの方?、そりゃ、いわゆる北欧家具ですね。アーチストの本場の先生ですか」

「いいえ、そんな堅苦しい方じゃないわ。確かシティの風景がとてもお気に入りで、5年ほど前から創作されていると聞きましたの。なんでもこちらの雰囲気が創作のヒントになると、ここを選ばれたと聞きましたわ。きっと木材なら相談に乗ってくれると思いますの。当然、余分な材料には事欠かない?、なんて思い付きましたの」

 こう言っては岡さんに失礼かもしれないが、当初、書き物をされる方とは世の中にうといというよりも、あまり疑わない。なんでもご存じなのに、タコやイカを淡水でも生息していると勘違いされていたり、そうと知っても驚かない。岡さん、だから「海の穴」は奇跡的な生けすなんですよ。と説明しても、あら、そうなのね。ただ女史の場合はけっこうちゃっかりした部分やなによりもどんなに偉そうな雰囲気の方にも、強面でもものおじなど全くされない。むしろ、恥もいとわず、気取りもなくご自分の満足感に狡猾で積極な姿勢。そんな姿を何度か感じていると、逆にとてもその姿に勇気やら親近感をいただいて来たのだが。

 人付き合いの下手な私だが、私はおかげで知らぬ間にそっと背中を押してもらえるのだ。そして、それでもフィンランドと聞いて、家でさっそく学生時代から使っていた翻訳機を引っ張り出し、手紙を書いたのだ。岡さんと違い、言語の違い迄無視できるだけの度胸がないのだ。


 はじめまして、野口と申します。シティに暮らし始めたところです。秋のバザールでシンプルなストーブを譲り受け、冬に備えて薪や炭を集め始めました。となりの岡先生から家具の工房とお聞きして、もし、不要な材木くずなどありましたらいただきたく、お訪ね致しました。



Hauska tavata, nimeni on Noguchi. Aloitin juuri asumisen kaupungissa. Perimme syysbasaarissa yksinkertaisen kiukaan ja aloimme keräämään polttopuita ja hiiltä valmistautuessamme talveen. Kuulin naapurin herra Okalta, että se oli huonekalupaja, joten vierailin siinä toivossa, että saisin sieltä mahdollisesti jääneet ei-toivotut sahatavarajätteet.


 しばらく、またストーブの元オーナーから一輪車をお借りして、山への道を登って行くのだった。


 山の中腹に篠崎さん宅と同じロッジ風の建物を見付け、カンティーニュと読むのだろうか?「COTINUE」と描かれたイラスト看板を発見。傍らからスキンヘッドにパイプを咥えた長身のオーナーにお会いできた。

「ハロー、グッドモーニン! ウジュユウ プリーズ・・・」

 私は懐に入れて来た自称フィンランド語の手紙を差し伸べたのだ。

「おう、ウェルカムですね。それはそれは。よく来てくれました。ノグチサン。わたくし、ノビ・ケリーともうします」

 なんといきなり日本語ではないか。

「えっ、ノビさん?、ですか。日本語うまいのですね」

「おてがみ、わざわざありがとう。木は沢山あります。どうぞどうぞ」

 COTINUEとは英語のCONTINUE継承するという意味らしい。

 もともとアイルランドのダブリン出身と聞いて、にわかパイプファンとしてはピーターソンというパイプメーカーの発祥の地。なるほどくわえられたパイプもピーターソンのベントタイプ。一般的にマドロスパイプと呼ばれる「❓」のように曲がったフルベントという形の中で一番緩やかな曲がりのタイプ。吸ってるパイプタバコはスリーナンス。葉っぱひとつひとつが小さいコイル状に丸められている古典的な強めの香りのフレーバーのタイプ。ここ数カ月の即席パイプ研究が役に立って嬉しかった。

 ノビさんはダブリンからお隣のイギリスに渡りBPブリティシュ ペトリアム、世界的な石油会社の社員として、主にアフリカで油田開発や調査をしていて、仕事でフィンランドで石油プラントの設計をやっている時、フィンランドが生んだ家具デザイン界の巨匠、ウルヨ・クッカプロの工房で働いた時期があり。テレンス・コンランが愛したという椅子のデザインを学んだという。当時、偶然フィンランドの椅子で地元の工業会でのコンテストに入賞。ちょうど石油プラント設計を引退した時期、家具工房と取引のあった日本の家具メーカーに呼ばれ、主に椅子のデザイナー作家としてシティで様々な作品を制作しているのだそうだ。

