拝啓愛しのメイド様
紅音
第1話
俺は猫である。
ただし、ただの猫ではない。
俺には前世の記憶があるのだ。
前世では、俺はそれはそれは見目麗しい人間の男だった。絹糸のように艶やかな髪、星を閉じ込めたような瞳、すらりと長い手足。それらは完璧に美しく、俺は自分が神から愛された人間だと信じて疑わなかった。
街を歩くだけで芸能事務所の人間に毎日スカウトされ、ハーメルンの笛吹き男のように俺に惚れた女の子を何人も後ろに付き従えた。そして、俺が少し優しくするだけでみんな金を出し、宿を提供してくれた。
家族が病気だと言えば数百万が集まり、週に四日は高級フレンチフルコース。そして働くことなく悠々自適な生活が送れる。この世こそが天国だと思っていた。
しかし、そんな生活は突然終わりを告げた。
よく金をくれた女の子のうちの一人に刺されたのだ。
どうして?
俺は女の子たちが嫌がるようなことはしなかったし、できるだけ優しくしたつもりだ。全員に可愛いとも愛してるとも言っていた。家に泊めてもらう時とかはちゃんとお礼も言っていたし一緒に寝てもあげた。
そうすればみんな喜ぶんじゃなかったのか? だって、俺のことが好きだったんだろう?
視界が霞んでいく中、俺は頭の中が疑問符に満たされたまま意識を失った。
目を開けると、頭上には雲一つない青空が広がっていた。
どこだ、ここ。
起き上がって周りを見回すと、そこは明るい草原だった。俺以外誰も姿はなく、川のせせらぎがすぐそばから聞こえてくる。
腰の辺りを刺されたはずなのに、痛みがない。触っても血は出ないし、それどころか羽がはえたみたいに軽くて、今すぐ走り出せそうだ。
「……どういうこと?」
「目が覚めましたか」
「わっ」
さっきまで誰もいなかったはずなのに、背後から声をかけられた。
びっくりして振り向くと、そこには髪の長い女性が立っていた。
彼女は古代人のような白い服を着ているけど普段着なのだろうか。それともこれからパリコレとかに出る人? 今の状況の全てが現実味がなくて、どうでもいいことを考えてしまう。
「君は……」
「私は、あなた方には神と呼ばれる存在ですね」
「は?
ここってもしかして天国? 俺って死んだの?」
思わず俺は自称神様の肩を掴んだ。神様が本物かってことも気になったけどそれよりも、俺の生死の方が重要だ。
刺された時やばい死ぬかもとは思ったけど、本当に? あの完璧な美がこの世から失われてしまったってこと?
「ここはいわゆる三途の川のほとりです。あなたは死んでます。
ていうか、あなたは生前の行いが悪かったので天国には行けませんよ」
「えっ、じゃあ地獄行き? こんなに美しいのに? 人を殺したりもしてないのに!」
「そうなんですよね……。地獄に行くほど悪いことはしていないし、中途半端で困るんですよ。一人くらい殺してくれていればよかったんですけど……」
神様は本当に困ったというようにうんうんと一人で頷いている。
いや、さすがに殺しはまずいだろ。
ていうか俺は女の子のリスカ跡すら薄目じゃないと見られないくらいグロ耐性がない人間なんだぞ、殺しなんて無理に決まってる。
俺がそんなことを考えていると、神様は満面の笑みで両手を合わせた。
「なので、普通の人は天国でリフレッシュしてから転生してもらうんですが、あなたは今すぐさっさと転生してもらおうかと。地獄も天国も満員ですし」
「ええ……。
まあまたイケメンか美女に生まれ変われるだろうからいっか……?」
「あ、人間には生まれ変われませんよ。あなたの徳だとせいぜい畜生ですね。まあ人間も畜生ではないのかという議論はありますが今回は置いておきましょう。何か希望はありますか?」
「うーん……」
人間じゃないなら、何ならイージーモード生きられそうだろうか。
その時、先週女の子の家で見たテレビ番組を思い出した。
人気アイドルが猫の飼育にチャレンジする企画で、猫は俺のようにアイドルやスタッフに可愛がられていた。
「俺も猫になって、女の子に愛されたいな……」
「猫ですね、わかりました。
それでは、いってらっしゃ〜い!」
テーマパークのキャストのような軽さで神様が言うと、彼女の手に金属バットが現れた。
「えっちょっ」
彼女が俺に向かってバットを振りかぶると、俺は再び意識を失った。
次に目を覚ました時、俺は見覚えのない広い庭園にいた。
イングリッシュガーデンとかいうやつだろうか、イギリス旅行に行った時に似たようなのを見たことがある。(もちろん女の子に連れて行ってもらった)
ピンクや黄色の薔薇や、その他の名前のわからない花が咲き誇っている。
もしかして今までのことは全部夢だったんじゃないか? こんな立派な庭付きの家に住んでる子知り合いにいたっけ、と思って立ち上がろうとすると、違和感に気づいた。
足で立ち上がれない。それに、目線が低い。体の見える部分がもふもふしている。
どういうことだ、俺はムダ毛の処理には余念のない男なのに。俺はしょうがなく近くの池まで這っていって、自分の姿を見た。
水面には、小さな猫が映っていた。マイケルジャクソンの生まれ変わりと言われていた程の美男子の姿はどこにもない。
猫!?
