020話 まだ知らぬ影を背にして
満身創痍になって、ようやく倒した一体の
だというのに、追い打ちをかけるように今度は二体。
――
「いや、終わらせにきてるのか……?」
俺の“命”をもって。
正直、もう腕を上げることすら億劫だった。
距離を取ろうと足に力を込めるが、身体は鉛のように重く、一歩すら動かない。
持ち上げた巨大百足の上体が、断頭台の鈍く冷えた刃のように、無慈悲に頭上へ迫ってくる。
それをただ、呆然と見つめていた。まるで他人事のように。
その刃が、俺という存在の幕を引く。
悔いがないと言えば、大嘘だ。まだ死にたくはない。
百足の巨体が落ちてくる。
「――殺さないでください」
狂人の言葉が空間を歪め、断頭の軌道が逸れる。
ドスン、と轟音を立てて、俺のすぐ横へ着地した。
炸裂する衝撃波に、全身が空中へと投げ出され――
「かはッ……!?」
壁に背中から叩きつけられ、そのまま床に崩れ落ちた。
視界の隅で、鳥型の魔獣を駆る狂人が近づいてくる。
動けるなら今すぐにでも首を掻き切られる距離。
だが、気づけば、俺の手からは魔剣すら消えていた。
「たしかに吸血鬼の血を引いている可能性はありますね」
――ねーよ、ばか。
「しかし、ワタシの考える最強の魔物に加えるかとなると――一考の余地がありますね」
――冗談も大概にしろ、どこまでいかれてやがる。
「まずは
――ふざけやがって。お前の“おともだち”は、絶対に笑顔の関係じゃねえだろ。
今日が初対面でも、それだけははっきりわかる。
孤独を拗らせた奴は、ろくなことにならない。
仲間を失い、酒に逃げ、孤独を選んだ俺が言うんだから間違いない。
「……せめて、狂う前のお前に言ってほしかったぜ」
何が悲しくて、ドロ汚れの白衣を纏った“ヒトモドキ”から友情を語られなきゃならんのだ。
こいつ、美人の残骸ではあるが、もう完全に別物だ。
「ちょうど最後の人形が壊れたところなんですよ」
また意味不明な独り言が始まった。
やっぱりこの女に友達なんていない。いたとしたら、それはもう神話の登場人物だろ。
「……人形?」
その単語に、胸がざらついた。
狂人は嬉々として語り始める。
まるで誰かに聞いてほしくてたまらない子どものように。
「個体差ですね。これまでの人形は脆すぎてすぐ壊れました。宝石のような素材は希少で、手に入らないんですよ。ときどき偶然、極上の“素体”が市場に流れることがあるんですが……あれは奇跡のような確率です。だから石ころを叩いて、削って磨いて……でも、所詮石ころ。外殻の強度が足りないんです。研究の助手にはやっぱり人型が便利でして。壊れるたびに教えなおすのが手間で。もちろん、そこにも気づきはありますよ? でもそれが続くと創造性のないただの作業になる。作業は嫌いです。退屈です。だからワタシは――ワタシの考えた最強の魔物をつくることに没頭したいのです」
言っていることは理解不能だが、聞く価値がないことだけは明白だ。
目が完全にイッている。
理性を吹き飛ばして、天才の脳に刺激剤でもぶち込むとこうなるのかもしれない。
意識の輪郭が、ぼやけていく。
瞼は重く、世界の色が滲んでいく。
遠ざかる音の中、最後に残ったのは、心臓の鼓動だった。
――黒。
闇の中で、何かが争っている音が聞こえた。揺れ。振動。
そして――
「……ン!」
女性の声だ。何かを、必死に叫んでいる。
意識が途切れるその刹那、彼女の声を思い出すなんて――
俺も、まだ人肌が恋しいらしい。
「――グリン!」
……ああ。
どこか馴染みのある声が聞こえた気がした。
俺を支えてくれた仲間。
想いを通じ合った時期もあった。
探索病に侵されて間もなく荒れていた頃、傍で励まし続けてくれた彼女。
俺は彼女を一方的に切り捨てた。
