アポクリファ、その種の傾向と対策【先輩一匹+後輩二匹=三頭の獅子】

七海ポルカ

第1話


 


「さてと……」







 アイザック・ネレスがソファに座った。



「アイザックさん、お茶、置いておきます」


「おう! ユラありがとな! あとはこっちでやるから気にしないでいいぞ」


 ユラ・エンデが側のテーブルにお茶を置くと礼がてら、いい子いい子、というように彼の頭を撫でた。

 

 アイザックはそういう性格らしいが、会うとよくこうしてユラの頭を撫でてくれた。

 シザの頭もよく組んでいた頃撫でていたらしいが、シザは新人と言えども対等なパートナーに頭を撫でられるのがそんなに好きではないらしく、アイザックが頭を撫でると「撫でないでくださいよ」といつも怒って嫌がっていたという。そんな背景から、ユラが大人しく撫でられていると「お前は嫌がらないんだなー」とおかしそうに笑っていた。


 ユラはあまり、人に体を触られるのが好きではない……。


 それでもアイザックが頭を撫でてくれるのは、嫌じゃなかった。

 アイザックは結婚していたが、子供はいないと聞いた。

 しかし何故か彼の手は「父親の手」という感じがして、父親に縁のないユラはアイザックに頭を撫でられるとなんだか温かい気持ちになることがあるのだ。

 

 元々シザに頭を撫でてもらうのも好きだった。

 

 彼は恋人だが兄でもあるので、弟として労ってもらってる時など、シザがよくやる仕草だということがいつしか分かったのだ。彼ら兄弟はそんなに明確に恋人と兄弟というのを使い分けているわけではない。

 だがその時その時によってよりそれぞれの関係性を意識した立場を取ったりすることはある。

 シザが明確に弟としてユラを可愛がってる時に、よく頭を撫でてくれる。

 恋人として接したい時は、やはり頬に触れたり額に触れたりすることが多い気がする。


 でも実は、シザの中で恋人と兄弟という境界線が、極めて一直線に重なった状態になってることが稀にある。

 ユラが一番シザに触れられて幸せなのは、実はこの状態にある時のシザに触れられた時だ。

 シザと恋人になる時、ユラは言ったことがある。


「普通の人なら、恋人になる前にもっとお互いを知ったり、自分を分かってもらったりしなければならなくて不安に思うことがいっぱいあった」と。


 でも兄弟なら、お互いのことはさすがに最初からよく分かっている。

 子供の頃から多くの苦しみを抱えて来たユラにとって、今から他人に自分の事情を話し、理解し、好きになってもらうなどというのはほぼ不可能だと思うことだった。

 極論で言えば例えシザ相手でも、相手の方から「貴方が好きだ」と言ってもらえなかったら、ユラは多分恋愛など出来なかったと思うのだ。

 

 シザとは幼い頃から一緒に生きて来て、「知って、分かってもらう」という過程が全て省略出来た。

 最初から相手のことをよく知っていたから、触れられても安堵出来た。


 シザは兄弟で恋愛することにユラが苦しむと思って苛んだこともあったようだが、ユラは一度もそれが苦しいと思ったことはない。

 むしろ兄弟だから、これほど安心できたと言ってもいいくらいだからだ。

 とにかくシザが手で撫でて来る時、弟としても恋人としても、どっちの想いも同じくらいの強さでそうしてくれてるのを感じ取ることがあって、その時は一番、愛しているという気持ちを感じられて一番幸せで安心する。


 ユラが頭を撫でられて安心するのはシザか、マネージャーのグレアム・ラインハートだけだったが【グレーター・アルテミス】に戻ってから、前よりよくアイザック・ネレスと話すようになり、彼が頭を撫でてくれるその感じが、彼らに似ていたからユラは好きだった。

