第八章「快弥の反乱」

 月曜の昼休み、学園内の空気はどこか浮ついていた。全校集会から三日。誰もがあの時のひまりの“演説”を心の奥で反芻していた。彼女の声は、強制ではなく、しかし確かに生徒たちの内部に影響を与え、何かを“始めさせて”しまった。教師陣は何も言わない。けれど、生徒たちは分かっていた。この学園の空気が、変わり始めているということを。

 遥希もその変化を肌で感じていた。周囲のクラスメイトが妙に静かだったり、逆に活発すぎたりするのはそのせいだ。誰もが、自分が“今どこに立っているのか”を探っている。まるで、自分の輪郭をなぞるように——

 そのとき、校内放送が突如として割り込んだ。いつものチャイムではない。マイクに雑音が混じる、明らかに非公式な放送だった。ざわめきが一斉に教室を包み、生徒たちの視線が天井のスピーカーに集まる。

「テスト、テスト、よし……聞こえるか? これは、俺、二年B組の藍沢快弥だ。今日は一つ、皆に言いたいことがある。ちゃんと聞け」

 遥希の心臓が跳ねた。教室の前方で教師が慌てて職員室に内線をかけようとするが、回線は切られているようだった。快弥の放送は、そのまま続いた。

「俺はな、最近のこの学園が、どうにもキモいと思ってる。“指示しないのに動く”とか、“ただそこにいるだけでみんなが従う”とか、カッコつけた言い訳にしか聞こえない。ああいうのに従うのって、自分で考えるの放棄してるってことだろ?」

 声は明るく、けれどその軽さの奥に鋭利な批判があった。遥希は教室の空気がどんどん硬直していくのを感じていた。誰もが“あの人”のことを考えている。ひまりだ。快弥は彼女に真っ向から“異議”を唱えようとしているのだ。

「だから今日、俺は放課後、屋上で“白光”ってやつについて話す。命令じゃない。興味ある奴だけ来い。俺が言いたいのは、ただ一つ。“お前はお前でいい”ってことだ。誰かの空気に染まるな。自分のままでいていいんだよ」

 放送は、ぷつりと切れた。生徒たちが息を吐き、教室は一斉にざわついた。教師は騒ぎを鎮めようとするが、誰もその言葉に耳を傾けていなかった。むしろ、生徒たちの多くは顔を見合わせ、互いに“行くかどうか”を探っていた。

 遥希は窓の外を見た。空は澄んでいる。だが、地上では確実に何かが燃え始めているのを感じる。彼はすぐに立ち上がった。

 放課後、屋上には想像以上の生徒が集まっていた。教室では無関心そうに見えた者も、軽い好奇心で来た者も、それぞれの理由を持って。その中心で、快弥はいつもの不遜な笑みを浮かべて立っていた。制服のネクタイは緩み、学ランのボタンも外れている。だがその姿には、偽りのない“自分らしさ”があった。

「来たか。予想より多くてびびるな」

 快弥は遥希に目をやり、ニヤリと笑った。

「なあ、藤崎。お前、あの演説どう思った? あれで動きたくなった?」

 遥希は少し黙って、言葉を選んだ。

「……正直、あの場では動かされた。でも今思うと、それが自分の意志かどうか、まだ分からない」

「だろ? そこなんだよ。俺はああいう“気づいたら動いてた”ってのが気持ち悪くてさ。だから今ここで、俺の声で、俺のやり方で、俺が話す」

 そう言って、快弥はステップのように数歩前に出た。そして、叫ぶでもなく、囁くでもなく、ただ“普通の声”で話し始めた。

「“白光”って、結局なんなんだよ。未来を導く? 共感で人を動かす? 理想を押しつけてるだけだろ。命令しないで支配するなんて、一番質が悪いよ。だったらいっそ、命令した方がマシだ」

 ざわ……と、集まった生徒たちが息を呑むのがわかった。誰も、ここまで明け透けにひまりを否定したことはなかったからだ。遥希ですら、胸がざらつくのを感じていた。

「でもな、それでも、俺は会長のこと嫌いじゃねぇんだ。むしろ、すげえとは思うよ。何も言わなくても皆が動くとか、まじで超能力だろ。でも、だからこそ言いたい。俺はそれに“乗らない”って。誰かの思想に流されるくらいなら、俺はずっと一人でいい」

 一拍の間のあと、快弥は両手を広げるようにして言った。

「これが俺の“演説”だ。どうだ、動きたくなったか?」

 その場にいた誰もが言葉を失っていた。その挑発とも自嘲ともとれる結びは、ひまりの演説とは真逆の“抗う言葉”だった。だがそれはそれでまた、一つのカリスマだった。従わせるのではなく、拒むことで自分を保つ姿勢。それもまた、意思の表明に違いなかった。

 そしてそのとき——

「……でも、誰も動いていないわ」

 柔らかい声が、背後から響いた。振り返った先に、いつの間にか、ひまりがいた。いつもの制服、いつもの沈黙。けれど、その一言で、快弥のすべての言葉が宙に浮いたようだった。

 彼女はゆっくりと屋上を歩き、快弥の正面まで来て立った。そして、その顔をまっすぐに見つめてこう言った。

「あなたが自分の言葉で、誰かを“動かそう”としたこと。それはとても大切なこと。でも、もしあなたが本当に一人でいいと思っているのなら……きっと、こんなふうに“話さなかった”はずよ」

 快弥の瞳が揺れた。それを見て、ひまりは微笑んだ。いつも通り、何も命じない。ただ、彼の奥底にあるものを見つけて、それを“そのまま”肯定する。

「あなたが選んだ道が、あなた自身の言葉である限り——私はそれを否定しない。でも、自分の中にある“誰かと繋がりたい気持ち”を否定しないで。それがあなたを自由にするのだから」

 快弥は何も返さなかった。ただ、顔をそらし、舌打ちのように笑った。

「……くそ。あんた、ほんとそういうとこ、卑怯なんだよ」

 それは敗北ではない。受容だった。反乱は失敗したのではなく、自らの“形”を見せたことで、“認められた”のだった。誰にも従わないことで生きてきた快弥にとって、それは初めての“共鳴”だったのかもしれない。

 その日、屋上にいた全員が、何も決断はしていない。それでも、何かが確実に、胸の奥で“揺れた”のだった。

 第八章、完

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