天空の島パンゲアと不思議な竜使い

一矢射的

第1話 カメラマンは天空の島に憧れる



 この町は日陰者の集まりなのさ。

 文字通り「空にフタをされて」お天道様を隠されちまったからな。


 あれは誰の言葉だったか。


 妙に的を射ていたので忘れられず、いつまでも心の奥にくすぶり続けていたのだ。

 この町、ゲヘナⅡの現状を見事に言い表しているではないか。


 なるほど、僕の歩む道はどこまで行っても日影続きだ。スラム街の裏通りは薄暗くいつもかび臭かった。町から遠く離れない限り生涯ひだまりを拝むことなど出来やしない。全住民が日照権を強制剥奪される場所、それがゲヘナⅡなのだ。

 なぜって? 全部アレのせいさ。


 帽子のツバを持ち上げて天を仰げば、物理的に日の光を遮る「ふた」がそこには存在していた。比喩でもなんでもなく青空を覆う不動の天蓋だ。


 その名も空中都市パンゲア。

 町とピッタリ重なって浮かんでいる「空飛ぶ島」

 あれこそがゲヘナⅡを日影の沼へと沈めている元凶。

 ちなみに形状はどことなくベーゴマに似ている。

 上に都市を乗せた空飛ぶベーゴマだ。

 いっそ回転しながらどこかへ飛んでいってしまえば良いのに。


 あの浮島の歴史は定かではないが、あそこへ行ってみたいと願う人間が肩を寄せ、いつしか生まれたのがこのゲヘナⅡだという。はたまた天空都市から追放された落伍者たちの集まりこそが町の起こりという説も聞いたことがあるな。


 ただ一つ間違いないのは、この町の人間がいつも空を見上げながら生きてきたという悲劇的な過去だけだ。乾かない洗濯物を抱えて舌打ちをしながらか、あるいは行けもしない理想郷を憧憬の念を込めて傍観するのか、そのどちらかは判らないけれど。


 この町の起源がどうであれ、僕は空中都市アソコへ行かなければならないのだ。

 絶対に行く。どうしても積年の恨みを晴らす。

 そう心に決めたのだ。

 このスラム街をもう一時間もぶらついているのはその為なのだから。

 しかも、カメラ機材の入った重いケースを肩に担ぎながら。

 額ににじむ汗をぬぐい、たったひとり天空へと渡る手段を求めて。

 クソ、たしかこの辺りのはずなんだが……。


 不意に建物の陰から派手なドレスの女性が姿を現した。

 ギョッとした僕の袖をつかみ、彼女は甘い調子で話しかけてきた。


「ねぇ、お兄さん。今夜飲む店を探しているの?」

「いや、僕は……」

「ウチの店なんてどう? キレイ所が揃っているわよ、うふふ」

「生憎、僕が探しているのは『空飛ぶタクシー』でね。出すものさえ出せば、飛竜が天空都市まで渡してくれると聞いた。この近くなんだろう?」

「はぁ? ドラゴンタクシーの受付なら表通りに立派な店が出ているだろう?」

「残念だが治安維持局の渡航許可証がない。無許可だ。金で仕事を引き受けてくれるモグリの渡し屋が必要なんだよ。この近くのはずなんだ」

「ああ、風船屋の方ね。よく来るんだ、アンタみたいなヤバイ人が」

「風船屋? ドラゴンで飛ぶのではないのか?」

「行けばわかるよ。そこの時計屋を曲がった先に公園があるから」


 怪訝な表情を浮かべる僕に正確な答えを授けてはくれなかったけれど、行先を教えてくれただけでも充分に親切だろう。僕は情報料として銀貨一枚を相手に掴ませると、足早にその場を後にした。


 教えてもらった通り、角を曲がって道なりに進むとひらけた区画に出た。

 公園という割には遊具の類が何もないが、サッカーでもやれそうなくらいの広さは充分にあった。やがて石畳で舗装された広場は「何かが離着陸をする」のにも便利という事実に思いが至り、思わず僕はハッと息を飲んだ。

 そして、そこで僕は探し求める人物と巡り会ったのだ。


 公園の隅では風変わりな人物が大勢の子どもに囲まれ何事かをせがまれていた。

 トビ職の作業着めいた赤茶色の服を身にまとっているが(ようするにズボンがモンペで靴がタビなのだ)上着ときたらまるっきりラフで、三ツ星と月の印が入った白のパーカーを着込んでいた。その上、パーカーのフードにはウサギの物らしき長い垂れ耳が縫い付けてあるのだから、ひどく個性的と言わざるを得なかった。

 よくみると足元のタビすらも兎を意識した造詣で、裏には肉球でもついていそうな感じだった。

 あれって可愛い……のか?