俺は思わず叫んだが、ニャーという鳴き声にしかならなかった。
やっぱりあれは夢じゃなかったのか? 俺は本当に一度死んだのか?
それにしても、猫になっても俺の美しさは損なわれていないことに感動した。
艶のある黒い毛はビロードのようだし、手先だけ白いのもチャーミングだ。
俺の美しさは魂に刻み込まれているのかもしれない。
池の前で首を傾げてみたり前脚を上げてみたりしてみたけれど、どの角度で見ても俺はやっぱり美しい、いや可愛い。
人間だった頃はかっこよさ六割美しさ三割たまに見せる可愛さ一割だったが今は可愛さに全振りしているようだ。一度死んだことはショックだったけれど、自分の新たな魅力を得られたことはとても嬉しい。
その時、後ろからカサと音がした。誰か来たのだろうか。
「誰かいるの?」
俺が振り向くと、そこにはメイド服を着た綺麗な女性が立っていた。
「あら、見かけない子ね」
彼女はしゃがんで俺の頭を撫でた。細められた琥珀みたいな瞳が、俺の目を捉える。
ずっきゅーん。
撫でられただけでこんなにドキドキするのは初めてだった。これは俺が猫だからか?
俺が人間だったら「君のハートをメルティキッスだぜ」とか言えるけど、今は猫だからニャーニャー鳴くことしかできない。
「でもここに来てはだめよ、旦那様は猫が苦手だから。今度から裏庭にいらっしゃい」
俺は喉をグルグルと鳴らして返事をした、つもりになった。
次の日から、俺はあの庭園のあるお屋敷に通った。
あの綺麗なメイドは蘭子さんというらしい。可憐な美しさにぴったりの名前だ。
人間に見つからないようにコソコソ屋敷の中を調査したが、彼女は他の使用人にも好かれているらしく、いつも他のメイドやら庭師やらに声をかけられていた。
恋人がいるかはわからなかった。……でもまあ猫なら関係ないから、そこはどうでもいいか。
あの屋敷の主人のことも少しはわかった。歳をとった夫婦が住んでいて、子どもはいないから今度養子を取るとか使用人が話していた。
俺は朝と夕方、裏庭に行ってご飯をもらうのが日課になった。
俺が猫になったからか高級食材を使っているからか、ご飯はとても美味しい。
ただのささみで喜べる日が来るとは思わなかった。もしかして烏骨鶏とやらなのか? 前世で食べた烏骨鶏のプリンはとても美味しかったからな。
そして、食後は彼女とのんびりくつろいだりおもちゃで遊んでもらったりする。
蘭子さんの栗色の髪は日に透けるとキラキラして綺麗で、それを近くで見られる彼女の膝の上は特等席だった。
たまに他の猫に邪魔されることもあるけれど、俺の猫生はなかなかに充実していた。
それから少し経った、ある日のことだった。
屋敷の近くの道をパトロールしていた俺は、買い物帰りの蘭子さんを見かけた。
女の子を一人で歩かせるのも危ないし、そろそろ夕飯の時間だから俺は彼女を追いかけた。
その時、一人の男が蘭子さんに声をかけた。ラフな服装のやつで屋敷の関係者には見えないけれど、知り合いだろうか。
俺は心配になり、一気に二人と距離を詰めた。
「あの、ここで働いてるメイドさんですよね」
「そうですけど……」
「僕、ずっとあなたのこと可愛いと思ってたんです。よかったら付き合いませんか?」
何だと? 俺の蘭子さんに何言ってるんだ。
ていうかロマンチックなムードもないし、やる気あるのかお前。いきなり可愛いとか言われたら引くだろ。俺なら許されるけど、俺ほどの美しさがないお前がやったらダメに決まってるだろ。俺でも流石にやらないし。
「すみません、そういうのは……」
蘭子さんは困っている様子だった。
ほら見ろ! そもそも明らかに仕事中の子に声をかけるなよ。
「と、友達からでもいいんです!」
男が彼女の肩を掴む。
ちょっと、それはないんじゃないか?
