第9話 いじめ
学校からの夜道、私はとぼとぼと帰路についていた。
今日の夕食は何にしようと考えるけど、特に何も思いつかない。
この時間で空いてる店なんてコンビニくらいしかないか。
それよりもさっきからずっと後をつけてきている子がいる。
「……メクさん、帰り道はこっち?」
電柱の陰に隠れているメクさんに声をかけた。
それからそーっと出てきて、無言で何度も頭を下げている。
「あ、あのあの、別に尾行したとかじゃなくて! あの!」
「後をつけてきている時点で立派な尾行なのよ。で、帰り道はこっちなの?」
「えっと……そうとも、言えます、けど……」
生徒の住所はすべて把握しているけど、メクさんの家はこっちじゃない。
私は学校の近くにアパートの一室を借りているけど、メクさんは電車通学だ。
昼間のこともあるから大体の予想はつく。
「……アヤネさんに指示されたのね」
「そ、そーとも言えなくもないというかぁ!」
「正直に言っていいのよ。アヤネさんに私のことを調べろって指示されたのね」
「ち、違い、ます……」
メクさんがふるふると震えている。
普通の高校で教師をやっていた時ですらいじめはあった。
奈落だの掃きだめなんて言われている場所でそれが起こらないはずがない。
「メクさん。もう大丈夫だから、ね?」
こういう時、理屈をこねてもしょうがない。
私はメクさんをそっと抱きしめた。
「せ、せんせ……ふえぇ……ひぃぃん……ひぐっ……」
メクさんが大粒の涙をこぼす。
街灯に照らされながら、私はしばらくメクさんを安心させてあげた。
よくいじめに関して、いじめられるほうにも問題があるなんて無責任なことを言う人がいる。
いじめなんて言葉で濁しているけど刑法に当てはめれば侮辱罪、名誉棄損、暴行罪、傷害罪だ。
場合によっては器物損壊も含む。
つまりいじめられるほうにも問題があるなんて言葉は、犯罪被害にあうほうにも問題があると言っているに等しい。
そんなことを言い出したら犯罪者のやったもの勝ちだ。
私は教え子を犯罪の被害者で終わらせるつもりもないし、犯罪者にするつもりもない。
まずはこのメクさんを犯罪の被害から救うことにした。
「今日は遅いから私の家に来なさい。家には後で連絡しておくわ。あ、その前にコンビニに寄っていい?」
「はい?」
私は強引にメクさんを連れてコンビニに入った。
それから適当なコンビニ弁当を二人分買ってアパートに向かう。
「さ、ここが私の城よ。駅から徒歩15分、家賃はたったの三万円」
「や、家賃安すぎませんか?」
「築年数が経っているからね。でもいい部屋でしょう?」
1LDK、風呂とトイレつき。
決して広いとは言えないけど、不動産屋にはいいところを紹介してもらえた。
「せんせー……せんせーって優しくて……あったかいんですね……。そしてスエット……」
「冷血な教師だと思った? 部屋にいる時はこのほうがリラックスできるのよ」
「あ、でも授業の時はジャージですね……」
「飲み物は水でいい?」
「お水、ですか? あ、はい」
あまり清涼飲料水を飲まないからジュースは出せない。
それに飲むなら水が一番だ。
「先生ってゲームやるんですね……」
メクさんがPS5を見つけてしまった。
どうしよう。私のイメージというか、教師の威厳というか。
そんなのがあるからここはごまかそう。
「えぇ、親戚の子が置いていっちゃったの。今度、ちゃんと返さないと……」
「あっちにあるのは漫画? あれってゆるまんが帝王……先生、意外とかわいいものが……」
「メクさん、アヤネさんには常にいじめられているの?」
私は慌てて話題を逸らした。
これ以上は教師としての威厳が地に落ちかねない。
「いじめられているというか……飲み物を買いにいかされたりするだけで……」
「……他には?」
「ひ、引っぱたかれたことも何度か……」
私は呆れながらひとまずサイフから硬貨を取り出してテーブルに置いた。
「はい。あのアヤネさん、どうせジュース代なんて払ってないでしょ?」
「え、いえ、そんな! いいんです!」
「いいから貰っておきなさい。アヤネさんには明日、話をつけにいくから」
「話を……? い、言わないでください!」
メクさんが大声を出してテーブルの向こうから身を乗り出してきた。
思わずこちらも引いてしまう。
「アヤネさんには言わないでください! 言ったらなにをされるか……!」
予想通り、メクさんは報復を恐れている。
なんで未成年の子どもがこんなことで怯えなきゃいけないのか。
メクさんがテーブルの上で拳を握っていた。
「私が、私が弱いのがいけないんです……家は両親含めて探索者で……私だけ体格やセンスに恵まれなくて、それで武来に入れられました。そこで根性から叩き直せって……」
「そうだったの……」
「お父さんは言いました。世の中は弱肉強食、自然界と同じで弱い個体は淘汰される、と。お父さんは探索者にしてボクシングのチャンピオン、お兄ちゃんやお姉ちゃんもプロの格闘家として結果を出してますし……。猛練習しているのも知ってますから……」
「メクさん」
私はメクさんの手を握った。
メクさんが顔を上げて目と目が合う。
「私は世の中の人全員が強くなるべきとは思わない。ここは人間界であって自然界じゃないもの。十六歳なんてまだまだ子どもよ。困ったり迷ったらまずは私を頼りなさい」
「先生……」
「一つ聞きたいのだけど、メクさんは探索者になりたいの?」
「わかりません……」
強引に武来に入れられたんじゃモチベーションなんてあるはずもない。
ただこの子が本当に探索者になりたいというなら十分望みはある。
この子は格闘技だとか、そんなところが本質じゃない。
だけどそれを教えるにしても、本人がまず探索者をやりたいかどうかだ。
「もしあなたが探索者になりたくないのであれば、専用のカリキュラムを作って指導してあげる。普通の高校での勉強ができるようにね」
「そ、そんな、そこまで……?」
「もしあなたが本気でそう願うのならね。でも今はそんなことより、あなたを守るほうが先よ」
私はコンビニ弁当の蓋を開けながら、メクさんの手元に割り箸を置く。
「まずICレコーダーで録音して証拠を押さえる。小型カメラで動画として記録すると尚いいわね。それらをまとめて警察に被害届を出せば完了……」
「なるほど……!」
「なんて、そんなつまらないやり方で終わらせないわ」
「えっ?」
割り箸を割ったら片方が異様に細くなった。
どちらからでも開けられますの醤油袋がどちらからも開かない。
微妙にイライラしながら私はメクさんを真剣に見つめた。
「そんなことをしても本人にとって本質的な学びにはならない。だから私は本当の意味でアヤネさんを教育するわ」
「ど、どうするんですか?」
「まぁ、そんなことよりも今は食べましょう。勝手にチキン南蛮弁当にしたけど、よかったかしら?」
「はい! チキン南蛮大好きです! いただきます!」
お弁当を食べ始めた。
最近のコンビニ弁当はそれなりにおいし――。
あら? なんだか少ない?
「せ、先生……。これ、ご飯が少ししか入ってないです……」
「底が浅すぎるわね。上から見たらたくさん入ってるように見えるのに……」
横から弁当を見ると見事に薄っぺらい。
これでいて値段はそれなりなのに、本当にどいつもこいつも誠実さというものがないと思う。
結局、今日はこの上げ底弁当を食べて過ごすしかなかった。
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