無個性勇者、魔王城(ラストステージ)周回でレベル999の闇属性魔法を手に入れる

岡田遥@書籍発売中

第1話

 宍倉俊太の前には今、1匹のおぞましい魔物がいる。

 それは絶えず変容し、ぐにゃぐにゃとした突起を出しては引っ込め、出しては引っ込めしながら、腐臭混じりの息を吐き、俊太の元へ刻一刻と近付いてくる。


「……クソ、やっぱりこんなの無理だ!俺は降りる!」

「ならん」


 たまらずに後退した俊太の肩に手が置かれる。冷気を纏った指の先が、肩口に深く食い込んだ。


「あれの倒し方なら、この俺自ら手ほどきしてやったろう」


 そのくせ声は低く甘やかで、あまつさえ気品さえ漂っている。

 ちらりと肩に視線を向ければ、黒く細長い指に、人の喉などたやすく切り裂けそうな長い爪、金銀の装飾がじゃらりとまとわりついた腕がそこにはあった。

 手の甲の白い紋様は、まごうことなき、魔族を統べる王族の証。

 魔王の、刻印。


「やるのだ!」


 突如、まるで全身が見えない何かに突き動かされたように、俊太は目の前の魔物に向かってソレを投げつけていた。


 ――黒くてつややかな、聖水に浸したクルミの実。


 ギャアッと短い悲鳴をあげ、魔物が飛び退く。

 もがき苦しんだかと思えば、魔物は蒸発するように消えていった。あとには、とろりとした水たまりが一つ残っているばかりだ。




 一瞬の沈黙の後、わあっと爆発するような歓声が湧き起こった。どこからともなく人影が現れ、両手を叩いて俊太に駆け寄った。


「やるじゃねえか、小僧!!」

 毛むくじゃらの牛の頭をした者。


「おめでとう!おめでとう!」

 ギョロギョロした目が身体中にある者。


 コウモリの羽が生えている者。足が十二、三本ある者。身長が数メートルもある者、凶悪な鬼の頭をしたもの……。

 どいつもこいつも、まごうことなき闇の魔族。

 どこからどう見てもダークサイド。


「おう!!とうとうスライムを倒したな!兄弟!」

 一瞬遠い目をした俊太の頭上から、快活とした声が降ってくる。


「聖水にひたしたクルミとは考えたじゃねーか!」

「だから遠距離攻撃がいいって言ったんだ俺は!この前そばに近付いて一撃でやられてたもんな!お前が!」

「いや〜、しかしめでてぇな!記念すべき討伐1体目!俺も嬉しいぜっ、こぞ」


 鬼みたいな顔の魔族が感極まって俊太の背中を叩こうとしたところ、すぐに同胞の痛烈な蹴りを喰らって吹き飛ばされた。ぐしゃっと鈍い音がして凄惨な現場が完成するが、そんなことでは簡単に死なないのが彼ら魔族の特徴である。

「な、なにしやがる」 と、グロテスクな肉塊から細々とした声が上がる。同胞を蹴り飛ばした鳥頭の魔物が答える。


「テメェのせいでこのガキがまた死んだらどうすんだボケカスがよォ!!」

「いや……いくらなんでも背中叩くくらいじゃしなねーだろ」

「死ぬんだよ!!こいつの最弱さ舐めんじゃねェぞ!!!!!こないだのこともう忘れたのかよ!!」


 俊太の顔に虚無が浮かんだ。

 このあいだのこととは、ここ、魔王城の正面階段の最後の一段を踏み外して捻挫し、HPが0になって『はじまりの町』にリスポーンされた時のことを言ってるのだろう。

 あんなの忘れようにも忘れられない。自分の最弱さに絶望しながら青息吐息でどうにか魔王城に舞い戻った後の、魔族たちのあの憐憫と苛立ちと当惑がない混ぜになった視線もまた然りである。


「おい究極最弱コケ虫」

「あんまりだろ」


 言いながら振り返る。

 そこに立つ存在を見るなり、俊太はひっそりと息を呑んで固まった。何度相対しても、この一瞬だけは全身が硬直して呼吸を忘れてしまう。すぐに気は取り直したが。


「……俺の名前は俊太だ。いい加減覚えろクソ魔王」

「覚える価値はない」

 一蹴される。


 仕立てのいいスリーピーススーツに、磨き上げられた革靴。

 袖から見える手首から先は黒々とした肌で、白い墨で紋様が刻まれている。しゃらしゃら揺れる装飾はどれも魔具と呼ばれるものだろう。


 異様なのは、本来頭がある位置にまるで挿げ替えるように存在する、古びたブラウン管のテレビだった。手前のつまみはチャンネルを変える用だろうか。平成生まれの俊太にも、用途はよくわからない。