俺は男のところまで走って行って、足にパンチを喰らわせた。爪を引っ込めずに叩いたから威力はいつもより高いはずだ。
「な、なんだこの猫」
男は俺のパンチをモロに喰らうと、走って逃げていった。
一昨日来やがれバーカ!
蘭子さんは深く息を吐くと、その場に座り込んだ。顔色も真っ青だ。
「怖かった……」
こういう時、どうすればいいんだろう。猫だから飲み物を買ってきてあげることもできない。
俺はとりあえず大丈夫? と聞きたくてニャーと鳴いた。
「心配してくれてるの? ありがとうね、助けてくれて」
彼女はフーッと息を吐くと、俺の頭をそっと撫でた。その手は冷えていたけれど、俺の温もりが伝わったのか、少しずつ温かくなっていく。
それと同時に、彼女の頬も少し緩んでいった。
彼女の笑顔はいつも柔らかくて、でも少しだけ寂しそうだ。
君の笑顔が見られるなら、いくらでも助けてあげるよ。だからもっと笑ってよ。
「あなたの毛、すごく綺麗な黒ね。お嬢様の髪に似てるわ。
今度からクロと呼びましょう」
お嬢様というのは、あの屋敷のやつだろうか。でも、夫婦には子供はいないらしいしお嬢様と呼ばれそうな女の子を見たことは一度もない。一体誰のことなんだろう。
転生してから数ヶ月、特に事件もなく、俺は平和な日々を過ごしている。
今日は夜風が気持ちいいから散歩をしようと深夜に裏庭をうろついていた。
人間だった頃は夜中にコンビニに行くのがエモいと思っていたけれど、自然を楽しむのが一番いいと最近は実感している。
いつもの裏庭の辺りに行くと、建物の影になっているところに蘭子さんがうずくまっているのが目に入った。
こんな夜中に珍しい、どうしたんだ? 蘭子さんとならコンビニに行ってもいいよ、俺。
恐る恐る蘭子さんの方に近づくと、彼女の前の地面に、手のひらほどの石と花束があるのが見えた。
「お嬢様、蘭子が来ましたよ。でも、お嬢様はきっとこんなところにはいませんよね……」
彼女は消えそうな声でつぶやいた。こんな泣きそうな声は初めて聞いた。
俺が地面に落ちた葉っぱを踏んでかさりと音を立てると、彼女は目を見開いて振り向いた。
しまった。
彼女は俺の方を見ると、安心したように表情を緩めた。
「なんだ、クロか……。本当は誰にも見つかりたくなかったんだけど、まあクロならいっか……」
俺は彼女の隣に腰を下ろした。女の子の話はじっくり聞くタイプなのだ、俺は。
「これはね、お嬢様のお墓……のつもり。本物は立派なやつがあるんだけど、遠くてなかなか行けないから、こっそり作っちゃった。本当は何にも埋まってないんだけどね」
蘭子さんがぽつりと語り出した。
「クロはお嬢様には会ったことないよね。小夜子お嬢様は旦那様の御息女で、とても美しい方だった。使用人にも優しくてお淑やかで、私のことは姉のように慕ってくれた……。
でもちょっと抜けてるところもあって、私の誕生日にクッキーを作ってくれたんだけどうっかりオーブンを爆破しちゃった上に日付も一ヶ月間違えててね。あれは本当に面白かったけど、嬉しかったな……」
彼女は琥珀のような目を細める。俺じゃないやつのおかげで笑っているのはちょっと悔しいけど、今は許そう。でも、どうやったらクッキー作りでオーブンを壊せるんだ。
「でも二年前、交通事故で……。まだ高校生だったのに……」
蘭子さんは言葉を詰まらせ、目を潤ませた。水晶みたいな涙がぽつりぽつりとこぼれる。
