第2話 ダストヘイムの洗礼
フィアに手を引かれるようにして、俺は王都アステリアの城壁……とは名ばかりの、ところどころ崩れた土壁の外れへとやってきた。
彼女が言うには、ここから先が『ダストヘイム地区』らしい。
「ダストヘイムはね、王都から見捨てられた人たちが寄り集まって暮らしている場所なんだ。だから、ちょっと……うん、色々すごいけど、びっくりしないでね」
フィアはそう言って苦笑いする。
その言葉の意味は、一歩足を踏み入れた瞬間に理解できた。
まず鼻をついたのは、腐敗臭と汚物の臭いが混じり合った強烈な悪臭。
目の前に広がるのは、迷路のように入り組んだ細い路地と、今にも崩れ落ちそうな廃材で作られたバラック小屋の群れだった。
道端にはゴミが散乱し、痩せこけた犬がそれを漁っている。
すれ違う人々は、誰もが汚れた衣服をまとい、その表情は無気力か、あるいは猜疑心に満ちた鋭い光を宿していた。
俺のいた世界の、どんなスラム街よりも酷い。
転生前の自分の境遇ですら、まだマシだったんじゃないかと思えるほどだ。
これが、異世界の現実……。
俺は言葉を失い、ただ立ち尽くすしかなかった。
「こっちだよ、タク兄!」
フィアは俺のことをいつの間にか「タク兄」と呼ぶようになっていた。
彼女は俺の手をぐいと引き、迷路のような路地を慣れた足取りで進んでいく。
しばらく歩くと、少しだけ開けた場所に、他よりはいくらかマシな、しかしやはり粗末なバラック小屋が見えてきた。
そこがフィアの住処らしい。
「院長ー! ただいまー! あのね、お客さん連れてきたよ!」
フィアが元気よく声をかけると、小屋の中から杖をついた老婆がゆっくりと姿を現した。
年の頃は七十歳くらいだろうか。皺だらけの顔だが、その瞳にはまだしっかりとした光が宿っている。
老婆は俺の姿を値踏みするように一瞥し、フィアに尋ねた。
「……フィア、このお方は?」
「えっとね、タク兄って言うの! さっき、悪い役人から助けてもらったんだ!」
フィアが事情を説明すると、院長と呼ばれた老婆は少しだけ目を見開いたが、すぐにいつもの険しい表情に戻った。
「そうかい……。まあ、立ち話もなんだ。中へお入り」
促されるまま小屋の中に入ると、そこは薄暗く、決して広くはないが、十数人の子供たちが身を寄せ合って暮らしているようだった。
子供たちは皆、痩せていて、服もボロボロだ。
よそ者である俺に、警戒心と好奇の入り混じった視線を向けてくる。
どうやらここは、孤児院のような場所らしい。
院長は俺に、一晩だけなら、と寝床を提供してくれた。
夕食は、石のように固い黒パン一切れと、具のほとんど入っていない薄い野菜スープだけだった。
子供たちは、それでも文句も言わず、黙々とそれを口に運んでいる。
その姿を見ていると、胸が締め付けられるようだった。
フィアから聞かされたダストヘイムの日常は、俺の想像を絶するものだった。
ゴミ拾いや、危険を伴う日雇いの単純労働でわずかな日銭を稼ぐ。
まともな食事にありつけるのは稀で、病気になっても医者にかかる金などない。
飢えや病で死んでいく者も珍しくないという。
この世界の理不尽さを、改めて突きつけられた気がした。
そして、今の自分には、何もできないという無力感も。
ふと、俺は自分のスキルを思い出した。
『絶対徴収』と、『公平分配』。
役人から奪った金貨は、まだアイテムボックス的な異空間にいくつか残っているはずだ。
これを、この子供たちのために使えないだろうか。
俺はこっそりとフィアに相談し、役人から徴収した金貨の一部を銅貨に両替してもらった。
そして、近くの市場でパンや干し肉、果物などを少しだけ買い込み、孤児院に戻った。
「みんな、ちょっといいかな」
俺が声をかけると、子供たちが不思議そうに集まってくる。
俺はスキル『公平分配』を意識し、目の前の子供たちに、買ってきた食料が最も必要としている子に行き渡るように念じた。
【スキル『公平分配』を発動。対象:指定範囲内の困窮者。分配リソース:パン10個、干し肉5パック、リンゴ5個、銅貨30枚。実行しますか? YES/NO】
「……実行」
俺が頷くと、手元にあった食料や銅貨が淡い光と共にふわりと浮かび上がり、次の瞬間には、それぞれの子供たちの手元や、食卓の上に正確に配られていた。
ある子にはパンが二つ、別の子には干し肉とリンゴが、そして幼い子には銅貨が数枚。
まるで、それぞれの必要性を正確に見抜いたかのように。
子供たちは最初、何が起こったのか分からず目を丸くしていたが、やがて目の前の食べ物に気づき、歓声を上げた。
「わあっ! パンだ!」「お肉もある!」「タク兄、ありがとう!」
子供たちの屈託のない笑顔と、驚きと感謝の入り混じったフィアの表情。
それを見て、俺は『公平分配』スキルの確かな可能性を実感した。
そして、この過酷な世界で生き抜き、フィアやこの子供たちを守るために、そして何より、俺自身が二度とあんな惨めな思いをしないために。
このスキルを使って、何かを成し遂げなければならない。
そんな決意が、俺の中で静かに、しかし力強く芽生え始めていた。
異世界での俺の人生は、まだ始まったばかりなのだ。
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