それでも、今も手紙を送り続けてくれる。俺が何度無視しても、変わらずに。
……帰ったら、一通くらい返してもいいかもしれない。
あの頃の俺なら、そんなことすら考えなかった。けれど、今は――少しだけ、変われた気がする。
「グリンッ!!」
その声で、目が覚めた。
目を開けると、カナリアの心配そうな顔がすぐそこにあった。
膝枕。
俺の頭は、カナリアの膝の上に静かに乗せられていた。
豊かな双丘越しに彼女の潤んだ瞳と視線が交差する。
素早く視線を周囲へと動かすと、クイナの姿も視界に飛び込んできた。
「カナ……リア? それにクイナ……」
「あら、私もいるのよ?」
カナリアの肩越しに、クロウェアの顔が覗き込む。
「クロウェア……」
俺が命がけで逃した三人が戻ってきているではないか。
俺は上半身を起こすと、
「どうして……どうして戻ってきたッ、ゴホッゴホッ」
咳き込む俺の背中を、カナリアが優しくさすってくれる。
「グリンを助けたくて」
「だが――ッ」
――お前らが戻ったところで何が変わる。
その言葉を寸前で飲み込んだ。
俺の心情を察したのか、クイナが口を開いた。
「安心しろ。僕たちも自殺志願者じゃない」
クロウェアはにやりと笑って、
「喜んで。助っ人よ」
助っ人?
下層の巨大百足に太刀打ちできる奴なんて、そうそういないはずだが――
そのとき、ズザザッと砂煙を巻き上げて滑り込んできた影。
「フッー……フッー……」
全身を軽装の鎧で固め、手袋、長靴、フルフェイスマスク。
肌の露出は一切ない、歴戦の探索者。
――ああ。そういえば、いたな。
下層からの帰還途中だった実力者。
俺とは違い、探索病を受け入れ、迷宮に挑み続けている者。現役の
「またいい仲間をもったものだな、“紫電”」
フルフェイスの中から、くぐもった声が響いた。
クイナに肩を借りながら立ち上がる。
「……その分だけクセも強いがな」
乱入者の登場に、狂人は露骨に不機嫌な顔を見せる。
「なんですか? あなたは。もう少しで黒薔薇公の遺伝子を手に入れられるところだったのに……」
頭上から俺たちを見下ろす。
「グリン、あんたあの黒薔薇公の血を引いとったん?」
「……本当に?」
カナリアが驚いた声を上げ、クロウェアが探るような視線を向けてくる。
俺は苦笑いをこぼすと、
「
その治癒能力、今まさに欲しいけどな……。
もう無理だ。歩けない。足の感覚が、ない。
立ち上がろうとするも、うまくいかずクイナによりかかると、
「おい」
心底めんどくさそうな目で睨まれた。
――ここまで俺は頑張ったろ? ちょっとくらい労わってくれよ。
「カナリア。ここに来るまでに“あいつ”に貰ったものがあっただろう?」
クイナが言う“あいつ”とは、あの探索者のことだろう。
その言葉にカナリアは「あ」と声を漏らし、何かを思い出したように胸元に手を差し入れた。
――って、おいおい。
むき出しの谷間に指を突っ込んだかと思うと、ネックレスの先に括りつけられた小瓶を取り出した。
瓶の中では、粘度の高い液体がどろりと音を立てる。
「なんだ? それは?」
「えーと……なんて言ってたっけ?」
えへへ、と年齢不詳な色気に不釣り合いなはにかみ笑い。
時と場所が違えば和む場面だが、いまはそれどころじゃない。
俺はすぐにクイナとクロウェアに目を向けた。
「
「本物なら、魔力も体力も全快ね」
小瓶の蓋を開けて、そっと匂いを嗅ぐ。
新緑のように優しく、それでいて甘い香り――緊張していた神経がふっと緩む。
この感覚、間違いない。万能薬だ。
過去に数度だけ口にしたことがある。そのときの記憶が蘇る。
だが、あまりにも高価すぎる魔法薬。小瓶一つの現役でも田舎なら家が建てられるほどの代物だ。さすがに手がすくむ。
「誰か……水、持ってないか?」
