第2話 蝶名林丹十郎慈利 15歳
「丹十!! 稽古の時間だぞ!!」
痣伏城の城下にある蝶名林屋敷の書院。
その襖を勢い良く開く音と嫌に明朗な声が書の世界に埋没するわたしの意識を急激に現実へと引き戻す。
「……何のようですか、兄上」
「稽古だ! 稽古っ!! さあ槍を持て丹十!! 武士たるもの、敵将の首のひとつやふたつ、挙げねば軟弱と言われかねん!!」
「わたしはまだ、六つなのですが」
「構わんッ! 俺も丹十と同じごろには鉄棒を振り回しておったからな!!」
ガハハ、と大口を開けて笑う兄上はわたしの気持ちなど知らずに強引に腕を取ってわたしを屋敷の庭まで引き摺り出す。
確かに……、確かにだ。
加瀬国の名門であり代々東加瀬守護代の地位を任ぜられる蝶名林家のものとして立派な武士とならなければならない。それはわたしとてわかってはいる。
されど……六歳の童に一丈はある棒を差し出して何を考えているのだろうか?
持てと? わたしに? わたしの背丈の三倍はある棒を?
「兄上は……馬鹿なのですか?」
「おいおい丹十、兄に向かって馬鹿とはひどいなぁ……」
「兄上、練習用とはいえ、わたしは自分より背丈のある棒など握ったことはありませぬ」
「うむ、ならこれが初めてというわけだな!! さあ丹十!! 俺と一緒にまずは素振りじゃッ! なぁに、俺も丹十ぐらいの時にはやっておった!! そぉれ!!」
棒を持ち上げようとして見るものの、やはり
「うわぁぁぁぁ!!??」
一丈もある棒に身体が持っていかれ、前方にある松の木に棒が倒れ枝をしたたかに打ち据える。
明らかになってはいけない音がしてしまった。
「おお! やるな丹十っ! 父上の松の枝がぽっきりぞ!!」
「……兄上はどうして誇らしげなのですか?」
明らかに大問題であるのだが。
「何をやっとるんだ!! このうつけがっ!!!!」
音に気付いた父上が怒鳴り声をまき散らしながらわたしたちを窘める。
「父上、形あるもの、いつか壊れる」
「馬鹿モン!! そんなことはどうでもいいッ!!」
「いいんだ……」
兄上が妙に片言でしゃべりショギョームジョーとかジョージャヒッスイーなど喚くも怒りを滲ませる父上の怒りに油を注ぐ始末であった。
「孫八郎ッ!! 丹十郎はまだ身体が出来ておらんのだぞ!! 剣の素振り程度ならともかく身の丈に合わない槍を持たせて如何するッ!!」
「なぁーに言ってんだよ父上。俺でもできたんだから丹十郎に出来ないことはねぇだろ?」
「貴様の進みと丹十郎の進みを一緒にするなッ!! 丹十郎は身体が……」
「なぁ父上。確かに丹十は文弱だが、だからと言ってなんでも最初から無理だって決めつけんのはおかしいだろ。なんでもやらせてみりゃいいじゃねぇか。やる前から諦めさせてどうするんだよ」
兄上と父上の口論は激化し、挙句の果てには父上が棒を握って兄上と撃ち合う始末。
結局、兄上は父上に反対されながらも何度もわたしの前に現れては稽古の練習と言い、わたしに構っていた。
──それから九年が流れ。
私は元服し、丹十郎
大人の仲間入りをし、蝶名林家の家臣として働くこととなり。
私は、自分の才能の限界を否応にも自覚させられた。
嫌が応にも理解させられる。
兄上の太刀筋は憎らしいほど美しく。
兄上の槍の突きは悔しいほどに見事なもので。
兄上の弓の腕は泣きたくなるほど高みへ至っていた。
──私は剣を握るのをやめた。
何度でも見てしまえばわかってしまう。
何度でも隣にいれば気づいてしまう。
私の腕では決して兄上には届かない。
「丹十……丹十……」
兄上の呼びかける声から……私は逃げた。
かないっこしないから。
決して届かないから。
見てしまえば羨んでしまうから、嫉妬してしまうから、憎んでしまうから。
だから、私は逃げたのだ。
「丹十郎様は大丈夫だろうか……」
「生来文弱……、武働きが出来ないとなると武士としては……」
「今からでも寺に押し込めた方が……」
家臣たちの不安がる声を何度も聞いた。