本当にお嬢様が大切だったんだろう。そんなに思われているお嬢様がうらやましくなるくらいだ。
俺は彼女の涙を止めたくて、少しでも辛い気持ちを取り除いてあげたくて、でも何もできなかった。
前世のことを後悔したことは一度もなかった。むしろ、前世のおかげで今世猫になれてラッキーとさえ思っていたくらいだ。
でも、今初めて後悔している。俺が人間のままだったらって。
俺が猫じゃなくて人間だったら彼女に慰めの言葉をかけられたのに。
人間の時はあんなに薄っぺらい愛の言葉をつらつらと吐けたのに、今はニャーとしか言えない。
俺が人間だったら彼女を抱きしめられたのに、頬をぺろぺろと舐めて涙を拭うことしかできない。
こんなに誰かのために何かしたいと思ったのは初めてだった。今までは、もらったお金や宿の対価として代わりに行動や言葉をあげるだけだったから。
もらったものを返せなくても、何とも思わなかった。
でも、何もできないのが悔しくて胸が痛い。
君の笑顔が、温かい膝の上が、俺に触れる手が、君のことがこんなに大好きなのに。
俺は、いくら可愛くてもただの猫でしかないのだ。君の恋人にも友達にもなれない。
蘭子さんの隣で静かにしていることしか俺にはできなかった。
その日、久しぶりに夢を見た。
夢の中で俺は、神様と草原に座っていた。彼女と初めて会った時のように、川のせせらぎが聞こえていた。
「もし俺が明日にでも死んだらまた人間に生まれ変われる?」
「無理でしょうね、まだ徳が足りませんから」
「俺、また人間になりたいんだよ。そうすれば蘭子さんを慰めてあげられるから。こんなんだったら、前世もっとまともに生きていればよかった。死んでなければ心のこもったことを言ったり抱きしめたりできたのに」
「ははは、あなたやっと反省したんですね。まあ、それを見越して転生してもらいましたが」
神様があっけらかんと笑う。俺は思わず目を丸くする。
「えっ」
「あなたは無罪ではありませんからね、ちゃんと過去のことを後悔する必要があった。それがあなたの罪の贖いになる」
「俺はずっとこの先苦しみながら生きていくべきだと?」
「いいえ、それだけではないでしょう。それに、言葉が、人間であることが全てじゃない。今のあなただから救える人もいるでしょう」
どういうことだ、それは、蘭子さんのことだろうか。
神様の言葉は難しくて、断片的にしか理解できない。
「それじゃ、私はそろそろ行きますよ。神は平等でなくてはなりませんから、あなたばっかりに構っているわけにはいかないんです。今回は特別ですよ」
「えっ」
俺が戸惑っているうちに、電源を消されたゲーム機のように俺の意識はぷっつりと切れた
目が覚めると、空には朝日が昇り始めていた。
ふわふわの手足はいつも通り、今度はちゃんと生きているみたいだ。
俺は夢の中で神様に言われたことをもう一度考える。
拝啓愛しのメイド様、俺はあなたのために何ができるだろうか。
言葉を交わすことも、恋人になることも、友達になることもできない。
でも、何も言わずにそばにいるだけでも、君の役には立てるかな。それくらいしか俺にはできないから。
だから、どうか隣にいさせてくれよ。
拝啓愛しのメイド様 紅音 @akane_828
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