第19話

 ちなみに、ウルがセシルの気持ちについて把握していたのは、先日の彼との会話を思い出せば明らかだ。

 それは、こんな感じだった。


 当然のように初夜もなかったし、セシルと顔を合わせるのは朝食時と夕食時だけ。これはもう、完全に名前だけの妻で良いということよね、と納得しまくっていた私に、ウルは不思議そうな顔で尋ねてきたのだ。


「ところで、セシルさんとはちゃんと夫婦らしくしてる?」

「夫婦らしくってなに?」

 

 あれは、彼と一緒に孤児院に持って行くクッキーを作っていた時のこと。


「だから『夫婦らしく』だよぉ。えーと、こっちの国の言葉ではなんて言えばいいかな……? あ、後継ぎ作り!」

「ぶっ!」


 美少女にしか見えないあどけない顔から出る言葉とは思えず、私は思わず吹き出した。


「な、なにを言ってるの?!」

「そんなに変なこと言った? っていうか、え? してないの?」

「そういうことは、聞くものじゃありません!」


 なんで? と純真無垢な瞳で問われると言葉に困る。跡継ぎ作り、つまり子作りがなにを意味しているのかわかっていないわけではないだろうけれど、そもそも行為自体をどこまで把握しているかも謎なのに、私が変な反応をしては駄目な気がする。いや、16ならばちゃんと理解しているような気はするけれど。

 そして彼くらいの年からすれば、結婚すればそういう行為は当然のことで、赤ちゃんだって簡単に出来るものだと思っているのかもしれない。

  世の中、そう簡単なものではないのよ、と思いながら「なんで?」と無邪気に聞いてくるウルに渋い顔を向ける。


「なんでもかんでも……」


 しかし、私の態度でいわゆる清らかな関係であると彼は察したらしい。一気に顔色を悪くした彼は、私のエプロンを引っ張った。


「え、ミアさん、もしかしてセシルさんのこと嫌い? 本当は結婚なんてしたくなかった?」


 私が拒絶していると彼が思い込んだ理由も、今の私になら理解できる。そもそもセシルの拗らせ方について知らなければ、当然彼は私のことが好きなわけで、彼自身がそれを拒むとは考えなかったのだろう。

 うるっと瞳を潤ませられるとどうすればいいかわからなくなった。しかしその時の私は、セシルに対して特別な感情は抱いていなくて、むしろ嫌われているものだと思っていて、両親が私が結婚できたことに安心しているだろうことを思えばそれこそ拝むレベルで感謝はしていたが、それだけだった。だから、なにかしら積極的にこちらからアプローチをするという気も、さらさらなかったのだ。


「嫌い、っていうか、まだそんなに彼のこと知らないし」


 生地を捏ねながらぶつぶつと言えば「なんでぇ?! 結婚してもう2週間近く経ってるのにぃ?!」と大声で質問をぶつけられる。


「だって、セシルは食事の時以外部屋から出てこないじゃない」

「へ?! ミアさんの部屋に行ってるんじゃなかったの? もうセシルさんってばなにやってるのー!?」


 私がここに来るまでは、夕食後に全員でお茶を飲んだりゲームをしたり、時にはウル以外の人たちはお酒を飲むこともあったそうだが、結婚してからセシルがそこに顔を出すことはなくなっていた。だからウルは、当然セシルは妻の元に通って、夫婦の時間を過ごしていると思っていたようだ。

 この屋敷の使用人であり、それ以上に昔からセシルとは友人関係なのだという彼らにとって、この結婚は多分喜ばしいものだったのだろう。あの日笑顔で歓迎してくれた態度も、本心からだったのだと思う。

「私はセシルから好かれていないしこれは形式上の夫婦なだけだから、子供は期待しないで」などとあの時口走っていたら、もっと早い段階で彼の口から本当のことを聞けたのかもしれないと思う。けれど、仕草などが幼く見えてもウルは意外としっかり考えている子だから、セシルが話していないと察したのなら、余計なことをベラベラ喋るタイプでもない気もする。どちらにしても今更だ。