希釈しても十分な効果があるのは知っている。が――
三人が三者三様に首を振った。
「ない」
「ないわ」
「あってもやらん」
おいクイナ、お前、あってもやらんって言ったな? それはくれよ。
仕方がないので覚悟を決めて、小瓶をそっと傾ける。少しずつ、慎重に――
「まどろっこしいわね」
しかし、クロウェアが俺の手をがしっと掴み、小瓶の底をぐいっと真上に持ち上げた。
反論もできず、俺ができることと言えば、一滴も無駄にしないために、大口を開けるだけ。
おかげでその開ききった口から貴重な原液を一気に流し込む羽目になった。
濃密なエリクサーが舌を、喉を通り、胃へと届く。
言いたいことは山ほどあったが、その瞬間――
多幸感。
身体の隅々まで、温かな何かが満ちていく。
感覚が澄み渡り、音が鮮明になり、匂いが鮮やかになり、触覚すら優しさに包まれる。
ああ……。
気持ちよすぎる……。
「だ、大丈夫かいな? なんか……えらいエロい顔しとるけど?」
「万能薬には強い多幸感の副作用があるの。いま、それに浸ってる最中ね」
「エロいっていうか……キモい顔だな、これ」
クイナの悪意ある評価にも今はノーダメージ。
「……グリン? もしもーし?」
「これ、もしかしてグリンの“事後”の顔ってやつかしら?」
「だったら、かなり間抜けだな」
――あぁ、しあわせだ……。
「……って、探索者の人、押されてへん?」
「見たところ、一進一退。戦況は五分五分ね」
「助けに行こう。あの人がやられたら、僕たちは詰む」
……んー……。動きたくない……。
「いくでグリン! グリンっ!」
「その顔……いつまで続けるつもりだ、貴様」
カナリアが俺の前で手を振り、クイナは呆れたように腕を組む。
悪いけど、もう少しこのままで……。
「二人とも、グリンを支えて立ち上がらせてくれる?」
クロウェアの指示に、二人は顔を見合わせるも俺の両腕をとって、俺を立ち上がらせた。
するとクロウェアが出てきて、二人に支えられる形で立ち上がった俺の正面に立つ。
なにをする気だ? いや、それもなんでもいいか。俺は幸せなんだから――
「こういうときはね――」
クロウェアは、にっこりと笑いながら右足を後ろに引き――
「こうするの、よッ」
――俺の股間を、全力で蹴り上げた。
「オッアアアァァァーーーーッ!! お、おまっ、それは死ぬ、マジで死ぬぅぅ!!」
多幸感は一瞬で昇天し、代わりに舞い降りてきたのは、地獄の業火と“漢の誇り”の断絶だった。
内股になって、クロウェアの肩にしがみつく。もはや立っていられない。
涙が滲む。というか、もう出てる。
「お、おま……おまえぇ……」
恨みがましく見上げる俺に、クロウェアはクスッと鼻で笑い、
「目が覚めたようね?」
……ああ、最悪な方法でな。
カナリアが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫かいな?」
「ひッ、ひッ、ふぅー……」
妊婦の呼吸法、どこかで聞きかじったやつを反射的に使っていた。
「お、女として目覚めそうだぜ……」
「それなら気兼ねなく裸を晒せるじゃない」
「お前はな……」
俺はクロウェアみたいな裸族じゃないんだよ。
クイナが鼻を鳴らすと、
「気持ち悪い。いいから行くぞ」
「もうちょっと労わりってもんが……」
万能薬の効果も、クロウェアの蹴りで帳消し。
痛みと現実が、俺をしっかり地に引き戻した。
――最悪の目覚ましだったが、効いたぜ。
それでも、これでようやく――
「よし。さあ――反撃開始といこうぜ」
俺は内股のまま、プルプル震える脚でそう宣言するのだった。
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