青空の瓦礫
西行寺満
第1話 耐え難きを耐え、忍び難きを忍び
「今夜の我々の作戦は歴史的なものだ。」
1945年、8月6日。午前1時45分、テニアン島から、
エノラ・ゲイと名付けられた悪魔が飛び立った。
午前6時半、エノラ・ゲイ機内。
「機長!兵器のアクティブ化完了!」
「了解」
そう機長が答えた後、直ぐ様機内放送が入る。
「諸君、このエノラ・ゲイが運ぶ兵器は、世界初の原子爆弾だ。」
8時9分、高度31600フィート。観測用ラジオゾンデ投下。
8時12分、自動操縦に変更、照準器に高度、対地速度、風向、気温、湿度入力。
8時15分17秒。原子爆弾「リトルボーイ」、自動投下。
快晴。疎開を進める子供たちにとっては、
まるで未来が明るいような日だった。
しかし、太陽も、鉛玉も、何もかもが守れず、光は現れた。
自然が、建物が、人が、一時にしてなくなった。
木々の囀りも、建物を撤去する作業も、
隣に居た友達の影も、生徒を指揮した先生の指も、
まるで、寿命を迎えたかのように、叫ぶこと無く消えた。
救助隊の軍が派遣された頃には、もうそこには救いがなかったといえよう。
「水……みず……」
かろうじて聞き取れる言葉の先に向かえば、そこには人『だった』ものがいた。
「水」その言葉がへばりついた隊員が、もう少し遠くに目をやった。
悲惨という文字ですらあらわせれないナニカがあった。
戦場というものは地獄だと。生と死の狭間の境界だと言う時がある。
しかし。そこには戦場の全ての死を超越したナニカがあった。
人『だった』、肉塊となった物体が、集団で川に居た。
救助隊数名がそれを確認すると、女学生らしき跡があった。
そして、教員らしきモノが1名。
おそらく、これらも水を欲したのだろう。
人の声が聞こえた。健常者の声だ。川の近くで泣いている。
30〜40代の男女。目的は子。この川に魂が居たのだ。
息苦しく泣くその姿は、まるで謝るようだった。
自分が殺したかのように錯覚したのだろうか。
いや。こうなることなんて、誰も予想できないし、予想したくない。
夢と現の狭間。
信じれない夢と、信じたくない現。
逃げたい。けど、逃げられない。
我が子を見つけ泣く親。
物体となった友達に声をかけ続ける子供。
我が子を抱き締めて共に亡くなった母。
生きてくれた我が子も、次の日には息を引き取った。
そんな現実を認められない母。
軍都廣島。栄えた現は、夢であれと願う現に消され、
瓦礫となる。人々の努力がガラクタとなった。
8月15日、正午。
「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」
裕仁天皇から発せられた御言葉は、
全ての人々に、絶望と安堵をもたらした。
この日を以て、黒鷲と旭日は共に空から消えた。
ゲルマニアは夢となり、核は現実となった。
アメリカ兵が日本にやってきた。
横須賀など、様々な箇所を米軍は拠点とし、
民衆はそのゴミを漁った。所謂、「残飯シチュー」だ。
地獄の最中、このシチューは人気を博した。
例え、その中にネズミの死骸や、あるいは使用済みのコンドームがあろうとも、
それは、れっきとした温かな食事であった。
一月五百圓。
温かな食事というだけでは生温い。
豪勢な食事と言えた。
まともな食事にありつけるのは何年先だろうか。
1946年、日本政府がGHQに何度も食料支援を要求したおかげか、
昨年12月にやっと、支援が開始された。
しかし、事足りることはなかった。
宮城にて何万もの人々が「食事を」と叫び求めるほど、
効果はなかったのだ。
幾月か、政府は努力し続けた。
食文化、欧米の文化が根付く瞬間であった。
そうして、人々は改めて理解した。これが、敗戦なのだと。
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