 

「レベルはどうだ」


 短く問われ、俊太は「2のまま」とボソボソ声で答える。鋭い舌打ちとともに「ゴミカス」と悪態をつかれたが、こればっかりは仕方ない。


「やはりスライム程度で容易くレベルは上がらんな……。せめてゴブリンやケルベロスぐらいは相手にさせたいが」

「そんなの秒殺だっつーの。俺が」

 また空気を裂くような舌打ちが飛ばされた。

 次の瞬間、気付いたら俊太はふかふかのベッドの中にいた。ベッドを囲むように魔物たちが俊太を見下ろしている。どいつもこいつもにこにこしているが、誰一人目が笑っていない。


「さあ、ねんねの時間だぞ。坊や」

「今日も疲れたろ? おやすみ」

「……あの、そんなに見られてると寝れないんだけど」

「いいから黙って眠ってとっととセーブしろっつってんだガキ殺されてーのか」

「おやすみなさい」


 布団を頭まで被ってから、俊太はいつものようにちょっとだけ泣いた。

 遠くの方で魔王の白々しい嘆きのが聞こえる。


「アレに私の全てを託せるのは、一体いつになるのやら」


 俊太も負けじと悪態をつく。

 心の中で。


(……こっちは託されたくなんかねーんだ!だって俺は、ずっと、ふつーの「勇者」になりたかったんだから!!)


 遡るのは数日前の――現実世界においての、数日前の出来事。

 その日俊太はまだ喜びの絶頂にいた。彼の手の中には、あのころの「青春」が携えられていた。



***



「やっとだ……!」


 宍倉俊太がそれを受け取ったのは、昼時をすこし過ぎたころの話だった。後ろ手に玄関のドアを閉め、靴を脱ぎ散らかして二階に上がる。


「やっとだ……やっと……やっと!!!」


 自分でも気付かないうちに手が震え、30センチ四方のパッケージはすでに俊太の手汗でじっとり湿っている。

 俊太はそっと、はやる気持ちを抑えて慎重にそれを自室に運び、まるでお姫様をベッドにおろすかのごとき優しい手つきでそれをラグの上に置いた。両手をすりすりと擦り合わせ、外側のパッケージを開封する。


 その全貌を目にした時、思わずため息が漏れた。

 自分でも説明がつかないような緊張感と感動で、しばらくの間動くことができなかったほどだ。


『魔王城』


 それは、今から8年ほど前、俊太が小学生の頃に全国で一世を風靡したRPG(ロールプレイングゲーム)である。

 ドット絵の勇者が剣を持ち、ピコピコという電子音にあわせて上下左右に歩き回る。勇者は仲間を集め、装備を探し、レベルを上げながら魔王城を目指すのだ。

 今でこそ実によくある設定だが、まだテレビゲームが普及して間も無かったあの時代、小中高生はもちろん、大人たちもこっぞってあの縦5センチ横5センチの世界観にハマったのだった。


 その『魔王城』が、現代科学の最新技術を投影したVRゲームとなって復刻すると世間に公表されたのが今から1年前のこと。

 その日から俊太は、取り憑かれたようにバイトに明け暮れ、この『魔王城』の購入に備えた。幸い俊太の通う高校は地元でも底辺をさまよう偏差値の、いわゆる落ちこぼれ高校だったので、そのあたりをガミガミうるさく言われることもなかったのだ。それどころか、バイトに精を出すのは立派な社会勉強だ、と教師からも褒められることさえあった。素行の悪いクラスメイトたちに比べたら、バイト戦士の俊太などはむしろマシに見えたのだろうと思う。


『いや〜、あの頃まだ私も高校生でしたが、やっぱり夢中になったものですよ!私たちの青春といっても過言ではないですね。それがまさかVRで体験できる日が来るなんて……高校生の私が聞いたらなんというでしょうね』


 2ヶ月前、『魔王城』の発売前日に、興奮したような口調でテレビのコメンテーターはそう語っていた。

 俊太にとっても、それはまさしく青春だった。

 しかしその青春を手に入れるために2ヶ月もの時間を要してしまったのは、ひとえに運の悪さと、高校生の乏しい財力が原因だった。


(まさか、『Coup』があんなに手に入らないなんてな)


