6.任務の裏事情
サミュエルの言葉に、はっと顔を上げたホレスは、やがて苦笑を浮かべた。
「師である私を差し置いて、君はいったいどこに情報の網を張っているんですか」
「上には疎まれますが、友人は多いのです」
話が見えないイルマは、二人の男を交互に見比べる。彼らはよくこうやって秘密めいたやりとりをする。そんなとき、兄は貴族の顔をした。
「もう! 私にもわかるように話してください」
兄の
「本来ならめでたき事態です。それがまったく漏れ聞こえてこないのがおかしいと思いませんか?」
言われて確かにそうだと気付いた。
イルマだって決して友人が少ないわけではない。お喋りは女性特有のものと思われがちだが、同僚たちは暇があれば宮廷内で起きた様々なことを話題に上らせた。くだらないゴシップから――その八割に兄が関わっているのには肩身が狭い――新しい人事まで、位の壁を越えて取りざたされる。
新しい魔原石の発見ともなれば、雑談をしてよいときでなくとも、ちょっとした隙間を縫ってイルマの耳にだって入ってきたはずであった。
それがまったく聞こえてこない。
「隠されているのですか? でも、なぜ」
「隠さねばならない話がついてくるからだよ。……
サミュエルの恨めしそうな声に、ホレスはふわりと微笑んだ。
「本当に、弟子の中でも事態の理解は飛び抜けている。魔法使いでなく謀略を巡らす文官の方が君には似合っているように思うよ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「当たり前だろう。よくできた弟子だと言っているんだ」
またイルマにはわからぬ話の流れに、彼女は頬を膨らませる。
そんな彼女を見て、ホレスは机に広げた地図の一点を指さした。
「魔原石があると言われているのはこの辺り、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉の奥の奥。本当に中心の辺りです。早足の魔法を使ったとしても、一番近い都市、ティルムから二日はかかります。国はもちろんその真偽を確かめたい。けれど、問題があった」
「沙漠だから、行くのが大変なんですか?」
「魔法を使えればあまりたいした問題にはならないだろう? 確かにニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉は少々魔法の効きが弱いと言われているけれどね。問題は、何か罠が敷かれている可能性があるということです」
なぜと言いかけて、やめる。先ほどからずっと質問を繰り返している。
黙り込んだイルマに、ホレスは目を細めて続けた。
「この魔原石発見の情報も、嘘かもしれないということです」
彼の言葉にハッと顔を上げると二人の視線は絡み合う。
「ことの始まりは一人の魔法使いでした。不審な行動を取る彼を捕らえ、情報を引き出したところ、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉にある新しい魔原石と、そこから魔力を取り出している他国の人間がいるという話が得られました」
「他国がっ!? まさか、オキデス帝国?」
そこまで詳しく知らなかったのか、サミュエルも顔色を変える。
ホレスは重々しく頷いた。
「その魔法使いが言うには、オキデス帝国の人間が我が国の領土に入り、魔原石から魔力を得て魔法を使えるようになっているとのことです」
「魔法をっ!?」
あまりの出来事に、イルマは知らずのうちに右手で自分の口を押さえていた。
ウェトゥム・テッラ〈古王国〉は一夜にして滅びたと言われている。その後、魔法によって治められていた国は、各地で独立し現在の国々の元ができた。
ただ、レグヌス王国の始祖は、ウェトゥム・テッラ〈古王国〉で生き延びた王族たちだと言われていた。彼らは過去を戒め、魔法への過度の依存を禁じた。新たに強い魔力を得るものがおらず、魔力を身に宿す者はレグヌス王国内でしか見られなくなったと言う。
イルマやサミュエルなど、貴族は比較的魔力を多く持っている者が多い。王族との婚姻がそのような結果をもたらしているのだろう。それは容姿にも現れていた。白い肌に色の薄い髪の毛、そして青や緑の瞳だ。
反対に、肌の色や髪、瞳の色が濃い者たちは魔力の量が少ない。魔力は潜性遺伝なのだ。
他国にイルマのような淡い色合いの人種はいない。そして、魔力を持った者もいないはずだった。まして、過去の技術は失われ、現在では魔法学校に入り、魔石を作り上げなければまず魔法を使うことはできない。
他国に魔法使いはいない。
レグヌス王国が戦を優位に進められるのは、魔法使いがいるからこそだ。使い方によっては、一人の魔法使いは優秀な兵士百人に相当する。
ほとんどが、レグヌスとは友好的に付き合っているのが現状だ。特にここ何世代かの王は、争いごとを好まず現在の領土を維持し、人々の暮らしが平和であるように望む傾向があった。
