第08話 結局、夢オチ


 夢をみた。


 見慣れているはずなのに、どこか霧がかかったように曖昧な風景だった。淡く霞んだ山々、草の匂い、……この既視感はたぶん、俺の故郷、九州、阿蘇の山々だ。


「ノー****ア、おーい遊ぼうぜー」


 そんな大パノラマのカルデラ地の一角に、幼い声が響いた。

 ん? これは俺……か?


「あ、巧史朗こうしろうくん。待ってて今行く」


 田舎には似つかわしくない豪華な屋敷。その大きな窓から、一人の女の子? が手を振っている。


 白い靄がかかっていて女の子の顔が分からない。それに俺は今、彼女を何て呼んだんだ? 彼女の名前……ノー****ア。


 どこかで聞いたような気がする。けれど、はっきりと思い出せない……。それはまるで記憶の一部だけが意図的に塗りつぶされているように。この夢の中では女の子の顔と名前が削り取られていた。



 それから夢は、ページをめくるかのようにシーンを飛ばしていった。


──── 


 これは……小学校の教室?


 ざわざわとした空気。夏の日差しが窓から差し込んでいる教室の後ろで、何人かのやんちゃな男子が集まって騒いでいる。


「なぁなぁ。ノー****アのやつ、なんか気持ち悪くないか?」

「あーアイツんち、悪魔が住んでるって噂だぜ」

「まじかよ、やっぱり気味悪いな。うわっ、噂をすればその悪魔が来たぞー」


 そんな男子たちの声に、ランドセルを握りしめた子が小さく肩を震わせていた。……あの子だ。顔はやはり見えない、だが俯き、必死に男子達の悪口に耐えているのは分かった。


「おい、お前らいい加減にしろって」


 お、俺がきた。

 もしかしてこの女の子を助けるつもりだったり?

 ははっ、こんな正義のヒーロー気取ってた時もあったっけ。

 懐かしいな。


「うわっ、松土だ! コイツも悪魔の味方だぞ。やっちまえー」


 ――― ゴッ


 次の瞬間、響く鈍い衝撃音。

 一対三の喧嘩が始まった合図だ。 


 いやはや。

 殴り合いの喧嘩なんて久々に見たな。

 お、いいぞ。じいちゃん仕込みのナイスパンチだ。

 

 すったもんだの大立ち回り。その結果。


「コイツ、強ぇ……」

「……行くぞ、お前ら」

「くそー、覚えとけよ松土!!」


 予想を覆し俺は、三人の男子相手に勝利していた。


「いてて……ったく。あいつらは本当に」

「ご、ごめんね巧史朗こうしろうくん。私のせいで」

「いや、気にすんなって。あいつらがバカなだけだし」

 

 擦り傷の入った頬を撫でながら笑った俺と、震える声で謝っている女の子。

 

 いやー、昔の俺カッコつけてんなー。つか、俺ってこんなに喧嘩慣れしてたっけか? フィジカルは中々のもの、山の中を走り回っていた恩恵かもしれない。最後の一撃なんか、ガキ大将の玉が潰れてないか心配である。 

 

「こ、巧史朗こうしろうくんは……も、もし私が悪魔だったらどう思う?」

「はぁ? そんなの居るわけねーじゃん」

「そ、そう……だよね……ははは」


 女の子は頬をかく仕草で、どこか強がっているようにも聞こえる笑い声を上げる。


「まぁでも、もしそうでも関係ねーよ」

「えっ?」

「いや、だってノー****アは、ノー****アだろ」

「……っ…」

「それに──」

「?」


 ふと目の前に手をかざしたガキんちょの俺。


「悪魔よ。時空の歯車、永久に軋みて止まることなし……だが我、星の彼方よりその理を拒絶せ……あれ、なんだっけ」


「……なにそれ?」


「いや、昨日やってたアニメ。この詠唱の後に悪魔と契約した主人公がチョーイカス必殺技を出すんだけど、悪魔ってなんかカッコよくね? もし居たら友達になりてーわ。てか俺に必殺技を撃たせてくれ」