 国内最大手のゲーム制作会社ベイダー社が『魔王城』のソフトと同時に販売を開始したVR専用ゲーム機が『Coup』だ。


 これまでのVRとは異次元の没入感、という謳い文句の真意は、今回ベイダー社が本腰を入れて取り組み、医療機関、光学研究所等、各種関係者の協力を得てようやく成し得た「精神と肉体を完全に乖離させる技術」の導入と成功にあった。


 簡単に言えば、そのヘッドセットを装着させた直後から、使用者の肉体と精神は完全に分断される。仮想世界で大ぶりの剣を振り回そうが、現実世界の肉体はぴくりとも動かない。これでこれまで頻発していたVR使用中の事故は激減する。


 さらに素晴らしいのは、この『Coup』は使用者の脳波を直接読み取るため、空腹は尿意はもちろん、身体の異常、外界からの呼びかけなど、そのすべてに反応し、ゲームが一時中断することだ。

 この安全性がなによりの呼び水となった上、しかもこれが、既存のVR用ゲームソフトにも対応可能ということから、『魔王城』ユーザー以外の需要までもが爆増し、『Coup』が高騰しまくったというわけだ。

 


(公式ショップの一次抽選落選、二次、三次抽選落選、店舗抽選落選。ゲームショップ、電気屋、玩具屋の在庫完売……)


 絶望的な連敗が続き、何もできないまま過ぎたこの2ヶ月はまさに地獄だった。

 法外な値段でメルカリに出品する厚顔無恥な転売ヤーや、偽善者ヅラで数量限定無料配布を謳う人気ユーチューバーに殺意を覚えたのも一回や二回ではない。



「そのゲームなら、来週うちでも取り寄せるよ」


 そんな俊太のもとに運が巡ってきたのは、ほんの数日前。小学生の時から月に何度か通っている駄菓子屋で居合わせた、町の小さい電気屋のオヤジの言葉を聞いた時だった。普段からゲーム関係の備品をさっぱり置いていない店なので、完全にノーマークだった。

 

「最近は、なんつーんだ?その、ゔいあーる?とかいうのを病院の研修でも使うみたいでな。ほら、あそこの大学病院のテレビだとかの機材ははうちから仕入れてるだろ。だからそのVRなんちゃらってのも一緒に頼まれてんだよ」


 俊太は転げるような勢いでオヤジに取り縋り、どうか一つ自分にも売ってくれと泣いて頼んだ。小さい頃から顔馴染みということもあって、オヤジはあっさり俊太の分も追加で発注をしてくれた。もちろん、料金はしっかり正規料金で請求されたが、そんなことはどうでもいい。財布が空っぽになるのは初めからわかっていたことだ。




 かくして俊太は今、ヘッドセットを装着し、もう何度目にもなる感嘆の息を吐いている。耳をソフトなヘッドフォンが包む。ゴーグルはぴったりと吸い付くように顔に接合され、外界の光の一切を遮断した。

 一瞬暗転した世界に、ややして、ブゥン、と青い蛍光色で『Vader』の文字が浮かび上がった。


 続いて懐かしいBGMとともに、『魔王城』のタイトルコールが流れる。

 視界いっぱいに青空が広がり、眼下にやわらかな草が揺れる丘陵や、海に面した石造りの街、その向こうに、暗雲に覆われた魔王城の影。

 俊太は今、鳥になってRPGの世界を一巡していた。


(うおぉ……すっげぇ……)


 本当に心の底から感動した時、感想は自然と幼児並みになるらしい。

 かわりに、理由もわからず無性にぐっと涙が込み上げてくる。

 あの頃夢中になったRPGの世界を、俊太は今、文字通り全身で体感している。


(電気屋のおっちゃん、マジでサンキュー……)


 オープニングムービーを最後まで堪能し、再びタイトルコールに戻ると、あとは勝手知ったる手順だった。

 はじめにプレイヤーネームを設定する。これは『俊太』だ。大昔、変にこねくり回したプレイヤーネームを友達に見られて恥をかいたことがある。

 そして次が大本命、このゲームの最大の特徴である「スキル選択」だ。

 俊太は一旦ヘッドセットを額に押し上げて現実世界に戻った。部屋の中の眩い陽光に目をすがめながら、机の上に置いてあったノートを引き寄せてページを開いた。

 そこにはびっしりと、希望スキルの候補が200通りほど羅列されている。


 今回リメイクされた『魔王城』の最大の特徴は、なんといってもスキルが自分で選択可能なことだった。


 俊太が一刻も早く『魔王城』にログインしたかったのは、これが大きな理由である。

 通常RPGのセオリーでは、選択できるのは「ジョブ」であり、スキルはそのジョブに付随する形になる。しかしこの『魔王城』において、プレイヤーはジョブの他に、自身で考案したスキルを使うことができるのだ。AIが発展したおかげで可能となった技術であることは言うまでもない。


