第四章「白光計画」

 教室のカーテンが風に揺れている。五月の初め、燈台学園の空は雲一つないほどに晴れていたが、遥希の心の内は晴れなかった。三日前から続く夢の記憶は、日に日に色を濃くして、現実に染み出してくる。夢の中で見た燃える学園、そしてその中心にいた来栖ひまり。すべてがただの幻だったならどれほど楽かと思う一方で、そう願えない自分もいた。

 昼休みのチャイムが鳴る頃、なる実が無言で遥希の机をコン、と指先で叩いた。彼女の動作はいつも静かで、余計な言葉を省く代わりに、目的だけは明確だ。今日もまた、何かを伝えにきたのだろう。遥希は弁当を閉じ、目で「分かった」と伝えると、彼女は一言だけ呟いた。

「ついてきて」

 向かったのは、校舎裏の旧図書室だった。今では誰も使わず、資料だけが埃をかぶって眠っている場所。人の気配のないその空間に、なる実は迷いなく足を踏み入れた。蛍光灯が一部壊れていて、棚の間には薄暗い陰が差していた。その中の一番奥、ロッカーの裏に隠された端末を、なる実は何の迷いもなく取り出す。

「ねえ、藤崎遥希。君、白光候補でしょ?」

 まるで「今日はいい天気ね」と言うような自然な声だったが、その意味は異常に重かった。遥希の呼吸が一瞬止まる。彼女の顔を見返しても、何の冗談めいた気配もない。目の奥にあるのは、ただ冷静な確信だけだった。

「……白光って、なんだ?」

 なる実は、答える前にほんの一拍の間を置いた。その沈黙が、これから語られるものの重みを予告するようだった。

「“白光”っていうのはね。……この学園に古くから存在する、非公式の選抜制度。表向きは進学校。でも裏では、“未来を導く者”を育てるための訓練機関として動いてる。その中核にいるのが、白光計画。候補に選ばれると、普通の生徒とは別の基準で見られることになるの」

「未来を……導く……?」

「うん。政治でも、経済でも、思想でも、文化でも、“次の時代”を動かす核になる人間を、今のうちから育てる。国単位じゃない。もっと大きな枠で、人類社会全体を対象にした構想。……まあ、君が信じるかどうかは自由だけど」

 遥希は息を呑んだ。そんな話、常識で考えれば馬鹿げている。だが、ひまりのあの在り方を思い出す。誰にも命じず、誰もが彼女の言葉で動く不思議な空気。それは“訓練されたもの”ではなく、もはや“存在そのもの”だった。

「で、どうして僕がその候補に?」

「明晰夢。君の見る夢は、ただの夢じゃない。“未来の可能性”の投影。選ばれる資質があるってこと」

「誰がそんなのを……」

「私よ」

 なる実の即答に、遥希は言葉を失った。彼女は端末を操作し、一枚のログを画面に表示する。それは、ひまりに関するデータだった。出席記録、行動記録、SNSの断片的なやりとり。そして——“推薦状”というタグがついた内部ファイル。

「推薦、されてたんだ。君。……ひまり会長に」

 遥希の目が見開かれる。彼女が——自分を?

「でも、あの人はこうも書いてた。“従うようなら、推薦は取り消していい”。だから私は見てた。君が、自分の頭で考えるかどうか。自分の意思を持って歩けるかどうか。誰かの言葉に従うだけじゃ、白光にはなれない」

 その言葉は、遥希の中のある部分に突き刺さった。夢の中で聞いた声。「君は、見届け人だ」——それは、“ただ見る者”なのか、それとも“その先へ行ける者”なのか。

「選ばれるだけじゃだめ。自分で選び返さなきゃ意味がない」

 なる実はそう言ってから、ポケットから小さな紙片を差し出した。手書きの文字だった。

《まだ見えていないものがある。でも、それは見ようとしないと現れない。》

 ——ひまりの筆跡。

「これが、彼女から預かった最後のメッセージ。君に、直接渡してって言われてた」

 その紙片を握る手が、わずかに震えた。そこに書かれた言葉は、命令ではない。ただの提案。それが逆に、恐ろしく響く。自分の意志が試されている。そんな感覚が全身を包む。

「白光は命令しない。選ばせる。でも、その選択肢に気づけるかどうかは、本人次第。君がそれに気づけるなら……」

「——候補になれるってわけか」

 なる実はゆっくり頷いた。

 旧図書室の窓の外には、学園のグラウンドが見えた。そこには日常があった。笑い声や、部活の掛け声。けれどその下に、もう一つの“真実”が走っているのだとしたら。遥希はその線を、確かに今、跨いでしまった。

 第四章、完

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