第18話
そんなセシルの背中を見送り、閉じた扉をぼんやりと眺めていた私は――
「~~~っっっ!! なぁに、あれっ!」
耐えきれなくなって、淑女らしさもなにもかも忘れて叫んだ。
「え? なに、あの手紙、本気だったの? あれ、セシルが書いたの? あの子からは私そんな風に見えてるの?」
いや、絶対違う。なにか神格化されている。
――しかも「ずっと見てきた」って、私、どこでセシルと会ったのかしら。
あんな目立つ美形、一度見たら忘れないと思うのに。
いつ? どこで? とクッションを抱えたままゴロゴロしていると、扉をノックする音がした。
「誰?」
「ヘルタです、奥様。少しよろしいでしょうか」
「おれもいるよ」
ヘルタとピッケの声。こんな時間になにかしら、と思いながら入室を許可する。入ってきたピッケの手には、ワインのボトルが握られていた。
「やっと誤解がとけたんですってね。これはお祝いで持ってきましたよ」
「自分が飲みたいだけの癖に、よく舌が回ること」
ぼそっとヘルタに突っ込まれたピッケは軽い笑い声をあげる。
「ちょうど良かったわ。ちょっと飲みたいところだったの。ふたりとも付き合ってくれる?」
「ピッケとふたりきりというのは問題がありますから、もちろん」
ヘルタは微笑んで、手際良く飲む準備を整えてくれた。しかし3人で飲むには椅子が足りない。どうするのかと思っていると、空き部屋から一人掛けの椅子を二脚、ピッケが運んできてテーブルを挟んだ正面に置く。
彼らとはだいぶ仲良くなっていたことと、元々のピッケの性格もあってまるで昔からの友人かなにかのように打ち解けた調子でこちらも話してしまう。長いこと孤児院で下町の子供たちと接していたせいか、この10年の間に私自身も格式ばったことはめっきり苦手になっていたから、気軽に接してくれるピッケやウルの態度は子供たちに重なって非常に話しやすかったということもある。ヘルタもそれなりに礼儀は重んじてくれるものの、私のやり方に合わせてくれる柔軟性があるのは有難い。トレフも私に対して親し気な態度を取る彼らを咎めたりはしなかった。
孤児院といえば、結婚後少ししてから
「旦那様が、奥様には望むことをしていただくように、と申しつけられております。なにか、ご希望はありますか?」
ヘルタにそう尋ねられた時、私は迷うことなく孤児院での手伝いの再開を願った。
私がいた時でさえあの忙しさだった孤児院は、大人が一人抜けたことで今てんやわんやな状態だろうと予想できた。今まで通りの時間というわけにいかなくても、少しでもお手伝いが出来れば――そんな風に思っていたのだけど、トレフが伝えてくれたセシルの返事は
「すべては貴方のご希望のままに」
というものだった。
その当時は、私になど興味はないからなんでも好きなようにすればいいという意味合いだと思っていた。けれど、今ならわかる。彼は、本気で私の願いを叶えようとしてくれていただけなのだ。
多分「ここを出て私専用の小さな家が欲しい」なんて言ったとしても、先程の彼の様子からすれば叶えられてしまっただろう。あの時、変なことを考えなくて良かった、と心底ほっとする。
実家よりもこちらの方が孤児院に近い場所なこともあって、前よりもゆとりをもってお手伝いが出来るようになっていて、シスターたちからは感謝されていた。戻ったことを子供たちも喜んでくれて、私の生活は充実していたのだった。
「それで、なんて言われたんですか?」
ピッケは、もはや隠す気すらないらしい好奇心丸出し顔で身を乗り出してくる。まるで孤児院の子供たちがおとぎ話の続きをせがむ時のような無邪気な顔なのが少々腹立たしい。彼の手元には、すでに二杯目のワインがある。
「まあまあ飲んで飲んで。飲みながらじゃないと、話せないこともあるでしょ?」
と軽い調子で私にワインを勧めた彼は、ヘルタに睨まれていた。
「ピッケ、もう少し慎みのある態度を保ちなさいな」
横から冷ややかな視線を送るヘルタに、ピッケは舌を出して肩をすくめた。
「なに……って、私が誤解してる、って。あの……愛してる、って……」
どこから話せばいいものか、と思いながら、ちびちびとワインを口に運びながら答える。
自分で言いながら顔が熱くなってくる。ワインのせいだけじゃない。思い出しただけで心臓がばくばく言い出す。恥ずかしさと戸惑い、まだ信じきれないような、もう納得させられてしまったような、様々な気持ちがごちゃ混ぜになってしまってうまく言葉にならない。
「はーっ! あいつやっと言えたんですね。誤解されてショック受けるくらいなら、さっさと言えば良かったのに。奥様が勘違いしているって気付いたその日に行動するんだから、セシルとしてもさっさと修正する必要があるって判断したんでしょうけど」
帰ってきてからのセシルは、ひどく落ち込んでいたんだそうだ。
この世の終わり、というような顔で部屋の隅に蹲っていた、というピッケの証言も、あながち嘘ではなく、盛られた内容ではないのかもしれない。そんな彼を見かねて「誤解はさっさと解くに限る」と発破をかけたのはピッケ本人だったようだけれど。
「こんなことじゃないかと思ってたんすよ。元々口数多い方じゃないし、セシルは見た目が冷たく見えるから、黙ってると怖いでしょ?」
「怖いとは思わないけど、あ、いえ? 綺麗すぎるって意味では怖いかも」
「でしょ? 黙ってても愛嬌でどうにかなるタイプじゃないんだから、ちゃんと説明しなきゃ」
ピッケの意見ももっともだと判断したのだろう。思い立ったが吉日とばかりに、旦那さまは私の部屋に突撃してきたらしかった。
「ん……? あれ、ちょっと待って。みんなはセシルの気持ち、知ってたの?」
「へ? そりゃもちろん」
「ヘルタも?」
ちらりと視線を投げると、ヘルタは穏やかな微笑みのまま、静かに頷いた。
「はい。当然、トレフも知っています。全員、旦那様の分かりやすい片想いを見てきておりますので」
「なにそれ。セシルってそんなにわかりやすかったの?」
――じゃあ私だけ? あの硬い態度を真に受けて、ずっとひとりで勘違いして、もがいてたのは、私だけだったってこと?
その事実に今さら気づいて、頭を抱えたくなった。クッションが近くにあったらまた顔を埋めていたと思う。さっさと誰か教えてくれたら良かったのに……と思いつつ、かたくなな態度のセシルとの会話を煩わしく思い、対話のチャンスを作ることすら諦めてしまった自分にも責任はある、と頭を落ち着かせる。
「奥様、逆にお聞きしても?」
ヘルタがそっと問いかけてくる。私はぼんやりとワインのグラスを見ながら頷いた。
「……本当に、まったくお気付きにならなかったんですか?」
「うん。まったく。だってあの態度よ? 冷たくて、そっけなくて、必要最低限のことしか話さなくて。いっつも眉間に皺寄せてて。目線なんて合わないし。私、絶対嫌われてるんだって……」
肌が触れたことすら、今日がはじめてだったのだ。
そんな恥ずかしいこと、私からは言えないけど。
「あれ全部『好きすぎてどう接していいか分からない』やつですね」
ピッケが、わりと本気のトーンで言ってきた。
――なんなの、それ。思春期男子?
あの真剣すぎる眼差し。小さく震えるような声。指先が触れることすら躊躇う仕草。思い出せば思い出すほどに、自分が大切にされていたのだと実感させられてしまって、居た堪れなくなってくる。
私は、ワインを一気に飲み干した。
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