 問題は、一度選択されたスキルは、他のプレイヤーが選択できない仕組みであることだ。しかも、自分が選択したスキルはゲームをクリアするまで変更できない。


(マジで燃えるぜ)


「火とか水とか、そこら辺のメジャーな属性魔法スキルはあらかた押さえられてるだろうな」

 

 ぶつぶつと言いながら再びヘッドセットを装着し、目の前に浮かんだ入力スペースに触れてみる。へその前あたりに半透明のキーボードが浮かび上がったので、ためしに「火力魔法」と入力してみた。エラー表示とともに「もっと詳細に指定してください」と注意書きが出る。


(そりゃそうか。何千人ものプレーヤー分のスキルを用意しなきゃいけないんだから、こんなおおざっぱじゃ一瞬でスキルが売り切れちゃうもんな)


 俊太のゲーマー魂にますます火がついた。

 ぺろりと唇を舐めて、「火を操る能力」と入力してみる。<Used>の文字。


「火を使役するスキル」

<Used>


「自分が火になれるスキル」

<Used>


「体の一部を火に変換できるスキル」

<Used>


(お前ら全員火好きすぎだろ!!わかるけど!)

 俊太は内心で悪態付いた。

 すでにこれだけ火にまつわるスキル持ちがいることが決まったわけだ。

 もちろん、俊太だって炎系の能力は好きだ。かっこいい。しかし売り切れなら仕方ない。

 俊太はノートの上から順に、使用済みのスキルに黒線を引いていくことにした。絶望したのは、それから3時間ほどが経過してからのことだ。


「蛇を操るスキル……は?これもだめなの?……透明になれるスキル……Used……鍛治スキル……Used……動物とおしゃべりできるスキル……Used……は……?おいちくしょう……マジかよ……!!」


 とうとう、候補としていたすべてのスキルが尽きてしまった。

 俊太は絶望した。

 視界の隅には「未使用スキル一覧例」の項目がある。

 開いてみると、やはりそこにあったのは何の役にも立たなそうな売れ残りスキルばかりだ。


「『背中の一番かゆいところをかけるスキル』とか、魔王討伐の一体どんな役に立つってんだよ!!!」


 俊太は半狂乱になってシャウトした。

 しかし、諦める気は毛頭ない。

(――いいぜ、やってやる!)

 目をギラギラさせたまま一度ヘッドセットを外した俊太は、トイレをすませて、机の上にあったカップラーメンを10分で平らげ、ベッドの上に座り込んで本腰を入れた。


 幸い両親は今朝から旅行中だ。

 邪魔者はいない。どんなに時間がかかっても、俺は絶対、自分で選んだスキルで旅に出てやる……!!!


 それから何時間が経ったか、正確にはわからない。

 途中何度か「使用時間注意」のアラートに邪魔されながらも、俊太はひたすら半透明のキーボードを叩き続けた。

 パッと目の前が真っ白になったのは、おそらく現実世界でも世が明けた頃じゃないだろうか。

 それがゲーム開始の合図であると気付いた俊太は、ぼんやりとしていた頭を一瞬で覚醒させ、目を見張った。


(あれ……俺今、なんか入力したっけ?たしか、999候補目の「敵の噂話に聞き耳を立てるスキル」が例の如くUsedで……それ消してから、たしかまだ何も……)


 足の裏に土の感触。

 自分の姿を見下ろすと、切りっぱなしのズボンに、麻のシャツを身につけている。初期装備の勇者っていうか、これじゃあまるで村人Aじゃん。と軽く笑ったところで、ぞっと嫌な予感が頭をよぎる。


(たしか、ステータス確認は右耳を二回、叩くんだったよな)


 とんとん、と耳を叩いてみる。指先にヘッドフォンの感覚はない。これぞ遮断機能の本領というわけだ。

 目の前にステータス表が現れた。

 ジョブの欄を確認し、俊太はほっと息を吐く。

(よかった……ちゃんと「勇者」だ)

 ほっとしたのも束の間。

 俊太はその下に表示された「スキル」の欄を見て絶句する。



「………は? 何だよ、これ」



◆◆◆


勇者 俊太(Lv.1/99)

スキル 無

HP 9

MP 0

攻撃力 2

防御力 2


◆◆◆


 これから始まる大冒険に1年前からずっと高鳴り続けていた俊太の胸の鼓動は、まるで潮が引くように、すうっと薄れて消えていったのだった。

 

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