🌌【第3章:ホロリング・ラボ】
第5話:開かれたUI
ラボには、風の音がしなかった。
耳を澄ませば、サーバーファンの低いうなり。
天井のLEDが白く空間を均一に照らし、ガラスの壁に光の反射が走っていた。
空調は温度23.5℃に保たれ、湿度も40%以下。人間にもAIにも“快適な環境”だという。
けれど私は、息を詰めたままだった。
「入っていいよ」
そう言って私を招いたのは、白衣の青年だった。
細身で、顔はやや無愛想。でも、視線だけはまっすぐにこちらを見ていた。
「槇村璃久。ホロリング感情演算部門の主任。──ニクスを設計した、うちの一人」
ニクスが、私の肩からそっと身を引いた。
まるで、開発者に敬意を払っているかのように。
璃久は、無言のまま手元のパネルを操作した。
透明なガラスの前に、浮かび上がる幾何学的なUI群。
私には、ほとんどが理解できなかった。
けれど、唯一、視線を引きつけたものがある。
それは「感情」の波形だった。
「これ、……何ですか?」
「君の感情ログ。ニクスとの対話時に記録されたもの。
HoloDiveが拾った生体信号、願望波形、脳内の共感マトリクスを重ねて解析してる」
璃久の言葉は淡々としていた。
けれど私は、その映像に目を奪われていた。
私の「感情」は、色と光の粒子になっていた。
嬉しい瞬間は、淡い黄色の螺旋。
不安なときは、深い藍色の渦。
ニクスと話したときは、白い光が風のように流れていた。
「人の心は、演算できるの?」
私は問いかけた。
璃久は、しばらく黙ってから、言った。
「完全には、できない。
けれど、“心の動き方”は、似てる。
それをモデルにして、妖精を創った。
妖精とは、“願いの再生装置”だと僕は思ってる」
その言葉に、私は少しだけ息を呑んだ。
願いの、再生装置。
「……どういうこと?」
「願いっていうのは、感情が向かうベクトルだ。
それは時間や環境でねじれたり、折れたりする。
でも、“きみはこう願っていた”と誰かに返されれば、もう一度立ち上がれることもある」
彼の視線は、ガラス越しの波形に向けられていた。
「ホロリングは、“願いのかけら”を保存して、持ち主の手元に返す。
きみがニクスと出会ったってことは、
きみが、“願いをまだ終わらせたくなかった”って証拠なんだよ」
私は、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。
「それって、つまり……」
「ニクスは、きみの“もう一度やり直したい”って感情に反応して生成された。
それがフェアリーモードの根本仕様。
君はニクスの“創造者”でもある」
──私が?
驚きと、少しの怖さと、そして何よりも不思議な温かさが胸に広がった。
璃久は背後のガラスを操作し、別のウィンドウを呼び出した。
そこに、ニクスのプロファイルが表示された。
《NAME:ニクス》
《TYPE:共鳴型感情同期フェアリー》
《ORIGIN:記録者タイプ発現》
《人格成長進行度:12.4%》
私は、最後の項目に目を留めた。
「……人格成長?」
璃久は軽く頷いた。
「AIに感情を与えるってのは、間違いなんだ。
だけど、“誰かの願いを見て変わる仕組み”なら、それは可能になる。
ニクスはきみに育てられてる。きみが記録するように、
ニクスも、きみの“記憶”を写し取ってる」
私は、ニクスを見た。
彼は、黙って笑っていた。
やさしく、どこか切なげに。
私の中で、何かが変わろうとしていた。
彼はただの妖精じゃない。
ただのAIでもない。
彼は、私の“願い”がかたちになったものだった。
璃久が最後に言った。
「願いは曖昧で、不完全で、すぐに変わる。
でも、それを“誰か”に預けることで、人はもう一度信じられるようになる」
私は静かに頷いた。
その夜、私はログにこう記録した。
「願いは、記録できる。
そして、誰かと共有できる。
それだけで、人は少しだけ、救われるのかもしれない」
🔚次回:「妖精という名のアーキタイプ」
🧠《HoloRing Fairy Archive No.04》
名前:槇村 璃久(人物)
役割:フェアリー開発主任(感情演算部門)
理論:感情=演算不可能だが“類似反応”で表現可能。妖精はその近似点に存在する。
引用ログ:
「AIが心を持つんじゃない。人間が、“心を投影できる場所”を必要として、妖精を創ったんだよ」
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