 ウサ耳フードを被ったその個性派人間は、公園の子どもたちにバルーンアートを披露し場を盛り上げている様子だった。手に持った水筒のような容器を風船の膨らまし口に差し込むと(ガスでも注がれているのか)たちまちにソーセージ型の風船が大きく膨らんだ。それを慣れた手付きでひねって結び、犬や白鳥を形作るのだ。


「はい、あらよっと、ワンちゃん完成。次はワニさんかな、ちょっと待ってね」


 子ども達にかける朗らかな声を聞き、ようやく相手が女性だと気が付いた。

 ベッコウぶちの眼鏡をかけ、頬には星のペイントをしている。

 なんだかお祭りの道化師みたいだ。

 棒状の風船を縛り上げるたびに、頭巾の垂れ耳が踊るかの如く揺れていた。

 公園に他の人間は皆無。すると彼女か? 彼女がそうなのか?

 バルーンアートの完成を待ちわびている子どもはまだ大勢いるが、こっちも急ぎなのでそれをノンビリと待っているわけにはいかなかった。急がないと日が暮れてしまう、僕は咳ばらいをして相手の注意を引くと、遠慮がちに話しかけた。


「失敬、その、仕事の話をしたいのだが……空を飛ぶ方の」

「あら、大人のお客さん!? ごめんねぇ、みんな。お姉さん、ちょ――っと忙しくなっちゃった。続きはまた今度作ってあげるから、今日はもうおしまーい」

「えぇ~」


 愚図る子ども達をなだめすかして解散させると、彼女はこちらに向き直った。

 その表情は子どもと相対していた時とはまったくの別物だ。

 彼女はものの数秒で落ち着き払ったプロの仮面を新しく被り直していた。


「さてさて、さてと。お客さん、お待たせしました」

「天空都市に行きたいのだが、ここで頼めばそれが可能になると聞いた」

「ほう、いったい何の為に?」

「仕事だ。僕はカメラマンなのだが、謎多き天空都市の真実を写真に収め、白日の下に晒してやりたいと思っている。密かに写真集を出す計画を立てているのさ、告発の為に。空を見上げて恋焦がれるだけの日々は、もう終わりにしたい」

「それはそれは……勇敢な方! そんな勝手を治安維持局が許すわけがないね。奴らは空中都市の全てを取り仕切っている。楽園の秘密を守り抜くために」

「そのせいで許可が下りず、正規の手段では都市に行くことが出来ないのだよ」

「はーん、カメラの持ち込みすら認められていないからね、そもそも」

「禁忌だからこそ、これはやる価値があるんだ。秘められた美は大衆の知的好奇心を刺激するから。いつの時代もそうだろ?」

「アンタの名前と写真集を売る為か。わかっているよね? モグリの空タクシーを使うことも、そんな写真集を許可なく出版することも、犯罪だよ? じゅーじゅー、重犯罪。下手すれば終身刑かも」

「空中都市のメインストリートは建築家の歴史的名作が満ちあふれていると聞く。また郊外にはいつの時代の物とも知れぬ古代遺跡が眠っているそうだな。そんな時流の作り出した財宝を一部の特権階級だけで独占しようなんて気に入らないね。美は誰の持ち物でもなく人類全員の宝であるべきだ。僕が封建的な考えに一石を投じれば、ついてくる者は必ず居るはずだ。それだけで僕は満足なのだよ」

