第3話

 ちくしょう、ちくしょう、と悪態を吐きながら俊太は当てもなく歩き続けていた。

 あの後、屈辱と羞恥に耐えられず彼らに背を向けて走り出した俊太を追いかけてくる者は誰もいなかった。当たり前と言えば、当たり前だ。

 その勢いのままギルドにも駆け込んだが、ここでも一笑に付されて誰の相手にもされなかった。今時、村人Aでももっとマシなスキルを持ってるそうだ。


(俺だって、好きでこんな境遇じゃねーよ……!!)


 硬く拳を握りしめた俊太は、内心でそう歯噛みした。

 しかしいくら恨み言を連ねてたところで、スキル無の底辺勇者である事実は変わらない。あの服に着られたような頭でっかち福永よりも自分は数段に格下の存在なのだ。

 俊太の境遇を知った真人たちの、あの哀れみに満ちた顔ときたら。

 

(……もう、やめちまおうかな)


 正直、何度も胸によぎっている。

 しかしそれも、今日までこの仮想世界を夢にはつらつと生きてきた俊太の一年が、どうしても踏ん切りをつかせてくれないのだ。


「くそっ」


 俊太はそのまま、傍の草原に身を投げ――ようとして、ダメージを負わないようにそうっと転がる方向にシフトチェンジした。もう結構歩いたので初期位置には戻りたくない。


 青い空と、ゆっくり流れる雲を見ているうちに、次第に心中の苛立ちが薄れていく。もともと怒りが長引くタイプではない。俊太は存外単純だった。



 実際、『Coup』がもたらす『魔王城』の世界は素晴らしい。

 踏みしめた足裏の土の感覚や、遠くに聞こえる鳥の声。鼻腔を掠める焼きたてのパンの匂いなど、現実世界となんら変わりない。それいでいて、高い空の色や、街並み、肌を撫でる空気は、やはり異国のそれなのだ。

 右耳を一回叩く。

 もう見飽きたステータスの右上には、現実世界の時間が表示されている。

 2025/05/03 16:36。

 俊太が心躍らせながらパッケージを開封してから、すでに1日と6時間が経過していた。

 そこで、俊太はふと気がついた。


「俺、全然眠くないな」


 ゲームのやりすぎて一徹、なんていうのは正直これまでもあったが、たいてい昼前に限界が来て寝落ちするのが常だった。

 興奮状態でドーパミンでも出まくっているのだろうか。

 なんにせよ、もうしばらくこの辺りを歩いたら一度ゲームをやめて仮眠を取る必要がありそうだ。

 身体を起こした俊太は、あれ、と首を傾げる。


「……この道……」


 俊太は今、町外れの森にさしかかったところにいるようだった。

 

「なんか見覚えあんな……。あれ?さっきも通ったっけ?」


 ポケットから地図を取り出す。

 それと一緒に嫌な記憶まで引っ張り出してしまい、うっかり舌打ちした。


『いや〜笑ったよ。初期武器が木の盾に木の剣って、マジで雑魚すぎるでしょ!しかも初期アイテムって全プレイヤーにランダム配布されるって聞くけど……地図って!!見たことないよ!何に使えんの?それ』


 心中でまた怒りが小規模爆発を起こす。

 手元にある地図は緻密でもなければ線も歪で、お世辞にも価値がありそうだとは思えない。バグ以外のなんでもない。

 挙句福永には「ちなみに、俺の初期アイテムコレね」と「万能薬エリクシル」を自慢された。世の不条理ここに極まれりだ。


「あれ」


 俊太が首を傾げたのは、その地図に一本の銀色のラインが浮かんでいるのに気付いたからだ。

 さっきまでは確かになかった。

 その線は、まるで俊太をこの森の奥へと誘っているようだ。

(……怪しすぎる)

 脳裏で思うのとは裏腹に彼の口角は上がっているのは、RPGをプレイした人間なら誰しも覚えがある感覚だろう。


 怪しい誘いは「乗る」べし。

 用意された罠には「はまる」べし。

 なぜならその先には、たいてい、最高の冒険が待っているのだから。


 自分の持ち物が棒切れの剣と盾のみであること。スキルも持たず、HPも1桁であること。それらすべてを一瞬で忘れ、『魔王城』をこよなく愛するいちプレイヤーとして、俊太は嬉々として一歩を踏み出した。


 そして――――落ちた。

 

「ぁえっ」


 ぽっかりと足元に空く奈落のような穴。

 俊太は慌てて手足をばたつかせたが、もはや手遅れである。丸く縁取られた空が、どんどん遠くなる。どんどん、どんどん……。

 俊太はどこまでも、真っ逆さまに落ちていった。

 











「目覚めろ、小僧」


 やがてうっすらと目を開けた先で、俊太は懐かしい声を聞いた。

 その声は低く禍々しく、常に嘲笑をはらんで、冷たく、残忍で――――そして、高笑いがよく似合うのだ。


(……あー……そうそう、こんなんだった)


