25. あなたをずっと見守っています

みなとは、離れの縁側に腰を下ろしていた。

目の前には、手入れの行き届いた芝生が広がっている。

ここでよく、木染と組み手をしたものだった。


──卵焼きを食べてくれたのも、この縁側だったな。


懐かしむように目を伏せていると、芙蓉ふようがそっと隣に座った。


「湊、伏間家と……何か関わりがあるのか?」


湊は少し間を置き、ぽつりと答えた。


木染きぞめのことがあった後に、聞いたんだ。親父が誰かと、“伏間藍はもう心配ない”って話してるのを。それで自分で調べた。あの日、祓いの仕事なんてなかった。どこにも記録が残ってなかった」


芙蓉はそれを知っていた。ただ、言わなかっただけだ。


「伏間家のことも調べた。東雲家と昔から対立してきた、調節師の家系だってことも知った。──俺が祓い師をやめて家を出たあと、慧と出会ったんだ。偶然、大学で。同じ学部で、同じ講義を受けるようになって……気づいたら、親友になってた」


「そうだったんだな。縁というのは、あるものだな」


芙蓉はふと、湊がどれほどのものを独りで抱えてきたのかを思った。

そして、あの日の記憶が脳裏に浮かぶ。


──父が、木染を抱えて帰ってきた日。


木染の身体は深く傷つき、全身を魔界の瘴気に包まれていた。

それは、式としての限界を超え、理性を保てなくなりつつある証。

魔に侵された式は、やがて暴走し、人を襲う存在になる。

その前に、契約者が解約の儀を行って祓わなければならない。

さもなくば、魔に呑まれ闇に堕ち、人界にとって永遠の脅威となる。


「湊を呼んでこい」


父・いつきの声には、何の感情も宿っていなかった。

弟子は何も言わず、そのまま走り去っていく。


「お父さん、どうして……どうしてこんなことに……?」

「木染、しっかりして。何があったの?あなたが、こんなふうになるなんて……」


茉莉が駆け寄ると、木染はかすかに首を振った。


「茉莉様……下がってください。私に触れてはいけません。

私は……すでに魔に喰われつつあります。湊様を呼び、私を……祓わせてください」


「そんな……!」


茉莉は言葉を失った。


だが芙蓉は、その場に漂う違和感に気づいていた。

木染ほどの式が、そう簡単に魔に呑まれるはずがない。

東雲家の中でも、最も優れた力を持つ者──その木染が。


その日、木染は父とふたりで祓いに出かけていた。

本来であれば複数の祓い人が、それぞれの式を連れて行動するはずだ。

しかも、斎の衣服はほとんど乱れておらず、血の跡も木染を抱えた際についたもの程度にしか見えない。


──やはり、何かが隠されている。


「茉莉、代わって」


芙蓉は前へ出て、魔の侵食を遅らせる術を展開した。

術式が広がる中、木染がふと芙蓉に視線を送った。

声には出していない。だが、芙蓉にはその目と唇の動きが、明確に伝わった。


──湊様に、刀を。


芙蓉は、自分でもどうしてそうしたのか不思議だった。

自然と木染の傍にある刀に手が伸びていた。


間もなくして、湊が駆け込んでくる。


「木染──っ!」


目に涙を浮かべながら、震える声で叫んだ。


「そんなの、できるわけない!助けられるよね!?

ねえ父さん、姉さん、お願いだから助けてよ!」


「湊、もう木染は助からぬ」


斎の声は冷たく断定的だった。


「契約した主が祓わねば、いずれ暴走する。

それを、お前も理解しているだろう」


「……そんな……!」


茉莉が、震える湊の肩をそっと抱いた。

まるで、先に来る別れを受け入れさせるように。


そのときだった。


「湊様! 早く、私を祓うのです! あなたの手で!」


木染の叫びが空間を裂いた。

激情を込めたその声は、これまでの沈黙を一気に破った。

誰もが動きを止め、息を呑む。


その直後──

芙蓉は迷いを振り切り、手にしていた刀を震える湊の手に握らせた。

全身に押し寄せる恐怖と哀しみを抱えながら、それでも木染の目を見つめていた。


木染はその刃を見て、微かに笑った。

そして湊の手をそっと取り、自らの胸元へその刃を導いた。


「……私は、あなたをずっと見守っています」


その声は湊にしか聞こえなくらいの小さな声だった。


そして木染は、静かに空間へ散った──。


***


「──さん、姉さん? どうした?」

「あ、ああ。ごめん。少し、ぼーっとしていた」


芙蓉は微笑みを浮かべながら答えた。


「湊……伏間兄妹とは、友人としての関係なんだな」

「……ああ。俺は祓いをやめたからな」

「あの場にいたものとして、次期当主として伏間兄妹に謝りに行きたいのだが」

「それは……親父が何か言わないか」

「お父さんには黙っている。その……少し木染のことについても確認したいことがあるんだ」

「わかった。……聞いてみるよ」


湊を見送ったあと、芙蓉は自室へ戻った。

引き出しを開け、奥にしまってあった布包みを手に取る。


静かに広げ、しばらく見つめてから──再び、元に戻した。

その手つきは、決意に満ちていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る