 今のピッケとヘルタを見る限り、2人ともセシルの気持ちにも私と彼の関係についても把握していながら黙って見守ってくれていたようだ。

 ――主人の気持ちを知っていながら、私が勘違いしているのもわかっていたなら……彼らはとんでもなく気を揉んでいたんでしょうね。

 この2週間「どうせこれは形だけの結婚・契約だけの関係で、彼から愛されることはない。だから、彼から恋人を紹介されても、恋人の元から帰ってこなくなっても、傷つかないようにしなければ」なんて肩肘張っていたのが、ただの空回りだったというのは、もう心底恥ずかしい。

 ――いや、でも、本当はうちの実家の貴族としての地位が欲しいんでしょう? って確認するのも失礼だし、恋人のところに通って良いのよ、なんてどこから目線かわからない発言をするのも違っただろうし。

 冷静になれば、あれこれをセシルに直接ぶつけなくて良かった。今日の私の発言でもショックを受けていたのだろう彼を思えば、そんな言葉を投げつけられたらどんなことになっていたことか。

 だってなにも知らなかったんだもの、と言い訳のように呟く私に、ピッケは大袈裟なほどに驚いた顔をした。


「結婚の申し込みの手紙、熱烈なラブレターだったじゃないっすか! アレ読んで、どうして好かれてないだなんて思ってたんですか」

「まさか、あれを本人が書いたなんて思わなかったのよ」


 あの私に対して非常に冷たかったセシルを見て、どうして本人が書いたと思えるのか、と私はまた言い訳をする。


「どこかの指南書のものを、私の髪と瞳の色に合わせて書き直しただけなんじゃないかって思ってて」

「いや、あれはだから、冷たくしてたわけじゃなくて、緊張してただけなんですって」


 ピッケのフォローを、ヘルタは手でとめる。


「そういうことは、あまり私たちから話すものではないわよ」

「でも奥様も鈍そうだし、こういうの慣れていなさそうだから、はっきり言ってやる人がいないといつまでも擦れ違いっぱなしになるでしょ」


 ピッケの言葉に納得してしまったのか、ヘルタは黙ってしまう。


「鈍いってなによ」


 確かに恋愛には慣れていませんが? とピッケに苦情を申し立てれば、彼はしれっととんでもないことを言い出す。


「だってセシル、家の中でもいつも奥様の様子窺ってたじゃないですか」


 いつ? どこで?

 きょとんとすれば、やっぱりそれにも気付いていなかったんだ、というような顔をされた。


「知らない……」

「ほ~ら、やっぱり鈍いっすねー」


 けらけらと笑うピッケに、いい年をしながら少しむくれてしまう。ムッとした私に気付いたのか、ヘルタはまだ笑っているピッケの脇腹をつついた。


「ピッケ、一流の騎士である旦那様が本気で気配を隠そうとしたら、並みの人間では気付けないものよ。そうやって奥様を揶揄うものではないわ」

「あー。確かにそれは」

「そもそも、奥様に対してあなたの態度は――」

「あー! もうわかったってば!」


 彼らの話を総合すると、セシルは私を全く気にしていなかったわけではなく、彼の視線に私が気付けていなかっただけのようだ。そして、気付かれずに敵に近付くため普段から気配を消すことにも慣れているセシルの、そんな行動に私が気付かなかったのは無理もない、とヘルタはフォローしてくれる。


「ねえ、ピッケはなんでセシルが私を見てるって気がついたの?」


 並の人間では気付かないようなセシルの隠密行動のようなものを見抜くなんてすごいのではないかしら。そんなことを思いながら尋ねる。


「身の危険を感じながら育ってきてるんで、気配には敏感なんですよ」


 にまぁっと笑った彼は、どこまで本気だかわからないことを言う。どういうこと? と疑問を挟もうとすると、ピッケは自分の頬を差して小首を傾げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る