5.新しい仕事

 塔の入り口には二人の兵士がいる。二人とも杖を持ってはいない。ごく普通の警備の兵士だ。ホレスが彼らに軽く頭を下げ、イルマもそれに倣う。兵士二人は槍を胸に当て、顎を上へ向けたまま微動だにしない。

 ホレスの部屋は塔の五階にあった。煙と偉い人は上へ行きたがると言うが、年寄りは階段が辛い。必然的にホレスは上の方になる。五階には部屋が二つ北と南にあるが、使われているのは南側の部屋だけだ。


 茶褐色の重い扉を開けると、豪華な長椅子が二組、机を挟んで並んでいた。

 その一つに、こちらへ背を向けて金色の頭が覗いている。肩より短いそれを、藍色のリボンで束ねていた。背もたれに置かれた手には、大きな石の指輪が光っていた。インプロブ家に伝わる家宝の指輪だ。透明の金剛石が銀の台座にはまっている。


 扉を開く音で彼は立ち上がり、イルマの姿をみとめると相好を崩した。淡い水色の長衣(カフタン)が、彼の薄い色合いによく似合っている。


「ああ、我が愛しの妹よ……なんだいその泥まみれな姿は」


 ホレスよりもさらに背が高く、憧れの貴族の容貌を体現しているかのような兄、サミュエルは、笑顔から一転、眉をひそめ渋い顔でイルマを上から下まで眺める。白い肌に、高貴なる青い瞳。それがぐっと近づく。イルマの顎をとり、上へ向ける。そのままいつもと同じように貴族の令嬢にキスするかのごとく、彼女の顔を検分した。


「あっちにもこっちにも、随分細かい傷があるな。俺の大切な姫君の顔に、いったいどこのどいつがこんなひどいことをしたのか」


 飄々とした物言いだが、相手が人間であれば間違いなく、後でこっそりそれなりの報復をする気だ。そう、瞳が物語っている。


「フルテク蔦ですよ」


 イルマを溺愛する兄の所行を、ホレスはまったく意に介さず、さらに奥の部屋へ向かう。こちらは応接のための部屋であり、奥がホレスの私室だった。


「薬草園の除草ですか。確かにあれは凶暴だ。それにしても、お前は女の子なんだから男どもにやらせればいい。せっかくの美人が台無しじゃないか」


 サミュエルはそう言うと、部屋の隅の棚から薬箱を持ち出す。誰もが避ける言葉を、彼は惜しみなく、ことあるごとに強調する。彼に言われるのは慣れている。小さな頃からで、さすがに苛立ちも起こらない。ただ少し、寂しいだけだ。


「やめてよ兄さん。こんな傷の一つや二つ。王属護衛官になったらこれくらい日常茶飯事よ」

「王属護衛官の魔法使いが顔に傷をつけているようでは、周りは全滅でしょうね」


 再び奥から現れたホレスは、笑いながらそう言った。

 優しくあるからこそ、師匠(せんせい)の指摘はかなり痛い。


 彼の手には羊皮紙の巻物がいくつかあった。どうやら地図のようだ。イルマを長椅子に座らせて、傷の手当てをする兄へ体は向けているが、顔だけはしっかりと師匠(せんせい)を見る。ホレスの準備が終わると同時に、サミュエルも薬箱の蓋をパタンと閉めた。頬に塗られた消毒液の匂いが鼻を突く。


 サミュエルはイルマよりも二つ上。同じくホレスを師匠(せんせい)としていた。彼は今は落ちぶれて末席ぎりぎりを保ってるに過ぎないが、それでも六貴族であるインプロブ家の長男だ。実力もあり、家柄も十分。本来なら引く手あまたの存在だったが、少々素行に問題があった。魔法学校時代から浮き名を流しに流しまくる彼を、手元に置いて指導しようという奇特な教育係がおらず、結局兄妹揃ってホレスの世話になっている。


「サミュエル、沈黙の結界を」

「はい――解(フィーニス)」


 長椅子に立てかけてあった杖を取ると、サミュエルは軽くその先端を回す。石の色は透明。かなり珍しいものだ。

 魔石は魔法学校に入るとき、水晶や金剛石などの透明な石を使って作る。それが入学の儀だった。在学中肌身離さず持っていることで、単なる石だったものが、次第に自分の魔力を帯びてくる。と同時に、色がつくのが普通だった。ホレスのように瞳の色と同じものになることが多いが、イルマの魔石はオレンジ色に染まった。それ自体は珍しくはない。だが、まったく色がつけかないことは滅多になかった。本当に魔力が通っているのかと疑いたくなるが、こうやって卒業のとき杖にはめ込み、魔力の引き出し口として使っているのだからこの石は間違いなくサミュエルの魔石なのだろう。