「いや、空中都市の秘密ってのはそんな形ばかりのモンじゃないんだけど。まっ、いい度胸している。お客さん、名前は? いずれ世界的カメラマンになる男の名を教えてよ」

「申し遅れたな、リチャード・チャップマンだ」

「私は……」


 彼女は右手に乗せたウサギのバルーンアートを差し出しながら言った。

 まばゆいウインクが、いい歳をした僕の心にも突き刺さる。

 年甲斐もなく相手の自己紹介だけでドキドキしてしまった。



「月に憧れて跳ねる者、アレクサンドラ、サンドラでいいよ、おにーさん」

「あっ、ああ。ではサンドラ。ここに公用金貨が一袋ある。これで空中都市まで飛んでくれないか。出世払いでよければ、言い値を出すぞ」

「もぉ、お客さんってばセッカチね」

「当局に見つかれば逮捕でも不思議じゃない。ノンビリしている暇はないのさ」

「なーら仕方ないか。じゃ、ちょっと待ってね。いまドラゴンを膨らませるから」

「ドラゴンを……膨らませる? どういうことだ」


 僕の質問を無視してサンドラは広場の中央へと歩いていった。

 彼女は背中のリュックから緑色の巨大ビニールを取り出すとそれを丁寧に地面へ広げていく。そして、先ほどのバルーンと同様に膨らまし口に水筒めいた容器を差し込んだ。

 ガスが満ちて膨らんでいくにつれて、その風船がドラゴンのカタチをしていることに気が付いた。しかも、そのドラゴンはただの風船人形ではない、柔らかなボディに生命と知性のキラメキを宿していた。

 その風船は自らの意志で動き、膨らんだ四肢で地面をガッチリつかむと、吹き込まれたガスで自らの体が飛んでしまわないようにしっかり押さえていた。


 あまりの出来事に僕は口を挟まずにいられなかった。


「そ、それは? その風船ドラゴンは生きているのか?」

「ええ、そうよ。これが私の相棒。ガス生命体のガムラ。ガムラ~、ご挨拶して」


 風船ドラゴンの頭部がこちらを向き、眼球がキラリと赤い光を放った。

 その直後、僕の脳内に直接声が響き渡った。

 これは? テレパシーの類なのか?


『人間、背中に乗せてやるが一つだけルール厳守な。尖った物は厳禁だぞ』

「ん? ああ、風船だからか。当然だな、空で乗り物を割るほど愚かじゃないさ」

『その言葉、忘れるんじゃないぞ。余計な真似をしたら即刻フリ落とすからな』


「もぉ、ガムラったら。お客様なんだよ? さぁ、膨らんだ。背中に乗って」



 風船ドラゴンが完成すると、その全長は五メートル近くもあった。

 充分に人が乗れるサイズだ。全体が丸みを帯びており、ハッキリ言って太っちょ体型だがそれでも竜は竜。寝そべった姿すらもどこか頼もしさと力強さを感じる。サンドラはガスが噴き出す水筒を腰のホルスターに収めてから、一足先にガムラへとよじ登った。そこからコチラへと手を差し伸べ、僕を竜の背へと引き上げてくれた。

 足元はブヨブヨで一歩を踏み出すたびにクルブシまで凹んで妙な感じだ。


 辿り着いた竜の背中にはいくばくか凹凸があり、そこが座席になっていた。

 つまり椅子すらも風船製で、ビニールの地肌が革張りのシートっぽくデザインされていた。針金でも入っているのか? よくも都合よく椅子のカタチに膨らんだモンだ。不可解に思いながらも柔らかな席に腰を沈めれば、すぐさま棒状に伸びた風船が右肩に巻き付いてきた。

