第3話 日々是好日
知らぬところで様々な策謀が渦巻いているなど、露知らず。
そんなこんなで、アホの娘と皇帝キョンシーの日々は始まった。
「行け、陛下! 悪い奸臣や佞臣を朝廷から追っ払うのよ!」
「がう!」
「やれ、陛下! 私と陛下の仲に嫉妬して陰湿ないじめを仕掛けてくる後宮の妃どもに、バシッと一言いったって!」
「が、がう……」
「臆すなーッ! 行けーッ!」
「がうぅ……」
ときに正義の為政を成し、ときに女の諍いに巻き込まれ。
春霞と僥信は二人三脚で、ありとあらゆる困難に立ち向かう。
あるときは招かれた園遊会にて。
「よくいらっしゃったわね、陛下、洪才人。遠慮なく手料理をお食べになってくださいまし」
血走った目の皇后・趙金蓮から、ドス紫のヤバイ色合いをした汁物を勧められ。
「こ、これは……!」などとほざきつつ、春霞は侍女に銀の匙を所望して、汁物をすくってみた。あっという間に匙はドス黒く変色する。明らかに毒だ。
「陛下、あーん」
「あーん」
「えっ」
皇后もまさか、陛下へ食べさせられるとは思っていなかったようだ。キョンシー皇帝はむぐむぐとちょっとだけ咀嚼してから、だらぁと汁物を吐き出した。ちゃんと「まずい」と一言感想も添えて。
一連の流れを終え、春霞はふふふんとドヤる。
「……これ、毒ですわ」
「陛下に食わすくだりいらんやろ! お前が食えや!」
なんだかんだ、激昂しながら皇后はしょっぴかれていった。未遂に終わったとはいえ、毒殺を試みちゃったので失脚確定である。今後はタコ部屋のような場所に幽閉されるそうだ。
しかし……春霞にはちょっとだけ、後味が悪かった。毒汁事件なだけに。
趙皇后は、なんだかんだ楊僥信を愛していたようだ。おそらく彼女は春霞に彼を奪われたのだと思ったろうし、実際そうだ。
けれど春霞も後には引けない。最近、つわりのような症状が起きている。
── ── ── ── ── ──
数ヶ月が経った。
しばらく一緒に過ごしてみて分かったことだが、僥信はやはり、ある程度の自律行動は可能らしい。語彙は少ないながらも春霞と会話できるし、ぎこちない動きながらも、術者の彼女を守るような仕草をしてみせたり。
しかし一般キョンシーらしく、術者の指示がなければできないことの方が多いし、記憶にも抜けがたくさんある。
「ねえねえ。陛下はどうして私の地元を知ってたの?」
ある晩、春霞はふと尋ねてみた。キョンシー生活初日から気になっていたことだ。
僥信は呪符の後ろで懸命に思い出す顔をしてみたものの、結局は分からなかったようである。
「ごめん、どうしてか、わかんない……でも、春霞のこと、しってる。地元のこと、名前、だけ、だけど」
「へ~」
ふたりで卓を囲み、茶をすすっている。皇帝はキョンシーになってからも、周囲の目をごまかすためにきちんと食事を摂っていた。消化器官も健在なようで、食べたら食べたぶんだけ出るものも出る。いまもふたりは干菓子をもりもり食べながら、歓談にふけっていた。
「じつは私、地元でさ。ずっと待ってた人がいたんだよね」
どうしてその話をキョンシーにする気になったのか、春霞は自分でも分からなかった。地元の話になったから、連想で話題に出したのかもしれない。
「私がまだ七歳くらいの話。私、生まれも育ちも国境の山で、猿や鹿を追いかけて遊ぶのが趣味だったんだ」
「どちゃくその野生児……」
そんな野生児はある日、崖下の茂みで倒れている人影を発見する。見たこともないほど綺麗な顔をした──年上の少年だった。
「気を失ってるところを見つけて、うちのおばあちゃんといっしょに何日もその人を看病したの。おかげでなんとか回復して……しばらくしてから、おうちの人が血相変えて迎えに来たんだっけ。お別れの日、さよならする前に約束してくれたんだ──」
──いつか必ず迎えに行く。だからそれまで、誰にも嫁がないでくれ。
語り終えて、春霞は思い出に耽るように目を閉じた。正直なところ、少年の顔はもうほとんど覚えていない。ただ、綺麗で凛とした面持ちだったことが印象に残っている。
また、彼自身や、彼を迎えに来た人々は──一様に豪奢な衣装を身に纏っていて、まるで都の貴人のような出で立ちだった。
春霞はしみじみと記憶をたどっている。いま考えるとあのときの彼は──いとやんごとなき身分の少年だったのかもしれない。
目前ではいとやんごとなき身分のキョンシーが、うっとりとした春霞の話しぶりに憂鬱な顔をしている。
「春霞、そいつ、結局、迎えに……」
「来なかったんだよね。十何年も待ち続けたのに」
やれやれ、と肩を竦めて、春霞はおどけた仕草をして見せる。その様子に、僥信の憂いの面持ちは──深い深い憎しみに変わった。
「そいつ、許せない。春霞、待ってたのに、約束やぶった」
「慰めてくれるんだ。ありがとね、陛下」
「いますぐそいつを八つ裂きにして
「急に流暢に恐ろしいことを喋る。どうした」
そんなこんなで、術者とキョンシーは交流を重ね。
「春霞、最近、お腹……」
「フフフン。だいぶ育ってきたわね」
当初の目標通り、やはり春霞は懐妊を果たしたようである。僥信はぶきっちょな手つきで春霞の腹を撫でて、驚いたような面持ちをしている。
死ぬほど搾り取ったからねぇ~、とじっと僥信を見れば、キョンシーは気まずそうに目を逸らした。
「洪春霞、皇后、冊立!」
「せやろね~」
皇帝の子を宿した妻妾は当然、皇后に取り立てられることになる。僥信の自信満々の宣言に、百官は納得の顔。
皇帝陛下、万歳万歳万々歳。皇后陛下、千歳千歳千々歳。
臣下からの大合唱を聴きながら、御簾の後ろで春霞はなんとも言えない顔をしている。なんだかんだ僥信とは、すっかり良い相棒だ。
大きくなった腹を撫でながら、娘は玉座の背中を──いつの間にか愛おしく眺めていた。
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