「非日常アナログシティ」
@takebuchi
はじめに
1988年、私の中に大きな変化が起きた。
個人でも、会社組織でも、自分が働いてきた仕事が世の中からいらなくなる。会社自体が無くなる。業界自体の存続までが危ぶまれる。そんな経験をしてみると、覚悟はしていたもののかなり落ち込むものなのだ。
レコード針会社の技術員だった私は、入社2年目の会議の事を覚えている。
ある日・・・、
会議室はいつものように議題を消化し、解散しようとしていた。
「ほかに何かご報告、ご質問等ございますか?」
そこで恐る恐る手を上げた人物がいた。技術開発主任の野口だ。
「あのう、今朝の新聞にあった記事ですが、『非接触型の音声再生装置』という見出しだったんですが、光ディスクにデジタル信号化して記憶させレーザー装置で読み取る技術だそうです」
それだけ言うと野口は黙ってしまった。
「で?」
先を言うように、司会役の販売部長が促した。
「で、従来のアナログ信号を、デジタル化して再生するわけです」
野口は2年ほど前、K大の工学部から採用した二人目の社員だった。なんでも工学部卒業後、音響工学の博士課程に進み、修士終了後さも当然と入社したのだが、頭が切れるのはいいが、商売にはまったくうとい。実践で世の中を渡ってきた者達からすると実にじれったい存在にあった。
「野口君、だからそれが我が社の売上にどうつながるんだね?。何か新規事業のネタかね?」
そう言われて初めて野口は気付いた。きょうは販促会議。販売促進に直接つながらない話題は余計に敬遠される。
「お集まりの皆さんは全員忙しいんだ。わかりやすく説明したまえ」
野口はここはサラリと流して来月の技術連絡会まで延ばそうと、できるだけストレートな言葉を捜してみた。
「要するに『針の要らないレコード』ということです」
「『針の要らないレコード』ね?。そりゃまたゲテものだね。はははっ、大体、針もないんじゃ気が入らんだろう。『蜂のムサシ』じゃないが針があるから蜂なんで、針もなきゃハエだろう」
と、専務は笑った。そして、こう続けた。
「野口君、どこかのスポーツ紙の記事かい?。実際そんな文句を過去に聞いたこともあった。ご存知かな?、今のカセットテープさ。
あの時はレコード会社も画期的だと、かなり乗り気でミュージックテープに流れたが、結局ある程度で落ち着いた。むしろ、レコードをカセットテープに録音して聴く需要が広がった分と、又貸しテープの録音の減でトントンくらいかだ。まあ、うちにとっては又貸しだろうが、今流行りのレンタルだろうが、レコード盤に針さえ落としてくれればいいわけだがな。
その時思ったね、レコードというミュージックソースは文化なんだ。SP盤問題もある。竹針や鉄針しかなかった時代の溝に合う針、まったくアナログだけの音をどうやって減衰させることなく電気信号にスライドさせるか?だ。何かそっちの研究は進んでいるのかい?。
まあ、レコード発祥当時より80年余りという長い流れであり、残してきた盤数ときたら把握しようもない程で、やはり我々にとっては音楽がある以上消えないレコード文化だと思ったよ」
野口と同席していた技術開発部長が手を挙げた。
「専務、あながち野口君の情報も無視は出来ないでしょう。確かに実用の域にはまだ達していませんが、一応検討の余地はあるかもしれません」
あとを販売部長が受け継いだ。
「その辺りについては杉山君、技術開発部長のあんたの仕事として、
野口君、我々は君が生まれる前から、針の一本、血の1滴でモノラルの時代からここまでやってきたんだ。ただの竹針、鉄針からサファイヤ針、ダイヤ針、オーバル針へと、ソノシートなんて薄いレコードにも泣かされながらな。その都度、世の中の流れに合わせながら乗り切ってきたんだ。それよりもなによりも専務の言われるようにレコードとは文化なんだよ。これは逆にどうあがいてもかえられない、大衆の欲求なんだ。君もレコード針メーカーにいる以上、そこのところをもう少し勉強してみなさい!」
会議は持論の正当性に酔った顔付きの経営陣と、退屈な時間にうんざりした出席者の顔だけを残して終了した。
それから、3年と経たない
ある日・・・、
飛ぶ鳥を落とす勢いだった大手レコード針メーカーの技術員の私は、音響製品問屋の倉庫会社に出向となり、
在庫管理のかたわら、何気なく、返品で戻ったダンボールからのぞいていたCDプレーヤーの取扱説明書を初めて手にしたのだった。
「針の要らないレコード」=「CD」の出現に80年、90年と続いてきたレコード文化はひとたまりもなかった。誰もが予想していた以上に過激で、体感したことのないスピード感の変化だった。勤めていたレコード針メーカーが正式に解散したのは1990年(平成2年)3月のことだった。
そして、
ある朝目覚めると、見知らぬ里山の盆地で暮らし始めた自分がいた。
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