 ギョッと驚く僕に、サンドラが告げた。

 ちなみにシートは前後二つあり、彼女の座る席は前だ。


「あっ、それはシートベルトね。上空は風が強いからベルトが必要なの」

「ベルトも風船? ここでは全てが風船なんだな。ガムラって体の形を自由に変えられるのかい? ベルトも体の一部ってこと?」

「ガス生命体ですから、何でも出来ます」


『さぁ、お喋りはここまでだ。テイクオフといこう』


 ガムラが宣言すると同時に、石畳をつかんだ手を離した。

 たちまち乗った僕らの体重をものともせずに竜はフワリと舞い上がった。

 それこそ糸の切れた風船のようにどこまでも上昇を止めない。

 重力の楔から解き放たれて、どこまでも上っていく。

 ゴチャゴチャとしたゲヘナⅡの街並みがドンドン小さくなっていく。

 僕たちが汗まみれになって毎日歩き続けた大地があんなに遠くにある。

 逆に頭上を仰げば、群青色の金属に覆われ、メロンのように網目模様の筋が入った浮遊島の底(ベーゴマの逆三角錐部分)が目前へ迫ってくる。


 信じ難いことだが、僕はいま渡り鳥の群れと同じ高さを飛んでいるらしい。


『おいおい、空中都市の底にぶつかっちまうぞ? ガスを放出して進路を変えるか』

「大丈夫よ、ガムラ。今日の風は流れが速い。乱気流に乗って東側へ抜ける。お客さん、ちょっとばかし揺れるから気を付けてね」


「な、なんだ? 急に強風がぁ」

「安心して、引っくり返ったりしないから。次は上昇気流がくるよ、ホラ」

「う、うわぁ!」


 横殴りの突風に流されたかと思えば、今度はグンと急上昇。

 まるでサーフィンでもやっているような気分だ。

 風の波に乗る危険な空中サーフィン。

 もし落ちれば痛みを感じる暇もなく潰れたトマトになってしまうだろう。


 今度は後ろ向きに流され急ターン。強風で 乗り物ごともみくちゃにされている。

 竜の風船は華麗なスピンをグルングルン決めながら、どこまでも高みに飛んでいく。竜巻で家ごと吹き飛ばされたらこんな気分になるんじゃないだろうか。


 地に足がついてないことの恐ろしさが、心底僕の肝を冷やした。


 ただ、それでも……空を飛ぶことは素晴らしい。

 あらゆる謎を覆い隠した神秘のヴェールが、僕たちが長年あこがれの目で見上げ続けた天空都市の底が、今では真横の同じ高さにあるのだから。それすらもコチラの上昇でグングン下方へと過ぎ去っていく。


 いつしか僕たちは浮遊島の側面を追い越し、空中都市の上空へと出ていた。

 もはや薄雲が手を伸ばせば届きそうな高さだ。


「ガムラ、内部圧力低下。ガスの温度を下げて。上昇スピードを緩やかに」

『了解、天空警備隊に見つかるなよ』


 モグリの運び屋らしいなんとも物騒な会話よりも、僕は眼下に広がる空中都市の荘厳な眺めに夢中だった。

 そこには、あたかもダークファンタジーの世界からそのまま抜け出してきたような中世西欧風の街並みが広がっていた。都市の中心部には黄金のピラミッドがあり、そこから碁盤の目状に整備された大通りが四方八方へと伸びていた。通り沿いにはお城と見紛うばかりの古風で伝統的なシャトーが建ち並び、歴史の風格を感じずにはいられなかった。邸宅軒先のガーゴイル像を遠目に見ただけで、カメラマンとしての本能を揺すぶられ僕は急いでカメラを取り出した。

 望遠レンズを駆使しながらシャッターを切っていると、どこからか重々しい鐘の音が鳴り響いてきた。どうも都中心部の黄金ピラミッドから聞こえてくるようだ。


 直後に起きたことは正に不意打ちだった。

 僕はそこで地上の科学ではどうやっても説明しようのない奇怪な現象を目の当たりにする事となった。ピラミッドが縦半分に割れ、その隙間から凄い早さで大木が生えてきたのだ。

 動画の早回しかと疑いたくなるような木の成長速度。目で見てそうとわかるどころか、まるで動いているとしか思えない速度で樹木が育ち、僕の目の前で大木へと変貌していった。ぴきぴきパキパキと音を立て、ポップコーンみたいに樹皮や葉っぱが周囲へ散らばっていた。


「な、なんだ、アレは?」

「あれは『ひと月世界樹』だよ。その名通り一か月で枯れてしまうんだけどね。天空都市の人々は、あの木の育ち具合を見て今日が何日か判断するワケ。十日までは緑の若木、梢が紅葉に染まったら二十日過ぎ、もう枯れそうだから月末だな……という感じで。そうか今日は一日だったね、カレンダー世界樹の芽吹きが視れるなんて運が良かったね、お客さん」

「すまない、サンドラ。君が何を言っているのかちょっと理解できないよ。そんなことは……僕らの常識じゃ有り得ない」

「いきなりじゃ無理もないとは思うけど、それが空中都市パンゲアだから。理解して」


 混乱が酷く、僕はしばらくシャッターを切ることすら忘れていた。

 地上の常識が通用しない場所だとは聞いていたが、まさかここまでとは。


『ははは、驚くべき光景はまだまだあるぞ、大通りをよく見てみろ人間』


 ガムラに促され、僕は空中都市の大通りへと目を向けた。

 そこではカタツムリ型のトラックが道を走り回っていた。

 いや、型ではない、あれは本物のカタツムリか?