「おお、ノビさん。すごい経験ですね。まさにインターナショナル」

「のぐちさん。あなたこそレコード針のお仕事、とても素敵ですね。私の故郷、ダブリンでも日本のレコード針はまだまだ現役ですよ」

「シティの自然な風景はフィンランド以上ですね。こんな優しい風景は今までになかった。たまに雪は降っても、とても気候も温暖だし、一年中こうやって外で椅子作りできます。私にとって、こちらの雰囲気、よいインスピレーションが湧きますね」

工房は私のハウスの1.5倍ほど、その中に製作済と呼ばれる椅子ばかりが20脚ほど。それに作業台、電動工具、壁に沢山のノコギリと小振りなカンナと大小様々なヤスリに塗装用の顔料やエアスプレーと足の踏み場もない。壁一面、おしゃれなタペストリーと思ったクロスは、様々な形の椅子にそれぞれマッチしたシートや背板に縫合されるフィンランド産の大切な生地だそうだ。まあ、製作済みの椅子を日本の代理店が引き取りに来るまでの辛抱だそうだが。よって寝る時はハンモックで天井近くの空間で浮いている生活だそうだ。

 さらに、屋外の工房では今製作中の大きいソファーとすべて違うデザインの椅子が4脚ほど。この数々の椅子に囲まれてパイプの煙だけは絶やさない生活だそうだ。パイプの便利なところはタバコが切れてもなんとなれば木の葉や草花で我慢できるのだそうだ。

「煙とお気に入りのレコードさえ聞ければ、新たなシェイプが浮かんできます」

「居眠りしていても、就寝時間でも、思い付いたらすぐにデッサンにしたり、創作中の脚をいじりたくなるですから、身軽に寝ていたいですね」

 

 なぜか、ふたり、たちまち打ち解けあってしまい、椅子の事、パイプの事、好きな音楽の事、今のシティでの生活の楽しみ。話が尽きないことが不思議だ。気が付けばどこからともなくBGMがわりに様々なミュージックが流れていて、見させてもらったオーディオ機器はレコードのオートチェンジャー付のプレーヤー。ノビィは私と同代らしく、往年のバリーホワイトやメリーホプキン、エリック・クラプトン、ジャズの名盤、レコード文化の健在な姿にうれしくなった。 

 ひとつ、なかなか東京までは行くのが億劫もあり、好きなタバコがすぐに切れてしまう事だけが悩みとおっしゃるので、私は五反田の事務所だから帰り道にたまに寄る駅前の大きいタバコ屋で聞いてみますよ。

と別れた。

 おかげで帰りは一輪車にロープで薪やら焚き付けに便利そうな木片を一杯縛り付けてくれた。

「いやいゃ、こんなに一度にもらってありがたいです」

「木はいくらでも・・・、私、家具作るのが仕事ですから・・・のぐちさん、これからもたまには取りに来てください。ぜひパイプ楽しみながらレコード聴きましょう!」


 後日、私がまたいきなり五反田のタバコ屋さんで仕入れたスリーナンス缶5パックと掃除用のクリーナーモールを持参したら大喜びで、

「なかなか、パイプ好きな方も少なくなってしまい、のぐちさん、とてもそのお気持ちがうれしいです」

「こんど、わたし、のぐちさんのパイプチェア、プレゼントさせてください」


 わざわざ岡先生の隣と知って、自作のロッキングチェアを担いで来てくれたのだ。

 なにより、こんなインターナショナルな彼が人付き合い下手な私と同じように考えることが似ていて、お会いして間もなくお互いを頼りに思えてしまうことに奇跡を感じるのだ。

 やはりこれこそノビも私同様、のんびり屋で人付き合いが下手で、なんとなく時代の流れに乗れない。つい、新しさに疑問を持ってしまい、逆に引っ込み思案。

 例えようもないが、強いて例えれば、まるで、全面結氷した湖を一列で渡っているのに、なんとなく立ち止まってしまう輩。つい、立ち止まって、後ろや周囲を見渡したくなる。大雑把なくせに、変なところに細かい性格。なるほど、そんなシティに呼ばれた同じメンバーなのだ。と痛感させられている。

 以来、私はハンモックでの就寝スタイルにヒントをもらって、何度かもらった材木や牛乳工場に頭を下げもらって来た帆布製の駆動ベルトと組み合わせたハンドメイドのヤツに熱を上げている。ついでに工場で頂いた古い消防ホースも十文字にクロスさせて編み込んでみると、さらに安定した寝床になるのだ。なるほど、部屋の上部の空間とは床に比べ意外と暖かく、なにより浮遊感にたまらなく自由を感じられる性格なのだ。と、気付かされたのだ。

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