積極的にレグヌス王国と戦おうとするのは、モンス山脈に阻まれているとはいえ、陸続きであるオキデス帝国くらいだ。
国境ではことあるごとに小競り合いが絶えず、そして、年に数人魔法使いが消えた。
魔法を学ぶために拉致されていると考えられた。
こちらから必要以上に攻め立てることはせず、国境を遵守するレグヌス王国だが、オキデス帝国が魔法を手に入れれば話は変わってしまう。
ひどい戦が始まるだろう。
「さて、ここからが本題です。王は国家の基盤を揺るがすゆゆしき事態と判断しました。すぐさま事の真偽を確かめたい。ですが、王属護衛官が赴けば、もし今回のことが本当なら相手を警戒させてしまいます。ティルムでも噂はすぐに広まるでしょう」
ティルムに王属護衛官が行くことはたいした問題ではないが、彼らが沙漠へ入って行けば話は別だ。捕まった魔法使いがどういった役割をこなしていたかが問題ではあるが、こちらが知っているのがばれるのは、出来るだけ先送りにしたい。
「そこでまず、本当に魔原石はあるのか? あるとしたら、そこで何者が何をしているのか? この二点を確認するのが我々の使命です」
イルマは息を飲む。
そうか、と下でのやりとりを思い出す。
ホレスはこれをメルヴィンから奪ったのだ。成功すれば間違いなく輝かしい功績となるが、反対に失敗すれば王国に重大な被害をもたらす。だから、メルヴィンは押し付けられる形で仕事を得たかった。誰も挙手しない中で、順番だから仕方ないと言って弟子をやり、自分は高見の見物でどちらへ転んでもいいように構えていたかったのだ。
「今回の仕事は普段のものとはまるで違います。拒否権を与えましょう。選ぶのはイルマです。が、もし断るのなら一段落するまで隔離させてもらいますよ。漏れてはいけない情報ですからね」
サミュエルが手の平を顔に当て、天を仰ぎ見る。
イルマに適任かもしれないという意味もわかった。それだけ軽んじられているのだ。
女の宮廷魔法使い、誰もがイルマに重きを置かない。
実習の一環として気楽な貴族のちょっとした研修旅行として見られることが自分でもわかる。
そっと唇を噛んだ。
「言ったでしょう? チャンスです」
ここに来るまでの会話を思い出す。
「今朝の会議で、我々教育係全員に話がありました。ですが誰をとまでは言わない。皆、危険に怖じ気づいているのです。現役を引退した老人どもには、国の危機とはいえ寒暖の差が激しい沙漠へ、しかも罠が敷かれているかもしれない場所へ赴くだけの勇気がなかったのでしょうね。自分の弟子の未来など、欠片も考えていない。あの沈黙はなかなかに見物でしたよ」
ホレスは楽しそうに笑った。
性格が悪い。たまにそう思う。
だが、そこまで言わせるほど、不甲斐ない惨状だったのだろう。
「考えてみてください。初めから私に押し付けることすらしなかった仕事です」
それだけ栄誉は大きい。
簡単に他人にやってしまえるほどの安い案件ではなかったのだ。
「今回は私が呼び寄せました。選ぶのは君です」
念を押されるまでもなく、答えは決まっていた。
危険な仕事になるかもしれない。
けれど、今選ばなくていつ何を選ぶと言うのだ。
「ホレス
隣でサミュエルが深いため息をつく。ホレスはにこりと笑って軽く頷いた。
「なぜ俺まで呼んだんですか」
「君のお父上は六貴族のインプロブ家。変な圧力をかけてもらっては困ります」
「六貴族と言っても末席ですよ。父は入り婿ですし」
「けれど、彼はイルマを溺愛している。君以上にね。娘可愛さに横やりを入れられてはたまりません。君も一緒に行くとなれば、まだ納得していただけるとね」
本当の使命を話すことはないだろうが、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉に行くとなれば父は大騒ぎだろう。だが、兄が一緒に行けば違う。普段の所行はどうあれ、父は兄の、イルマに対する扱いをとても評価していた。自分の身を挺してでもイルマだけは守りきると信じている。
「ずるいですよ、
「イルマの師が私であるということも重要なんだよ、サミュエル」
「……」
憮然とした表情で黙り込んだ彼を放置し、ホレスは話を進めた。
「一応、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉の緑化対策の視察ということになっています。フェンデルワース魔法研究所で、国が支援している研究室があるから、そこの誰かを一人か二人つけてもらうことになるだろうが――」
研究所と聞くと、イルマの表情がきらきらと輝き出した。
「心当たりでもあるんですか?」
「はいっ! はいはい! とってもほどよく去年研究所に入ったばかりで緑化方程式をこねくり回してる適任を知ってます!」
身を乗り出して手を挙げるイルマに、ホレスも笑顔で応えた。
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