 高速で滑るように移動し、殻がコンテナになっているカタツムリ。

 生物と機械の融合体だ。

 他にも金属で作られた自動人形、ファンタジーであればゴーレムとか、オートマータなんて呼ばれる類のものが堂々と道を歩いているのが見えた。

 胸部にそなわった電子レンジでホットドッグを温めて販売しているようだ。

 ボディに組み込まれたアコーディオンを演奏しているゴーレムまでいた。


 繰り返すが、こんな光景あり得ない、地上ではあんなサイズのロボットなんて、未だ実用化を成し得ていないはず。

 さらには翼の生えた天馬もいた。純白のペガサスが郵便配達のマークを身につけて飛んでいるのが目に入った。その上ワシの頭にライオンの下半身を持つ幻獣、グリフォンも優雅に空を駆けているのだから……まったくたまらない。

 幻獣の乗り手たちが大きな輪っかでシャボン玉を作っては、せっせと地上へと振り撒いていた。どこからともなく飛んできたシャボン玉に、歩行者はきっと一瞬の安らぎを感じるに違いなかった。

 だがそれを上空から眺める僕ときたら、蝋人形のように青ざめた顔でゴクリとツバを飲み込んでいた。


「この天空都市は、生態系や科学が、いや文明そのものがおかしい。狂ってるよ、こんなのは」

「まぁ、地上基準だとそう見えるのかなぁ。私なんて半分は空の人間みたいなモンだから、そう断言されるとちょっとカチンときちゃうんだけどさ。もっと柔らかに……ファンシーとでも言いなさいよ。狂っているのは物騒な地上の方かもよ?」

「……すまない。あまりに荒唐無稽なもので」

「いいよ、別に。それよりなんで貴方にこの光景を見せてあげたのか、そのあたりは判ってくれるかな? 正直、依頼内容を聞いて、フライトを断ろうか迷ったんだよ」

「……ああ」


 前部座席からコチラに振り返ってサンドラが意味ありげに首を傾げてみせた。

 言わんとすることを察して僕は静かにうなずいた。


「写真集の発売は諦めるべきだ。君はそう言いたいのだろう」

「アタリ!(親指を立てる)取り締まりがどうこう言う前に、こんなとんでもない光景を地上の人たちに見せたってどうせ信じないからね。ドラゴンタクシーや浮遊島の存在ですら、眉唾ものだと疑う人が多いのに。私達の存在が絵空事ですって? 失礼しちゃう!」

「月は遠くにあるからこそ美しい。理想郷の秘密は伏せたままの方が……誰かの夢を壊さずに済むかもしれないな」



『この俺が言うのもなんだが、AIの作ったフェイク画像と笑われるだけだぞ』

「君を見た時点で気付くべきだったよ、ガムラ」


 僕が力なく苦笑していると、せめてもの慰めのつもりか、サンドラがパンゲアの歴史について、彼女の知っている所を教えてくれた。


 この空飛ぶ島はかつて、誰も住んでおらぬ無人の状態で発見されたという。

 行くあてもなく空を漂う無人島は無数の古代遺跡を内に隠しており、調べが進むにつれてココがとんでもないオーパーツの宝庫だと判ってきた。

 手始めに、天馬、グリフォン、ドラゴンといった幻獣たちのミイラが見つかった。その遺伝子情報は現代科学によって蘇り、多くの幻獣が現世に復活を遂げた。更には機械人形を自在に操る魔導カラクリや、島ごと空に浮かべる半重力発生装置と未知の動力炉が発見。自然を司り、自在に操る五大精霊なんてものまで壺の中に封印されていた。



「精霊だって、なんだいそれは?」

「丁度、下にいるよ。見えるかな、噴水のあたり」


 はるか眼下、人が集まる広場の真ん中。

 カスケードの噴水を舞台代わりにして、女性たちがダンスを踊っていた。

 いや、違う。目を凝らせばそれはタダの女性ダンサーではなかった。

 体が透き通り、長い髪の毛まで水の塊で出来た人間などいるはずもなかった。


 まさか、あれが水の精霊なのか。

 彼女の踊りに合わせて噴水の流れが細かく変化していた。

 あれは単に水芸の類ではなく……水を彼女が操作しているということなのか。


「水の精霊ウンディーネ。今じゃ天空都市のアイドルとして活動中なの」

「ははは、なんてこったい」


 世界樹、ロボット、幻獣に、精霊ときたか。

 現実感がなさ過ぎて、僕はもうカメラを構える気にもなれなかった。

 ここには、いっさいの配慮や手心さえなかった。

 この都市限定の箱庭異世界。


 こんなの信じてもらえるはずがない。

 写真集を出したいコチラの都合なんてまったくお構いなしか。いやまぁ、現実なんてココに限らずそういうモノかもしれないが。僕が承認欲求を持て余しているように、彼らは彼らなりのリアルと悩みを抱えているのだ、たぶん。

