017話 牙は誰のものだったか


 怪物行進モンスターパレード――それを、俺たちは突破した。


安全圏セーフティゾーンまで行けば……!」


 そこは魔物が寄りつかないとされる広域。調査拠点として急造された要塞地帯。俺たちは、そこに最後の希望を託して走る。


 カナリアによる殲滅、クイナの広域援護、クロウェアの異常な索敵能力。そして、俺が殿を務める。

 安全圏が近づくにつれ、視界を埋め尽くす魔物の密度が増していく。カナリアが火砲のように魔法を放ち、それを薙ぎ払うと、不自然な空白がその奥に広がっていた。


「中へ!」


 カナリア、クイナ、クロウェアが順に、その魔物の寄りつかない空間へと身を投げる。ある境界を越えた瞬間、魔物たちは三人に指一本触れることができなくなるのが見えた。


 俺は背後の殺気と殺意の奔流を感じながら、機をうかがう。


 背を見せれば、その瞬間に喰われる。


 三人を逃した魔物たちが、怒りの矛先を俺に絞る。四方八方からの殺到。それを、カナリアとクイナの遠距離魔法が正面から撃ち抜く。


 俺は魔法の余波をかわしつつ、一歩一歩、安全圏へとにじり寄った。

 

 数度の爆風と閃光を抜けたとき――安全圏から放たれたカナリアとクイナの援護魔法だ――不意に、背後の圧が引いた。


 好機。俺は地を蹴った。


 しかし魔物もそれを見逃さない。蟻型の魔物が一体、地を這うというより滑るように接近してきた。


 速い――!


 一歩の間合いが広く、足の回転も異常だ。距離がみるみる縮まる。

 

 背後に気配。顎が開く音。殺到する圧迫感に、俺は視線を前に戻す。


 ――そこに、魔法陣が描かれていた。

 この先の調査本隊が、魔物を遠ざけるために念入りに設置したものだろう。


防護魔法陣バリケード……ッ!」

 叫びと同時に転がり込む。土埃を巻き上げながら、魔法陣の内側へ。


 魔物たちの気配が一線を越えることはできない。だが、それでも咆哮は壁越しに響き続け、結界の内側にまで恐怖が染み込んでくる。

 ここは“安全圏”ではない。まだ、“一歩手前”の領域だ。

 結界に護られている間だけの、一時的な猶予。

 本来の安全圏は、さらに奥――魔物たちが本能的に忌避する、あの広場の中にある。


 後ろを振り返ると、蟻型の顎が魔法陣にかかる瞬間、雷のような反動が走り、奴の頭部が仰け反る。何度も顎を鳴らし突進するが、そのたびに光の壁が弾き返す光景が見えた。


 防護魔法陣は地から壁へ、そして天井へ。三次元的に張り巡らされた鉄壁の結界。

 この魔法は対象外を通さぬ魔法。構造的に破る術は限られている。圧倒的な質量には弱いが、見渡す限りでは脅威になりそうな大きさの魔物も見当たらない。


「これで……今のところは大丈夫、だな」


 肩で息を整え、ゆっくりと立ち上がる。

 背後に牙の気配を感じつつ、俺は慎重に足を踏み出した。


 すでに入っていた三人に追いつき、俺たちは改めて“安全圏”の内部へと足を踏み入れる。


 だが――。


「……なん、だ……と……」

「なんやこれ……」


 そこにあったのは、希望の残骸だった。


 調査拠点となるはずだったこの広場には、以前通ったときには確かに資材が運び込まれ、簡易的な骨組みが組まれていた。


 だが、今やそれは見る影もない。焼け焦げた布、崩壊した骨組み、血に染まった土。

 蹂躙された跡だけが残されていた。


「全滅ね。生存者はいないわ」


 クロウェアが淡々と言う。


 彼女の目は確かだ。視界の隅に映るだけで理解できる。破壊の痕跡が、無数に。抵抗の跡もある。だが、すべて潰されていた。


 俺は足を引きずるように、焼け跡へと歩を進める。足元の遺体を踏まぬように、震える呼吸を抑えて。


「なにが……なにがあったんだ……」

「なんかこれ……」


 カナリアが言いかけて言葉を濁す。動揺しているのが分かる。無理もない。

 