 沈黙の結界は初歩の初歩。その内側で話されることを、人に聞かれないようにするものだ。魔法を知らない者にしてみれば、直前までと同じように談笑しているようにしか見えない。話しているということはわかるが、その内容を知ろうとすれば他の音が邪魔で言葉として理解できないようになっていた。もちろん口の動きにも目くらましがかかる。


 ただし、方程式をいかにきれいに美しく解くかで、その結界の性能が決まる。目の粗い結界は、魔法でこっそり聞き耳を立てられることもあった。


 反対に、魔法使いの前で沈黙の結界を使うことはまずない。結界を張っていることはわかるし、下手に使えばいったい何を話しているのだと好奇心を誘い、いらぬ不満を膨らませる。

 サミュエルの沈黙の結界はなかなかの出来で、師匠せんせいも良しと頷いた。


「仕事が一つ、入りました。二人はニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉のことは知っていますね?」

「王都レグヌスセスの西、モンス山脈の東にある大きな沙漠ですよね?」

「そうです。レグヌス王国の国土の七分の一を占める大きな不毛の土地です」


 内陸に入れば入るほど、寒暖の差が激しく土地は乾く。だが、魔法使いを有するこのレグヌス王国においては、さほど深刻な問題ではなかった。定期的に魔法で水を運び、土地を潤す。気温は生態系をあまりに変化させてしまうために手を加えることが禁じられているが、飢えて乾くことはなかった。


 あの土地の緑化計画に参加している友人がいる。彼からニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉の異常さは聞いている。どんなに水分を投下しても、それを保潤する方程式を施しても、沙漠は乾き、その勢力範囲を徐々に広げて行っていた。放っておけば、いつか、何百年後かには、この国全土が沙漠の乾きに覆われてしまうことになるという。


「先日、一つの情報が入りました。ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉に、魔原石があると」

「ええ!?」

「まさか!」


 イルマとサミュエルは同時に声を上げる。

 そして互いに顔を見合わせた。

 瞳が、信じられない、馬鹿なと言っている。


 魔原石は、魔法使いたちが杖の先に持っている魔石よりもさらに強い魔力を秘めた、大きな石だ。イルマが見たことがあるのは、母校のフェンデルワース魔法学校の地下にある緑色の魔原石クリュソスプラだが、地中から顔を覗かせている部分だけでも、彼女が両手を広げたときより大きかった。実際はどれだけのものなのか、想像もできない。他にも二つの魔法学校の地下に、魔原石がある。つまり、レグヌス王国には三つの魔法学校と三つの魔原石があった。


 この魔原石はレグヌス王国が興る前、魔法により繁栄し、そして滅んだウェトゥム・テッラ〈古王国〉が造り上げたものだと言われている。ウェトゥム・テッラ〈古王国〉はレグヌス王国だけではなく、北のセプテント王国から、東のオリス王国、そしてレグヌスと陸つなぎではあるが、モンス山脈に阻まれたその向こう、西にあるオキデス帝国まで、この世界全土を治めていたと言われている。


 強力な力の礎となっていたのが、魔力の詰まった魔原石なのだ。


 今では、その力を自由に扱える者がおらず、入学の儀で、魔原石からほんの少しの魔力を引き出し水晶や金剛石に移し取る、魔力の種として利用されていた。魔力の種を植え付けることによって魔石となり、イルマたちが本来持っている魔力を吸い込み己の魔石となるのだ。


 これによって自分の中から魔力を引き出しやすくなる。魔力の道筋を作る役割をした。

 つまり、魔原石は魔法使いを育てるための大切な基盤なのだ。


 ホレス師匠せんせいは軽々しく嘘をつくような人ではない。サミュエルが口笛を吹き、長椅子にどっしりともたれた。


「素晴らしいですね。誰ですか、その魔原石発見の栄光を浴したのは」

 だが、ホレスの眉間には深い皺が刻まれた。喜ばしい事態であるのに、彼の顔が晴れず、イルマは怪訝な表情を浮かべて兄を見た。


 彼も師匠せんせいの不審な態度に組んでいた足を解く。


「最近王宮の地下で亡くなった魔法使いに何か関係しているのですか?」

 サミュエルの言葉に、はっと顔を上げたホレスは、やがて苦笑を浮かべた。

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