「丹十、稽古の時間だぞ」
そんな中でも兄上は相も変わらず馬鹿の一つ覚えのように私に声をかけ続けていた。
「……結構です。やることがあるので」
嘘だ。別に忙しくなどない。
ただ、兄上と会うことが苦痛でそっけない態度を取ったまでのことだ。
「たわけ、父より奉行の任を解かれたと聞いたぞ。どうせ部屋で籠もって書でも読むのだろう。そんなことより槍を振るって妖獣の一つでも……」
「忙しいと言ってるでしょうっ!!」
「なっ、待て!! 丹十ッ!!」
何も知らないくせに、あるいは知ってのことか。
兄上の言葉が癪に障った。
父上から奉行の任を解かれたのが数日前のことであり、私の後釜に奉行の任についたのが兄上だった。
私は武働きが出来ない。
この加瀬国で武士として妖獣を討ち払えないことが、どれほど無力な存在であるか。私は三年前に思い知らされた。
武士は民草を守るためにある。それはもちろん武力装置として日々山野から散発的に現れる狒々や大熊、化け猪といった怪物を率先して討ち取り、先頭で戦うために存在している。
それが出来ないということは、武士として半人前以下であり恥ずべきことであった。
家臣たちが不安がることも無理もない。
私という存在は、蝶名林家として足手まといということであった。
「良いか丹十、足が痛いからといって敵が容赦してくれるとは限らんぞ」
私が妖獣に襲われてから、兄は少し変わった。
「弱いということは不足ということだ。足りぬから埋める。出来ないのではない、やらないのだ。為すべきことを為さずに端から諦めるなどあってはならん」
そう言って何度も打ち合いを強いられた。
何度も、何度も、何度も。
こんなことをしても何の意味があるのかもわからず。
「握りが甘い。だから小手先の返しで剣がすっぽぬけるのだ!!」
「槍は突く道具でなく薙ぐ道具ぞ!! 四方八方振るえなくてどうする!?」
「腕だけで振るうでない!! ぬしの足は何のためにある!?」
何度も指摘され、何度も手本を見せられ。
その度に自身の欠点を晒されているようで……。
兄との稽古は、何よりの苦痛だった。
だから、その代わりに知恵をつけた。
少しでも家のためになる様に。少しでも民草に何かを還元できるように。
父に奉行の地位を望み、己の政策を披露して職務を進めていくことが性に合っていたこともあって私は奉行という役目に満足していたのだ。
それを横からかっさらったのは、ほかならぬ兄上であった。
「わかっているだろう、丹十郎」
何故と抗議する私に父上は冷徹に答える。
「我が蝶名林家は畏れ多くも加瀬守護代という地位に居る。加瀬国守護である黄金井
黄金井中務大輔
「儂がいなければ孫八郎がこの痣伏の城主として務めなければならん。あるいは孫八郎自身が次の守護代としてふるまわねばならん。で、あるならば武働きのみではなく太守様の傍に侍るにたる格式と礼儀が必要となる。わかるな、あ奴は嫡子で丹十郎、お主は臣下だ。孫八郎がお主の代わりにはなれても、丹十郎が孫八郎の代わりにはなれん。だから、儂は孫八郎を優先する」
父上の言うことは至極まっとうであり、正鵠を射ている。
兄上は嫡子であり、その勤めを果たすために必要であること。
なにより兄上は次代の蝶名林家の当主としての役割を全うしている。
特に武働きにおいては痣伏周囲の妖獣を狩り、痣伏だけに留まらず日置郡の妖獣を刈り取り、勇名をあげているのだ。
武勇一辺倒であり、それ以外は凡庸以下の兄上はこの加瀬国においては将来を嘱望された優秀な跡取りなのである。
──私とは違うのだ。
私の役目であったのだ。
私の唯一できることだったのだ。
私にとって知恵働きは私のすべてであった。
武働きに劣っている分、少しでも何か役に立っていたい。
そう願い、努力をしても……。
私は顧みられることなどなかった。
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