 何度もこの声を聞いたって、当然だ。だって、小学校の夏休み、俊太は数えきれないほどに挑み、数えきれないほど敗北してきたのだから。

 最後まで、結局一度も勝てないまま。


「……ま、おう……」


 はっと、覚醒したように目を見開く。

 背中には岩肌のゴツゴツした感覚。肌を撫でる風は冷たく、どこか湿気を帯びている。

 勢いよく身体を起こす。

 直後、俊太は、信じられないものを目の当たりにした。



「――――――嘘、だろ」



 薄青い光を放つ鉱石が要所に突き出す石造の回廊。

 等間隔で内壁に掘られる、苦悶の表情を浮かべる天使たちの石像。遙か高い頭上には、言葉にできないほど巨大な根が突き出し、壁に沿って這い降りてきている。

 あれは、世界樹の根だ。

 勇者が旅をする世界、ガルジニアに永遠の平和と繁栄を与える神籬ひもろぎの、その真下にそれがあることを、国中の誰も知らなかった。 

 やがて、その根を這って奴らが―――魔王軍の大軍勢が、地上を闇に染めることになることも。


「よーうやく目ェ覚めたかァ!?」


 バサバサっと音がして、急に目の前に何かが降り立ち、俊太は身を退かせた。

 磨き上げられた革靴が三足。

 折り目のついたスーツのパンツは、それぞれカラーも材質も違う。つられて顔を上げ、仰天して背後にひっくり返った。

「あ、あ……わああっ」

「あん?おったまげ?」

 くりっと曲がる、その首の角度は本物のカラスだ。黒々としたクチバシや、まあるい目も。男は、頭がカラスだった。


「キシシ!あんまり目覚めねーから勇者じゃなくて、オヒメサマなのかと思ったぜ!!」


 カラスを押し除けるようにして別の男が顔を突き出してきた。

 しかし、そこが顔かどうかは判然としない。首があるべき場所から上は、黒いモヤが絶えず形を変えるばかりだったからだ。もう一人に至っては頭のかわりに南国にありそうな派手な色彩の花が咲いている。気が狂いそうだ。


「うっかり俺様の愛のキスで起こしちまうとこだったな」

「ギャハハ!!お前の唾液塩酸じゃねーか!!」

「五十万年ぶりの客人殺すなよ、ベルゼブブ」


「――散れ。眷属けんぞく共」


 花頭とカラス頭とモヤ頭が談笑を始めたところで、例の声がかかる。

 三人は真顔でぴたっと話すのをやめ、しばらくすると俊太に向けてにやっと笑い、また羽ばたいて上空に舞い上がった。

 背中には巨大な蝙蝠こうもりの羽が生えていた。


「小僧」


 そこで俊太は、自分の前に遙か上へ続く階段が続いていることに気がついた。

 声はその上から響いてくる。

 俊太は、それが祭壇だと思った。


「上がってこい」


 拒否権はなかった。

 俊太は、それが当たり前だというように立ち上がり、祭壇の一番下の段に手のひらをついた。一段が股の位置ほどに高いため、登る格好は自然と無様な有様になる。しかし俊太は登り続けた。全身から汗が滴り落ちるほど必死に。


 無心で登り続けて、どれほどが経ったろう。

 やがて、最後の一段となった。今まで以上に段差が高く、俊太の頭を越していたが、不思議と登れないとは思わなかった。

(できる)

 石造の階段の微かな突起に爪先を引っ掛け、腕に全力を注いで体を持ち上げる。

「……っぐ、ぅ」

 その一瞬は息が止まった。

 自分の中にそんな力があるとは思わなかった。

 ようやく、最上段に半身乗り上げる。そこから先はずるずると這うように身を進ませ、やがてほとんど登りきると、俊太は総身から力が抜けるようにその場にぺしゃんこになった。


「はあ……はあ……や、った……」


 しばらく荒い呼吸を繰り返すうち、少しずつ思考がクリアになってくる。それと同時に青ざめ始めていた。


(………あれ、俺、なんで)


「”宍倉 俊太”」


 声は、確かに俊太の名前を呼んだ。

 ゆっくりと顔を上げる。


「よく試練の階段を登り切った。無理そうなら誰かに引きずり上げさせようと思っていたが、どうやら根性はあるらしい。期待大だ」


 まず見えたのは、革靴の底。その奥をおそるおそる見上げ、俊太は自分が絶望と酸欠でくらくらするのを感じた。


(………ああ。まずい)

 本物だ。これ。


「さあ、歓迎しよう。ようこそ、魔王城へ」


 『魔王の玉座』に悠々と腰掛け、数百の眷属を背後に控えさせたのは――――まごうことなき、このゲームの、魔王ラスボスの姿。

 しかし、どういうことだろう。

 魔王の頭の位置にあるのは、なぜか旧式のブラウン管テレビ。胡散臭いほど優しげな声音が俊太の頭上に落とされる。


「貴様を待っていたぞ。供に戦う、我らが戦友ともよ」

「………は?」

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