I feel like running so much now ! 破
「まもなく~、
中間駅に近づいたことを知らせるアナウンスで、ふと周りを見回す。快速電車なんで、あれからどこにも停まっていないはずなのに、なんだか客が多い。そういえば出発直後に隣の車両からぞろぞろと移ってきた集団がいたような。つい違和感を感じて連結器の向こうを透かし見ると、こちらの車両よりはっきり空いてるぐらいだ。なんでこっちに移ってきたんだろう?
近くの座席にいたおばちゃんが一人、がさがさと音を立てて、新聞の折り込み広告だろうか、プラズマのチラシと思しきもの眺めていた。多分、今日のオープニングセールのことも載っているやつだ。
ぼんやりと思い出す。そういえば、五階のフロア改装で今回出店するところの中には、結構おしゃれな店もあったような。イケメンの店長がアップで出ていた写真とかも見たなあ。ああいうのって、やっぱりファンクラブが出来ていたりするんだろうか?
はっきり言って、タダヨシのクレープ屋だとまるで勝てる気がしない。なるほど、そういうとこ狙いの客がこの車両に集まっているのなら、このヘンな混み方も納得、だけれども……今日のこれって、思ったよりずっと過酷な体験になるってこと? うーん、たかが一フロアの改装セール程度、そんなに大げさな出足にはならないだろうと見たのが甘かったか……。
人波に溺れかけてまで一番乗りしようとは思わない。服がもみくちゃになりそうだし、メイクも崩れるだろうし。まあ五十食限定のスペシャルスウィーツを諦めるのは断腸の思いだけど、この先いくらでも口にする機会はあるはずだし。
せめて彼の姿を見られれば。その上で、一言二言交わすことができれば。いや、今日みたいな日だと、それも難しいのかな――。
ちょっとテンションが下がった気分でいると、ほどなく大日豊師に到着する。木見岳と同じような駅なので、開いたドアの前は屋根がない。雨はいよいよ土砂降りに近くなっていて、とてもじゃないけど乗客なんて誰も……と思ったら、考えることはどこも同じようで、扉の開く音とほぼ同時に十人近くがダッシュで突っ込んできた。ドア脇で身を縮めている乗客(つまり私)に雨のしぶきが散るのも構わず、どかどかと足音を立てて車内中ほどに踏み込んでいく。
あんたらもか、ブルータス。
「わー、間に合ったあー。これで余裕だね~」
妙にほわほわした声の若い子がワンテンポ遅れて駆け込んできて、ようやくドアが閉まる。立ち客の密度がじわりと高まった感じで、電車は大日豊師を出た。もう後は朱良までノンストップだ。
「え~? 大丈夫だよ~。だって、四十五分からのってオープニングイベントっしょ? どうでもいいし。店が開くの、九時ジャストじゃん。そこに駆け込めたらオッケーだし」
大学生ぐらいだろうか? ハンズフリーで電話を続けている様子のその娘は、見たところ連れ合いもいないまま、単身でプラズマの五階に突撃する先鋒志願の一人らしい。
「チサも来ればいいのに。ってか、今からでも来なよ。……いいからさっさと起きろって。……ええ? いやそーなんだけどさー。やっぱねえ、そこは自分でも意外って言うか。なんか、店開いたなんて聞いたら、急に会いたいなって」
知らず、つい力が入ってしまってた私の眉が、ふっと緩んだ。ああ、この子もか、と思ってしまったからだ。まあそうだよね。開店の初日に押しかける客が、商品目当ての甘党ばかりとは限らない。どこの店の誰の話かは知らないけれど、そこの人に、ただひとこと「おめでとう」を言いたくて、という人だって、いっぱいいるんだろう。
ただ、私のこれは、たまたま広告を見てふらっと「会いたいな」なんて気分になったような軽いもんじゃない。
ずっと会いたかった。別れの言葉も交わさないまま、彼が目の前から消えて二年。その間、ずっと私はあの人を想い続けていたのだ。
その当時、タダヨシはキッチンカーで流しのクレープ屋をやっていた。月木だけ木見岳市の中央公園の駐車場に乗り付けて、昼前から午後にかけて店を開いていたのだ。職場が近くだった私は、何度か利用するうちにアラサー同士の気安さもあって親しくなり、身の上話みたいなものも聞くようになった。
いわく、彼自身は結構本気でクレープ屋を開きたいと思っていること、このキッチンカーは仲間と共同でレンタルしていて、自分が使えるのは平日だけなこと、他の曜日は近くの工場とか大学の構内で店を開いていること、週末は研究と仕込みにまるまるかかりっきりで、遊んでいる時間はないし、遊ぶ気分にもなれないこと、生活もかつかつだけれども、自分としては十分充実した毎日だと思っていること……。
最初はなんとなく距離を置いた感じで話をしていたのだけれど、気がついたら私は彼の生き方に深く共感するようになってしまっていて、売り方とかメニューの中身へも積極的に意見を言うようになっていた。学生時代は人づきあいの悪い内向的な女を自認していただけに、そんな風に彼と接する自分自身には大いに戸惑って、当然彼との間には空振りな会話もあったし、まあ色んなことが起きて、色んな言葉が飛び交った。
あれはいつのことだったか、ちょっと気まずいことがあって距離ができた感じになってた日、昼休みもずれ込んで彼の店に出向けなくて、それでもなんとなく退勤してから夕方遅くに駐車場をのぞいてみると、キッチンカーはまだ停まっていた。いつもなら三時過ぎには木見岳を離れて、仕入れだの仕込みだのに向かうのに。
恐る恐る運転席の窓を叩くと、仮眠中だった様子の彼が目を開け、ニコッと笑って窓越しにテイクアウト用の箱を差し出した。私が首を傾げていると、
「今日初めてメニューに入れたやつ。一つだけ残してた」
なんで、と尋ねると、私のコメントが聞きたかったから、と言う。でも私来なかったかも知れないのに、と言い返すと、きっぱりした声で、タダヨシはこう言ったのだ。
「それならそれでいい。でも、このクレープは君に喜んでもらうことだけ考えて作ったやつだから」
何を言ってるのこの人は、と急にどぎまぎして、それからなんだかよくわからない問答が続いた記憶があるのだけれど、次に気がついた時、私たちはキッチンカーの床で抱き合っていた。あんな空間でよくできたものだと思う。でも、それがきっかけになって、私と彼は毎週二回肌を重ねる関係になった。
本音を言えば、そのまま押しかけ何とかみたいになってもいいとまで思ってたのに、彼は自分の店を持つという夢の実現に集中したかったようで、自宅へ連れて行ってくれるようなことはなかったし、電話番号はもちろん、メアドすら教えてくれなかった。なんでも、この道の先輩の元で修行中なんで、スマホも調理道具も全部借りものだからとかなんとか言い訳してたけど……。
まあ、少しずつ距離を縮めていければいいかな、と思っていたのに、三か月ほど過ぎたある日、彼のキッチンカーは急に現れなくなった。たまたま近くのベンチにいたおじいちゃんが私の名前を確認して、「でかい車の兄ちゃんが、渡しておいてくれって」と、テイクアウトの箱を渡してよこした。中にあったのは、これまで彼と食べてきたクレープメニューの詰め合わせがぎっしり一式と、手紙。書いてあったのはほんの数行。
「近いうち、必ず店を出します。しばらくの間、準備と修行に打ち込みます。いつかまた、君に喜んでもらえるクレープを手渡せるその日まで」
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