第二章・製品加工課編

7.製品加工課、配属初日

 クロダがギルドに入って一週間が過ぎた。


 二日目以降も、クロダたちには“研修”と称してさまざまな雑用が押し付けられていた。掃除、荷物運び、書類整理……各部署が抱えきれなくなった単純作業が、ここぞとばかりに集められてきている。


 他の新人たち――なんとか逃げ出さずに残ったサバイバーたちは、激務の波にさらされ、死んだ魚のような目でギリギリ耐え忍んでいた。


 一方のクロダはというと、喜色満面で生き生きとしていた。


(研修期間が一週間もあるなんて、ほんと丁寧だなあ。前の会社なんて、初日の午後には普通に通常業務をやらされてたし、それが普通だと思ってたよ……)


 鼻歌まじりに雑巾を絞っていたところに、ジェイクのぶっきらぼうな声が飛んできた。


「クロダ、ちょっと来い」


(なんだろう。怒られるようなことはしてないはずだけど……?)


 クロダは雑巾を置いてジェイクのもとへ向かった。ジェイクは座ったまま目も合わせず、手元の書類をめくりながら言った。


「クロダ、お前は今日から製品加工課に配属だ。早速、今から向かってくれ」


(ついに、配属決定か)


 クロダはホッとした。研修中はあくまでお試し期間。正式な配属が決まって、ようやく胸を張ってギルドの一員と言える。


「はい! ありがたくお受けします! 短い期間でしたが、いろいろ教えていただき、ありがとうございました!!」


 元気よく頭を下げるクロダに、ジェイクは困惑して口ごもる。


「い、いや、俺は別に、お前には大したことは教えてねぇが……」


「いえいえ、ジェイクさんのお力添えがあってこそです!」


 クロダはニッコリと笑いかけた。


(素直に媚を売っておくのは、俺のなけなしの処世術だけど……実際、ジェイクさんほどやさしい人は珍しいし、本当にこの人が教育係でよかったなあ)


 ジェイクはそんなクロダをちらりと見て、照れ隠しのように顔をそむけた。


「……もういい。研修も終わりだし、どうせもうお前と会うこともないだろう。さっさと行け」


「はい! 本当に、お世話になりました!」


 クロダは深々と頭を下げた。


「……ず、ずるい……なんで、あいつだけ……」


「……どうせ、次も地獄だろ……」


「どうせ帰ってこないさ……へへっ……」


 クロダは、歪んだ期待と諦めの混じった視線を背中に浴びながら、研修部屋を後にした。向かう先は――製品加工課。


 ジェイクに教わった場所へ行くと、見覚えのある扉が目に入った。


(ここは……初日に、男が這いつくばって助けを求めてた場所……)


 あのときの情景が脳裏によみがえる。扉にはやはり「製品加工課」と書かれていた。


(そうか、ここが今日から俺の職場か……パワハラっぽい現場を目撃しちゃったし、ちょっと不安だなあ)


 クロダは扉の前で小さく息を吸い込み、覚悟を決めるようにして、ノブに手をかけた。





 クロダが足を踏み入れた製品加工課の執務室は、まるで戦場のような喧騒だった。


 ものすごい勢いで人々が行き来し、ドタバタという足音が鳴り響いている。その音に負けじと、怒声が飛び交っていた。


「おい、今日納品のブツはどうなってる?! もう持ってかないと間に合わねぇぞ!」


「この注文書、桁が一つ間違ってるじゃねえか! 誰だよ、これ書いた奴は!」


「うるせえ、会議中だって言ってんだろ! 黙って手を動かしやがれっ!」


 もはや会話にもなっていない。混沌とした怒鳴り合いが飛び交い、そこには秩序など存在していなかった。


 入り口で呆然としていたクロダの耳に、ひときわ大きな怒声が飛び込んでくる。


「おい! 早く素材を持って来いって言っただろ! この、鈍間野郎!」


 思わずそちらに視線を向けると、手ひどく叱責されている若い男の姿が目に入った。


「ひぃぃ、すみませぇぇぇん……」


 泣きながら部屋の外へ駆け出そうとする男と、クロダの視線がぶつかった。その顔には見覚えがあった。


(あの日、扉の前で助けを求めていた人だ)


 男もクロダの姿に気づき、足を止めた。


「あ、あれ? 君は……?」


 クロダが今日から製品加工課に配属されたことを伝えると、男の顔がわずかに明るくなった。


「助かった……あ、いや、それはこっちの台詞……ええと、君も今日からここ? 僕はテッド。ここに来て一年くらい経つけど、いまだに下っ端でさ。よろしくね」


「クロダです。よろしくお願いします」


 クロダが殺気立った空気に戸惑いながら頭を下げると、テッドは困ったように眉をひそめて、うつむいた。


「怖がるのも無理ないよ。最近はずっと忙しくて、みんなピリピリしてるんだ。それに、僕の同期が二人も辞めちゃってさ……雑用係が僕一人になっちゃったから大忙しさ」


 テッドが言い終わらぬうちに、さらなる怒声がかぶさってきた。


「おい、テッド! 何をそんなところでサボってやがんだ! "懲罰室送り"にされたいかっ!」


「ひ、ひぇっ! すみません、すぐ行くので、それだけはご勘弁を!」


 テッドはビクリと身体を震わせると、「じゃ、がんばろうね!」とクロダにだけ聞こえる声で言い残し、慌ただしく部屋を出ていった。


("懲罰室"って、なんだろう……?)


 取り残されたクロダの周囲には怒号が鳴り響くばかりで、誰一人として目を合わせようとする者すらいない。どうしたものかと立ち尽くしていると、背後に人の気配を感じた。


 クロダは恐る恐る振り返った。そこには、筋骨隆々の大男が腕を組んで立っていた。


 身長はクロダより20センチ以上高く、日焼けした浅黒い肌に、立派な顎ひげ。口元にはわずかな笑みを浮かべているが、目はまったく笑っていなかった。


(無意識に、背筋が伸びてしまうな……)


 バルドの姿が、日本時代の上司と重なる。クロダは思わず身体を硬直させてしまった。


「おめえが、新入りのクロダか?」


「は、はひ」


「俺が、この製品加工課の課長、バルドだ。よろしく頼む」


「……よろしくお願いしまふ」


 低くて圧のある声に、クロダはうまく口が回らなかった。


「よし、じゃあ早速、仕事をやってもらおうじゃねえか。こっちにこい」


 バルドはそう言うと、ゆっくりと、しかし大股で部屋の奥へと歩き出した。クロダはぎこちない手足をロボットのように動かして、その後を懸命に追った。

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