第4話「ドッペルケンガー?」

 みなさんは、もう一人の自分に出会ったことありますか?

 ある訳ないですよね?

  ご存知かもしれませんが、もう一人の自分と出会う現象のことを"ドッペルゲンガー"と言うそうです。

 この"ドッペルゲンガー"に遭遇すると死ぬなんて言われたりもします。

 まあ、どこまで本当の話なのか分からないですけどね。

 もちろん私も経験したことはありません。

 でも、それと似たような不思議な経験をしたことはあります。


 今日はその話をしたいと思います。




               1



 このお話を始める前に、上司だった桜井課長について紹介する必要があります。


 以前にも少し触れましたが、私が配属されたのはQ電気のアフターサービス部門としては最大の拠点である『東日本総合サービスセンター』というところでした。

 そして私が配属された”特殊部隊”=第7サービス課は『東日本総合サービスセンター』にしか無い部署です。

 桜井課長はその第七課の課長だったのです。


 初対面での印象は最低でした。

 なにしろ第一声が


「お前、履歴書の写真よりずっと可愛いじゃないか」


 でした。

 この人何を言ってるんだろうと思いました。

 私は初対面の男性にいきなり「お前」呼ばわりされた事が無かったので面を食らいました。

 そこはまあ上司だからいいとしても、次の発言には流石に呆れました。


「お前、バストDカップだろう」


「違います!」


 咄嗟にそう応じましたが、うっかりサイズを答えてしまうところでした。


「違うのか? うーん、でもCはありえないから、Eか……もしかしたらFか?」


 私が対応に困っていると、ファッションモデルのような綺麗な女性が現れて私を救ってくれました。神宮礼為子かみやれいこさんです。私の配属された7課2係の事務スタッフの女性で、課長をたしなめてくれました。

 でも、その後しばらくの間、課長は私のことを「Dカップ」を呼び続けました。

 今なら訴訟を起こされかねない、明らかなセクハラ発言です。会社から処分があるに違いありません。

 しかしこの時はまだギリ昭和時代。

 問題にはなりませんでした。(まあこの時代でも、かなり微妙な発言でしたけどね……)


 桜井課長との出会いは最低なものでしたが、公平を期すために付け加えておきます。

 そのセクハラ発言とは裏腹に、課長はいやらしい目で女性の体をジロジロ見るとか、スキンシップと称して触ってくる、といった行為はありませんでした。   

 頼りになる上司でしたし、セクハラ発言さえなければ良い上司だったんですけどね……。


 さて、そろそろ本題に入りたいと思います。


 


               2




 その日の私は、社内で少し面倒なデータの整理に取り組んでいました。

 そこまで急ぐ業務でもなかったのですが、新人教育の側面もあって命じられたのです。レポートを纏めるのに、三日間の猶予を与えられました。

  書類仕事は苦手でしたが、正直、私は少しホッとしていました。

 なにしろその三日間は心霊現象に向き合わなくていいのです。

 でも、この考えが甘かったことをこの後すぐに思い知ります。


 それは三日目のことでした。


 その日は事務の礼為子れいこさんは有休でお休み、石和しさわ先輩は外勤だったので、二係には私一人です。

 七課二係は事務所スペースの関係で、独立した部屋が割り当てられていました。霊障を恐れて隔離したなんて噂もありましたけどね。

 わたしは午前中には概ねレポート作成し終えて、午後から提出前の最終確認をしようと考えていました。

 正午のチャイムが事務所に流れる直前、背後から声がしました。


「おいDカップ、レポートはできたのか」


 と、桜井課長が話しかけてきたのです。

 私は少し驚きました。課長は地方へ出張中で、帰ってくるのは夕方近くになると聞いていたからです。


「桜井課長、もう出張から戻られたのですか?」


 と私が聞くと課長は


「うん、ちょっとプライベートで急用ができてな、今から帰宅しなきゃならんのだ」


「そうですか。レポートの方は午後から最終チェックするつもりです」


 レポートは今日中に提出して、明日課長のチェックを受ける予定でした。


「ああ、そうか。すまんが、俺は明後日まで会社に出られないから、レポートは権藤部長に提出しておいてくれ。部長には話を通してある」


 それだけ言うと、桜井課長はすうーっと静かに去っていきました。

 この時、私はちょっと不思議な感じがしたのですが、お昼ご飯ということもあってそれ以上は考えませんでした。


 昼休みが終わってすぐ、私あてに電話が入りました。

 桜井課長からです。   

 さっき言い忘れたことでもあるのかな? 訝しながら電話に出ると、   


「Dカップ。レポートは順調か?」

 

 と、さっきと同じことを訊かれました。くどいな、と思いつつも


「ええ、今、最終チェックをしているところです」


 と答えると、


「明日、そのレポートの確認をするつもりだったが、こっちでトラブって帰れなくなった。明日まで出張だ。俺は明後日までそっちには出られないから、レポートは総務の権藤部長に提出しておいてくれ。部長には話を通してある」


 と言います。


(出張が延びたって何?)     