「ぷっ! ってなにそれ! あははっ、巧史朗こうしろうくん何言ってるの?」


 彼女の笑い声が、かすかに揺れた。

 柔らかくて、あたたかくて、懐かしい。 


 やはりどこかで聞いたような……。

 ぐっノイズが……。



──── 夢はまた違うシーンへ飛んだ。


 暗い森の中。

 湿った土の匂い。そして枝を踏む音。


 少女の泣き声が響いていた。

 

「うぅ……いたいよぉ……ぐすっ」

「大丈夫、俺が絶対連れて帰る」


 俺は、背中に女の子を負ぶっていた。

 血……。この子、ケガしているのか。


「うゎあん……ひっ、し、しぬのかな私……!?」

「大丈夫だノー****ア。頭の傷は派手に見えるだけ……ほら、ふもとが見えてきたぞ」


 木々の間から明かりが差し、視界が開ける。

 そして二つの人影が駆け寄ってきた。


「ノー****ア!!」

「ノー****ア!! 大丈夫か!!」


「はぁはぁ、強く頭を打っています、すぐ病院へ」

「君は……」


 声をかけてきたのは大人の男女。

 だめだ、この二人も顔が分からない。


巧史朗こうしろうくん、ゴメン。私のせいだ……」

「ノー****ア? あれ? おじさん? おばさん? なにするの!?」


「この子が例の……。まずいな、まだノー****アと交わらせるのは早い。間違いが起こったら危険だ」

「そうね……もう少し***が成熟しないと、あの方の力に耐えられない」

「お父さん! お母さん! 何するの!?」

「大丈夫だよ***。巧史朗こうしろうくんに害はない。ただ少しお別れするだけさ。君が大人になるまでね」


 これはいったい何を……?


 ぐっ………。


 そこで俺の夢は完全に暗転した。



──────


────


──



 モゾッ。


 んんぅ……?


「んっ、んっ。巧史朗こうしろうくん、気持ちいぃ?」


 ん? なにか柔らかいものが、下半身に。


「あ、膨らんできた……。ふふっ、これ気持ちいいんだぁ?」


 なんだ、この生暖かいモゾモゾ。


「んっんっ。いつでもいいからね……」


 俺は何を……。


 そうだ埜ノ乃ののの!!





 ピピピピピピピピピピピピ ── ベシッ!


「んぅうーん。ふぁーっ」


 こじんまりとした六畳間。

 それはいつもの朝だった。


 いつもの時間になる目覚まし。

  これを確実に一撃で仕留める。

 

 いつものスマホチェック。

  よし、今日は三限からだ。


 いつもの二度寝。

  さて、あと二時間は寝られるぞー。


「ってまてーい!!!!」


 俺は上半身を飛び起こした。


 その勢いのまま部屋の中を注意深く見まわしていく。


 まさかまさかまさかまさか。

 まさかッ!!


 全部夢……なのか? 


「そんなわけ……ない!? ない、ないないないない!!」


 ない。

 部屋が散らかってない。


 ない。

 あのティッシュのゴミがない。


 ない。

 サキュバスAVの閲覧履歴がない。


 ない。

 隣で寝ていたはずの彼女がいない。


 昨日の夜の痕跡が何一つ無くなっていた。そしてさらには極めつけ……。パンツの前部にじわりと広がっているシミから生臭い匂いが漂ってくる。


「最悪だ、夢精してんじゃん俺……終わった」


 全部妄想、夢オチである。宝くじに当選したと思ったら一桁間違いだった。


 たぶんそんな虚無感だと思う、当たったことないけど。


 でもまぁ、確かに昨日のアレは夢だと考えたほうが現実的にもしっくりくるわけで……。


「サキュバスなんて居るわけないよな、そりゃ」


 いやでもなぁ……。

 目を閉じれば鮮明に思い出せる。


 埜ノ乃のののの声。

 埜ノ乃のののの温もり。

 埜ノ乃のののの……。


「はぁ……まじかよ……夢って……」


 身体中の気力が抜けきってしまった俺はベッドの淵に座り頭を垂れた。


 差し込む朝日はやけにまぶしくて────。

 少し、寂しかった。

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