 絶対に自分を傷つけたりしない人の手だ、ということが分かるのだ。


 そういうわけで、アイザックに頭を撫でられた時は柔らかい顔をしていたが、兄たちの話の邪魔をしてはいけないと思ってすぐに頷いて下がった。

 しかし今日の話題が分かるだけに少し心配そうに、離れたところにある一人掛けのソファにそっと座る。


 別に彼はそこにいなさいと言われたわけではないのだが、重苦しい空気に防音室とはいえピアノをガンガン弾く気にはなれなかったからだ。



「よーし。お前ら。こっから俺が話を聞いてやる。

 まずシザ。何か言うことあるか?」



「はい。騒ぎを起こしてしまって、申し訳ありませんでした」


 向き合う所にあるソファに座ったシザが、珍しく素直に謝罪を口にしたのでアイザックは腕を組み「うん」と頷く。先輩として怒らなければならない状態なので、そう簡単に優しい顔は見せないつもりだったが、気はよくなる。


「そうだな。よしライル。お前は」


 もう一つ、別の一人掛けソファに腰掛けたライルにも声をかける。 


「ん~? 別に何もねえ。悪いことしたとも全く思ってねえし。

 だって帰る時俺無茶苦茶キャーキャー言われちゃったよ。

 ひたすら闘技場でシザ殴れればいいや程度にしか思ってない思い付きで始めたことだけど、やって良かったわ~」


 全く反省の無い色に、ベテランの先輩はキレた。



「バカがあ!」



 手にしていた厚紙をギザギザに畳んで扇状にしたものを思い切り振りかぶってライルの頭に叩き込んだ。

 紙なので威力はさほどではないがパーン! と、とんでもない音がして離れた所にいたユラが一番驚いて両肩を跳ねさせた。


「いてーな! おっさんなんだよその厚紙!」


 叩かれたライルが頭を押さえて抗議をした。


「いてーなおっさんじゃねえ! まず謝罪をしろォ!」


 パーン! と再び厚紙が唸る。


「これはお前らを説教しに行くと息巻いて出て来た俺に親友の嫁が持たせてくれた! 彼女の母国日本が世界に誇る『ハリセン』という代物だ!

 紙を使ってるからさほどのダメージを相手に与えることはないが、すげー音がするから恐怖心はいっぱい与えられるという素晴らしい道具なんだ! 日本人が本気で激怒した時に使う!」


「ほんとにすごい音がしますね。あの。僕は別に平気ですけどユラが飛び上がって怖がってるのでやめてもらっていいですか」


「ユラ! 怖いなら部屋に行ってなさい!! おっさん今日はこの腕白小僧どもをどうしても叱らないといけないからハリセン行使するのもしょうがないの!」


「は、はい。分かりました」


 邪魔してはいけないと思ってユラは急いで立ち上がり、自分の部屋の方に下がろうとした。しかしやはり説教される兄たちが心配で、そっと廊下のところから顔を覗かせている。


 繊細な芸術家であるユラ・エンデには効いたハリセンも、

【アポクリファ・リーグ】史上最も図太い神経を持つルーキーと言われるライル・ガードナーにはあまり効果は無かったらしい。


「逆に聞くが一体何を謝ることがあんだよ……。

 見た? 特別配信の視聴者数! すげーことになってんだぜ! 

 あと有名人もたくさんコメントくれてさ~。

『ライルさんに惚れましたカッコ良すぎ♡』ってこれもう告白以外の何物でもないと思うんだけど。寝てる間にどこからか俺の番号調べて数多の美女から試合見ましたデートしたいってお誘いが……どれに行くべきこれ⁉ シザ大先生だったらならまずどの子から行く⁉」


「僕はどの子も行く気ないです。こんな話題に流されてDMとか送って来る人とか絶対人間性信用しないんで」


「んだよォ。ほんとクールだなあ。ま、いいよ! それは個人の好みだもんな!

 俺は我ながら昨日の俺の戦いっぷりカッコいいなーって思ってるから女が惚れちゃうの分かるから全然オーケイ! 街に出ようかなあ~。キャーキャー言われて来たい」

「やめた方がいいですよライル。大騒ぎになるでしょうし」

「そうか! 騒ぎになっちゃうか! そうだよねえ。んじゃやっぱ個人的に連絡くれた子と今夜は……」


「先輩激怒中~~~~~~~~! なーにきゃっきゃはしゃいでんだよ小僧!」


 パーン! とまたハリセンが火を噴いた。


 ユラが思わず目を瞑って肩を竦ませた。



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