(プライベートな要件で帰宅したんじゃなかったの?)


 疑問が次々と襲ってきました。 

  

「桜井課長。その話はさっき課長から直接うかがったと思いますが……」


「は? 直接ってなんだよ」


「お昼前に、課長が事務所に顔を出された時、私にレポートについて指示をされたじゃないですか」


「何言ってんだよ。お前なあ、いま俺、九州にいるんだぞ。そっちに顔出せる訳ねーだろう」


「え、でも、プライベートな急用で、昼から帰宅するって仰ってたじゃないですか」


 その説明に課長は一瞬ですが沈黙しました。電話なので表情はわかりませんでしたが、戸惑っているのが伝わってきます。


「確かに、急いで帰りたいのは山々なんだけどな……。とにかく俺は明日までは出張だ」


 課長はそう言うと、この話を切り上げて、石和先輩や礼為子さんへの伝言を残して電話を切りました。

 私は混乱しました。

 もう全く訳がわかりません。

 揶揄われているのかとも思いましたが、桜井課長は仕事中にこんなつまらない冗談を言う人ではありません。(まあ、セクハラ発言はしますがね)     

 様々な考えが浮かんでは消え、消えては浮かびました。

 でも納得のいく答えは見つかりませんでした。




               3



 やがて、有休をとっていた礼為子さんが会社に出てきました。

 今日は除霊に行っていたそうです。

 この素敵な事務員さんはとても霊感の強い人です。

 彼女は会社に来るなり問いかけてきました。


「今日、誰か来た?」


 そして私の顔をまじまじと見つめると「何かあったのね」と話を促しました。              

 もうそこからの私はマシンガントークです。

 礼為子さんはだまって聞いていましたが、話がひと段落すると、ひとこと——


「それは桜井課長の生き霊ね」


 と静かに頷きました。       

 生き霊というやばいワードに私がビビっていると、ちょうど石和先輩が外勤から戻ってきました。

 先輩も私たちの様子に何かを感じたようです。


「どうしたんだ?」


 私は再びマシンガントークをする羽目になりましたが、とにかく話を聞いて欲しかったのです。

 先輩は礼為子さんとは違い、途中で口を挟みたそうでしたが、私の勢いに押されて黙っていました。


「権藤部長と勘違いしているんじゃないのか」


 話を終えた私に、先輩はそう指摘しました。


「それはありえません。私をあの呼び方をするのは桜井課長しかいません」


 権藤部長が私に「おいDカップ」なんて言うはずがないのです。

 実際、しばらく後の話になりますが、桜井課長が私に「Dカップ」と呼ぶのを止めたのは、権藤部長に厳しく注意されたからなのです。

 私の反論に先輩は納得したようでしたが、謎の言葉を口にしました。


「じゃあドッペルゲンガーだな」


(えっと…… なにそれ?)     


 その時の私にとって、それは聞いたことのない言葉でしたが、何かヤバそうなことだけは容易に想像できました。


 そのあと、生き霊説の礼為子さんとドッペルゲンガー説の石和先輩とで、議論が始まりました。

 ドッペルゲンガーも生き霊の一種だとか、ドッペルケンガーは本人が自分と出会うことを言うのだから今回のは違うとか——私にとってはどちらでもいい話でした。


「私はどうしたらいいんでしょう」


 と半べそ状態の私に、礼為子さんが断言します。


「何もしなくてもいいわ。悪い霊ではないから」


「権藤部長に確認した方がいいでしょうか」


 その問いに今度は石和輩が「やめとけ」と即答しました。


「どう話を持ちかける気だ。バカだと思われるぞ」


 言われてみればその通りです。話をどう切り出せばいいのか、検討もつきません。

 結局、この話は三人で共有するに留めることにしました。



  後で分かった事ですが、あの時の桜井課長、本当は一刻も早く帰宅したい出来事が起きていたようです。

 あの日の午前中、課長のお母様が交通事故に遭われたそうなのです。 

 軽傷だという情報が入っていたようですが、それでも気が気では無かったに違いありません。

 でも責任感の人一倍強い課長がトラブっている現場を放り出す訳もなく、また、時は昭和です。家族よりも仕事優先と言う感覚が色濃かった頃です。

 結局、帰る事はありませんでした。

 礼為子さんが

「事故の連絡があったのは何時頃なのですか?」

 と質問したそうです。

 すると、正午になる少し前、という返答があったとのこと。


 正午の少し前……


 そう。


 私の前に、もう一人の桜井課長が現れた、あの時間です。



 石和先輩がいいました。


「ここにいたら、時々そういう不思議な事を経験する。気にするな。そのうち慣れる」


(いや、そんなの慣れたく無いんですけど……)

 

 しかしその想いとは裏腹に、私はこのあと徐々に不可思議現象に慣れてくことになるのでした。 



Y子の怖い業務日誌 第4話「ドッペルゲンガー?」(終)

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