 戦った跡がある。持ち込まれた資材も、天幕も、冒険者たちの遺体も、ことごとく破壊されていた。


 そのなかで、ひときわ大きな天幕の残骸を見つける。裂けた布の奥に、死体の山。

 

 そのなかに、一人の顔を見つけた。


「……“闘犬”。中級冒険者、それも二つ名持ちが……」


 皮肉でも何でもなく、ここにいたのは精鋭だったはずだ。


「なぁ、うちの気のせいかな……」


 カナリアの声に、俺は返す余裕もなかった。


「……なんだ?」

 

「ここ……魔物に襲われたよな?」


 問いに応えたのは俺ではなく、クイナだった。

「何を言って……それ以外にあるか?」


 鋭い声で返されるが、カナリアはなおも戸惑ったように言う。

「……だって、綺麗すぎるんよ」


 その言葉に、俺は一瞬、意味が掴めなかった。


 だが、次の瞬間――毛穴が総立ちになる。


 クイナが眉をひそめる。

「綺麗? 何を……。これが? 破壊と死体に満ちたこの光景が?」


「ちゃう。うちが言いたいんは……“死体が綺麗すぎる”ってこと」


 ――そう。死体が、原形を保ちすぎている。


 魔物は基本的に本能のまま動く。腹が減れば喰い、危険を感じれば殺す。

 

 だが、ここに残された死体は、ほとんどが手つかず。

 それどころか、最初に俺たちが発見した魔物も、死体には興味を示さず、俺たちにのみ襲いかかってきた。


 捕食のためではなく、殺すために殺している――?

 

 その異様さに気づいた瞬間、寒気が背筋を這い上がった。


 俺たちは“深淵を覗いていた”つもりだった。


 けれど実際には――“深淵のほうが、俺たちを覗いていた”。


 「……これは、想像以上にヤバい事態かもしれん」


 もはや怪物行進うんぬんの話ではない。冒険迷宮そのものの在り方が、根本から変わろうとしている。

 仮にこれが自然現象の延長だとしたら――魔物は自衛でも捕食でもなく、殺意そのものを目的に人を襲う存在へと変貌を遂げたということだ。


 殺すために殺す。理由なき殺戮。


 そんな存在が、もし地上に現れたら? 境界は崩れる。人の世界が、殺意に満ちた深淵に呑みこまれる。

 ここにきて、俺の中の小さな自分が願っていた――「人為的であってくれ」と。皮肉な話だ。依頼を受けた時とはまるで真逆の祈りをささげることになるとは。


 しかし、人為的なら人為的で、それはそれで最悪だ。魔物を操り、人を襲わせる。もはや調教テイムなどという牧歌的な行為ではない。人類への反逆だ。


 この元凶を放置すれば、冒険迷宮の攻略どころか、文明そのものが蝕まれていく。


 一刻も早く、魔法協会へ戻り、これを伝えなければ――!


 そう思った矢先――

「どちらへいこうというのですか?」


 その声は、まるで館の主人が、勝手に立ち去ろうとする客に向けたような上品さがあった。


 焼け跡に残る死と血の匂いにまみれたこの場に、あまりにも場違いな気品だった。

 背筋が凍る。この声の主は、俺たちと同じ“この世界の住人”ではない――そんな直感が走る。


 背後から響いた女の声に、俺は一切振り返らず答えた。

「……ちょっと、厠へ」


 嗤い声が返ってきた。それは楽しげでいて、空っぽだった。どこか壊れた楽器のような音だった。


 視線の先では、カナリアとクイナが緊張の面持ちで俺の後方を見据えていた。

「あ、あんた何もんや……!」

「貴様、どこから湧いた……!」


 ダメだ。刺激するな。敵意を見せるべきじゃない。

 いま最優先すべきは生還――生きて地上へ戻ることだ。


「大事な標本オトモダチですからね。壊すわけにはいきません」

「あんたが……これをやったんかい……?」

 カナリアの声は震えていた。


 俺は恐る恐る背後へと振り返った。


「これぞ傑ッ作! んー、すんばらすぃ」


 そこに立っていたのは――狂気だった。


 汚れた白衣、黒髪を適当に束ねた妙齢の女。彫りの深い顔立ちに、落ち窪んだ瞳。その奥で紅い光が爛々と燃えている。

 白衣の袖には、乾いた血がこびりつき、顔の片端には乾ききらぬ笑み。

 ――マッドサイエンティスト。そう呼ぶ以外の言葉が浮かばない。


「狂人が……ッ。人形ごっこ遊びは一人でやれ!」

「ばっ、やめろクイナ!」


 だが、止める暇もなく、クイナは指を銃の形にし、魔力を凝縮した水弾を撃ち放った。

 