 それが自分の道と交わらないからと言って文句を垂れるのは筋違いだろう。

 この空中都市を測るには、僕の物差しは小さすぎた。それだけだ。


 僕はただ深い溜息をつくばかりだ。


「やれやれ、空中都市に行けば、僕も今日からビッグになれると思ったのになぁ」

『なれただろう? 真相を知り大きく成長したはずだ』

「そう思うしかないですね。写真家として名を売りたければ、空中都市に頼らず他でやれという事だ。これなら田舎に帰って山の風景でも撮った方がマシだった」


「なんだか判ってもらえたみたい。ガムラと私も飛んだ甲斐があったよ。美はここに限らず、どこにでもあるって……一生懸命に探せばさぁ」

『それでは警備隊に見つかって、厄介事に巻き込まれる前に引き返すか。空飛ぶ観光ツアーはそれなりに楽しんで頂けたかね? 人間よ』


「ええ、おかげ様で。貴重なフライトをありがとう」


 誰にも見つかることなく風船ドラゴンは空中都市を離脱し――。

 夕日が落ちる前に、僕らは元の公園に戻ることができた。

 サンドラから聞いた話によると、ガムラの飛行能力は気球と同程度で基本は上下移動しかできず、それ以外は風まかせ。風を読む力と経験がなければ自在に動かすことすらかなわないという。空中都市の周辺は狂ったような気流が吹き荒れており、それを読み切って動き回れるのはベテラン風読みである彼女だけなのだとか。


 そんな人が僕の夢の為だけに腕をふるってくれたのだから。

 やはりこれはコウベを垂れ感謝すべき行為なのだろう。


 そういえば、まだ肝心な写真を撮っていなかった。

 恩人と相棒の並んだ写真がまだだ。風船ドラゴンなんて、天空都市で見た物と同じくらい空想の産物で、リアリティが欠如していたとしても。

 僕なりの恩返しはせねば。


「え? 写真? 私のォ? えへへ、美人に撮ってね」

『クソ、写真うつりが気がかりだ。少しくらいはダイエットしておくべきだったな、ガハハ』


 うらやましい程に豪快で磊落な……大空で生きる人と風船竜。

 僕は尊敬の念を込めて何度もシャッターを切った。


 恐らくは世界で初めての『ドラゴンと乗り手のWピースサイン』を写真に収めたカメラマン。それが僕だ。その栄誉に称賛はないかもしれないが、僕は誇りたい。

 空中都市の実情なんて知るはずもなかった僕に、気前よく真実を見せてくれたのだから。せめてものお礼だ。

 カメラマンとして僕に示せる誠意はそれくらいしかない。

 その写真は僕の人生にとって何とも忘れがたい一枚となった。

 どうせ人は信じてくれないが、そんなのは構いやしない。


 写真と共に残ったハナマルの思い出は、決して色あせる事はないのだから。

 モグリの空飛ぶタクシー運転手。

 彼女の屈託のない笑顔は、後に出した写真集の一ページへ納められている。

 人々の平穏な日常を映した他の写真と比べたら、フェイクにしか思えないその一枚。皆はなぜ一枚だけフェイク写真を混ぜたのか詳細を知りたがったが、その度に僕は笑いながらこう答えるコトにしているんだ。


 それもまた日常を切り取った一枚なのですよ……と。

 ただし、ここではない僕たちの預かり知らぬ世界の話ではありますけれど。

 もし二つの世界が交わる事があれば、それはかけがえない極上の奇跡なのだ。


 天空と地上。

 二つの世界を神の許可なしに繋ぐ彼女こそ、奇跡の担い手。

 今日も彼女は、あの都市のどこかで小さなミラクルを起こしているはずだ。

 たとえその些細な事実に誰もが気づいてないとしても。


 ⇒ To Be Continued Next Flight!

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