とっても走りたい気分
湾多珠巳
I feel like running so much now ! 序
日曜の朝七時五十分。君が丘七丁目発の路線バスは、思ったより客が多かった。多いと言ってもほんの五、六人なんだけれど、貸し切り状態かと思っていたのにちょっと意外だ。今日は明け方から本降りの雨が続いているんで、原因はやはりそれかな。
まあどこへ遊びに行くにしろ、コーデもメイクも気合入れて出てきたんなら、誰だって出発早々濡れたくはないよね。日頃駅まで歩くタイプでも、今日はバスを使いたい、と思ったのかも。実際、私がそうなんだし。
八時十分、定刻通り
階段を降りて少し先の位置で立ち止まる。ふと、目の隅に黒地の花火柄ロングワンピースが目に入った。レースの白カーディガンを合わせていて、いかにもお出かけ用に上品にまとめてみました、という感じのファッションだ。
顔までは見なかったし、たぶん見ても判別がつかなかったと思うのだけど、あの人は確かバスの中で前の席に座っていた人じゃ? あれ、そういえばその横で佇んでいるデニムスカートのウェスタン風なお姉さんも、バスの斜め後ろの客だったような。
なんだか同じような顔ぶれがホームに降りても固まってるなあ、と微かな引っ掛かりを覚えた。でもまあ、それ自体はありがちなことだし、別にそれ以上新しい発見があるでもなし、私は早々に目の前の懸念事項へ意識を向ける。
つまりは、雨。
梅雨に間近い時節でもあるせいか、天候が回復しそうな気配は微塵もなかった。土砂降りとまで言わないものの、傘なしだと二、三十秒ですっかりぬれねずみになりそうなほどには強い雨足だ。
困ったな、と思う。私の今日の目的地は、駅から傘を差さずにたどり着ける場所。でも、そのためには駅の西側に出なければならず、駅の西側へ行くには西エスカレーターを使わなければならず、そのエスカレーターへ行くには今から乗る電車の最後尾に乗らなければならない。
なのに、ここのホームは田舎の小さい駅だけあって屋根が半分ぐらいしかなく、六両編成中の後ろ三両の車両に乗ろうとすれば、どうしても雨に濡れてしまう。
前寄りの車両に乗って車内で移動したらいい、と考えたくなるだろうけれども、ここの電車は編成の都合で、後ろ二両目と三両目の間が通過不可なのだ。
そもそも最後尾に乗らなくても、着いた駅のホームをてくてく歩けばいいだけなのでは、とも言われるかも知れない。いつもなら私もそうする。けれど、今日は少しコーデとメイクに凝り過ぎたせいか、今現在あんまり時間に余裕がない。ので、着いた先では可及的速やかに行動したい。
というわけで、私は是が非でも六両の最後尾、ホームの端で電車を待ちたいのだけど、繰り返し空を見ても、雨足が弱まりそうな気配すらない。というか、むしろ強まってない? なんだか、雨の幕で視界がけぶってきたような。見てるだけで気が滅入る。あんだけ地面でしぶきが跳ねてたら、傘を差してても膝から下が泥だらけになりそう。
ああ、こんな日は一滴の雨にだって濡れたくないんだけどなぁ……。
「まもなく、一番線に……」のアナウンスを聞いて、私は覚悟を決めた。華奢な折り畳み傘を拡げ、一緒に雨を睨んでいた人垣から離れて足を踏み出す。最後尾車両のいちばん前寄りで降りれば目的のエスカレーターへの最短コースなので、端から三番目の停車位置表示で足を止め、一人ホームを踏みしめる。
ざざ降りの雨をものともせずに気合いっぱいで屹立する女の姿は、少なからぬお客たちの目を引いたようで、屋根あり部分の端から、なんだか声にならないどよめきが聞こえてきたような気がした。ふと、そちらへ目を向けた私は、妙な気分になった。何が妙なのかはすぐに出てこなかったけれども、こちらを見る何人かの表情は、私がなにかしら失敗をやらしていることを暗に言いたがっているような感じで――。
考える間もなく、快速電車がやってくる。ふぉんっ、と突風が起き、しばらく続くつむじ風で人様の薄っぺらな傘をさんざん振り回してから、ゆっくりと電車は所定の位置に停車……する間際、私は時ならぬ足音でぎょっと顔を上げた。
なんと、三両先の屋根のある場所から、乗客たちが決死の形相で猛ダッシュをかけてきているのだ! 気のせいだろうけど、恐怖を感じるほどの人数、それも、ちょうどドアが開いた瞬間に飛び込めるような、絶妙のスピードとタイミング!
のったり乗り込んでから改めて傘を畳もうと思っていた私はパニックになった。このままだと弾き飛ばされそう!
結果的にはぶっ飛ばされずに済んだけれども、結局乗り込めたのはほとんど最後。車内に足を踏み入れると、元々乗っていた人数も併せて座席はほぼ埋まっており、私はドア横にひっそりと佇むしかなかった。傘の雨粒を払う間もなくドアが閉まる。ようやく納得した。傘を使うと、畳んでいる間にダッシュでやってきた客に先を越され、ドヤ顔で先行した意味がなくなるのだ。
まあでも、私自身はぬれずに済んだんだし……と他の女性たちを眺め渡すと、みんなあんまりぐっしょりという感じでもない。顔周りはいくらか差があるとは言え……私も肩とかスカートの端とか結構ぬれてるし……もう誤差の範囲内?
それにしてもおかしい。何も雨の中を走ってまで、最後尾の車両に飛び込まなくてもいいだろうに。途中駅の西口で、早い者勝ちなビッグイベントでも開催されているんだろうか?
深く考えても仕方ないので、私は目を閉じ、ドア横の小さなスペースで壁にもたれて、これからのことに気持ちを向ける。そう、雨でケチがついたとはいえ、今日は素敵な一日になるはずだった。この電車の終着駅で私を待っている、幸せ色の思い出と再会することで。
タダヨシの店がいよいよオープンする、という告知を見たのは、十日ほど前のことだ。
正確に言うとそれは告知でもメールでもなく、週に何回か空振りを承知で検索を繰り返していた作業中に見つけた、とあるクレープ屋の開店ニュースだった。
プロの店のサイトとしてはぎりぎり合格点と言う感じの、最低限の情報しか載っていないホームページだったけれども、クレープのラインナップとか名前とかもろに昔のクレープ屋そのままだったし、店長挨拶の欄にあったイニシャルも彼のものだった。
しばらくは胸がいっぱいで、ただトップページとメニューのページだけを何度も何度もクリックしてた。彼がとうとう、と思うと、嬉しさで泣き出してしまいそうだった。そうしなかったのは、単に人目を盗んでの職場での作業中だったからで。
少し落ち着いて店の情報に目を通すと、開店したクレープ屋は私の市からそう遠くなかった。ハイパーマート大手のプラズマの朱良駅前店が、今度五階部分を改装して食品系小店舗のテナントエリアを作ったのだけど、その中の一つが彼の店だったのだ。
開店セールでは、限定スペシャルスウィーツクレープを特別価格にて五十食限定で販売するとのこと。懐かしいフルーティーな甘みを思い出して、私は一も二もなく、初日に行こうと決心した。オープニング一番乗りなどという酔狂なことは、生まれてこの方やったことがない。でも、あの人のあのクレープを口にできるのなら。あの人の姿を見られるのなら。彼に逢えるんなら。
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