 標的に向かって、弾丸は一直線に。


「んー、どうしましょう? 連れて帰りますか? 連れて帰りますか?」


 その女は、魔法が迫っているというのに独り言を続けている。まるで、現実との接点が失われたかのように。


「よっしゃ!」

 カナリアが確信を持って叫ぶ。


 が――次の瞬間、地面を割って飛び出した魔物が、その身をもって水弾を防いだ。


 二匹。左右から湧いた魔物が、女を庇うようにして盾となり、崩れ落ちた。

 

 女は、何事もなかったかのように、静かに立っていた。


「魔物が……人を守った……?」

 

 クイナが絶句する。無理もない。俺も、想定していたはずなのに、実際に目にすれば思考が凍りついた。


 クロウェアだけが冷静だった。

「で? あれが“元凶”ってことで間違いないのかしら? それとも挨拶に来ただけ?」


 その一言で、俺の頭に血が巡る。

 ――考えるな、今は動け。


「逃げるぞッ!」


 俺は魔力を全身に巡らせ、強化。瞬時に走り出す。

 カナリア、クイナを抜き去り、クロウェアの背後まで迫る。


「ちょ、まっ、待たんかい!」

「ちっ……!」


 クロウェアを抜き去ろうかという瞬間、彼女がこちらを見たかと思うと、その腕が俺の首回され、流れるように彼女の体は俺の背中へと張り付いた。


「お前のほうが速いだろうにッ!」

「私にも事情があるのよ?」


 耳元に吐息まじりの囁き。

 

 しかし、喉元に回された腕が苦しくて、このままでは走りきれない。

 ああ、面倒くさい――!


 俺は減速すると、背中のクロウェアを振り落とし、宙に浮いたその体を両腕で抱え直す。肩と膝を支えるように、前抱きで。


「……なに? 随分と積極的なのね?」

「うるせー! 首締まるから前に抱えてるだけだ! 黙ってろ、舌噛むぞ!」


 加速。俺の腕の中でクロウェアはキョトンとしていた。


 背後では――


「あー! なんか目の前でイチャついとるーッ!」

「戦場でラブロマンスか、いいご身分だな貴様……!」


 俺の視界の奥で、あの狂人は追ってこようとはしなかった。ただ、微笑んだまま、こちらを見ているだけ。


「もうすぐ安全圏を抜ける。止まらずに上層を目指すぞ!」


 背中から感じるのは、狂気――だが、殺気はない。


「なんや、追ってこんやんけ」

「戦闘能力がないのかもしれん」


 二人がそう呟く中、クロウェアだけが異なる見解を漏らす。


「……あるいは、追う必要がないと考えているだけかもね?」


 その意味を問う前に、俺たちはその答えに直面する。


 安全圏出口――そこは、魔物に占拠されていた。


「なるほど……封鎖、済みってことか」


 折り重なる肉塊。冒険者の死体、魔物の死体。腐臭と血の臭いが混ざり合い、地獄そのものの景色。

 魔物たちは群がっていた。死肉を貪りながら、こちらの存在に気づく。


「カナリア!」


 俺の叫びに、カナリアが応じる。


「気持ち悪いんじゃボケェェーーッ!!」


 咆哮と共に放たれる閃光。魔物たちを一掃する。


 ――だが。


 掃討と同時に、次から次へと新たな魔物が湧く。

 撃ち漏らしはクイナが援護するが、それでも間に合わない。

 敵は尽きぬ。光が届く先に、次の影が立ち上がる。


 そして俺たちは悟る。


 ――ここはもう、“安全圏”なんかじゃない。

 

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