最終話(3)

"……というわけで! 皆さん、せーのでペンライトの電源を点けてくださいっ! せーのっ!"


(電源……これか)


 夢園咲の指示通りスイッチを入れると、仁志のペンライトが白く眩しい光を放った。カラーを選択する機能は無く、他の観客たちのライトもすべて白色であった。点灯に合わせて会場の照明が落とされると、視界いっぱいに白い光が揺らめき、まるで風の吹くアネモネの花畑のようだった。


"今日のライブは特別だから、みんなのペンライトに魔法をかけちゃいました! それっ!"


 咲の掛け声に合わせて、アリーナの前方数列を残してライトが一斉に消灯した。残された光が徐々に速度を上げながら後列へと移動をはじめ、仁志のいる二階へ到達する頃には猛スピードのウェーブとなって一気に三階席まで駆け上がっていった。おそらく、ペンライトに割り当てられた番号をもとに遠隔で操作しているのだろう。


(なるほど、運営側が制御すればこんなこともできるのか)


"それでは~~~っ! 『アイステ』スペシャルライブ、はじまりますっ!"


 咲の宣言と同時に観客たちが一斉に立ち上がり、歓声と拍手が上がる。そして、舞台に立った八人のアイドルがスポットライトで照らされた。


♪ キミに今 なりたい星が見えているなら

  さあ 高く 高く はばたけ!


 オープニングを飾るのはアニメ『アイステ』一期の主題歌「はばたけ!アイステ!」。歌うのは、夢園咲を筆頭とした一期を支えたアイドルたちの歌唱担当グループ、つまりユイの先輩たちである。歌に合わせてペンライトが自動的に七色に輝き、客席全体が虹のカーペットに変わる。


(すごい、これが本物のライブ……!)


 体の芯まで響く音圧。ホールを飛び交うレーザー光線。そして万感の思いが籠もったコール&レスポンス。その熱量に圧倒され、仁志もその熱を生み出す燃料の一部として飲み込まれていった。舞台上のアイドルと観客たちはいつしか一体となり、その瞬間にしか生み出せない一つの作品を創り上げていった。


※ ※ ※


"さあ、後半戦もまだまだ盛り上がっていくよー!"


"うおおおおおおおおおお!!"


「くそ、プロデューサーなんかやるもんやないな。オレも下で観たいわ」


 森村は三階席の上にあるガラス張りの関係者用特別室からステージを見下ろして呟いた。


「お客さんのボルテージは十分や。キラリ、あとはお前次第やぞ」


 彼女が本領を発揮できれば必ず最高のステージになると森村は確信していた。だが、何が起きるかわからないのが本番というものだ。拭いきれない不安をかき立てるように、会場の外で吹き荒れる嵐は次第に激しさを増していた。


※ ※ ※


♪ ネオンの街に 溶け込む足音

  気分もふわり 浮いたみたい


 ライブ終盤、ユイは自身の最大の見せ場である二期の新曲メドレーに挑んでいた。


 哀澤はただ、舞台に立つユイをじっと見つめていた。ペンライトを振るのも忘れて、ずっと待ち望んでいたその光景のすべてを瞳と記憶に焼き付けていた。


※ ※ ※


 二年前、哀澤は街でチラシを配るユイを見かけた。寂れた商店街には似合わないフリルのたくさん付いたドレスが悪目立ちしているせいか、通行人たちは誰も受け取ろうとはしなかった。それでもユイの笑顔は少しも崩れることはなく、元気な声を出し続けていた。興味本位で眺めているうち、次第に怒りを覚えてきた。なんだよ、一人くらい受け取ってやってもいいじゃねえか、と。彼はムスッとした顔のままユイの前に立ち、ひったくるようにチラシを受け取った。


「なんだ? ライブ?」


 チラシに書かれた開演時間まで、あと十分しかなかった。


「おい、戻らなくていいのか?」


「そうなんですけど……できるだけたくさんの人に見てもらいたくって!」


 ユイの後ろのテーブルには、まだまだチラシとチケットが山積みになっていた。


「……それ、今から買えんのか?」


 気まぐれだった。けれど、その言葉を聞いた途端、もともと明るいユイの笑顔がさらに輝いた。


「ありがとうございますっ!」


 会場はすぐ近くにある地下のライブハウス。哀澤を含めて客は五人しかいなかった。たった百人入れるかどうかの狭いキャパなのに、SS席よりも快適だった。


「それでは、聴いてくださいっ!」


 初めて観るアイドルのライブ。二度と来ることはないだろうが、まァ話の種くらいにはなるだろう──その程度の気持ちで観に来たのだし、実際、ユイのパフォーマンスもまだまだ拙かった。……それなのに、哀澤はユイから目を離すことができなかった。全力を尽くす人間からは人を惹き付けるエネルギーが出る。そのうえ、ユイはたった五人の観客を相手に、まるで一万人に向けるような人生を賭けたエネルギーを放っていたのだから、それは当然のことだった。


 ライブが終わったあと、哀澤はCDを手に五人の列に並んでいた。一枚につき十秒、ユイと話すことができる。哀澤は彼女に訊きたいことがあった。


「なあ、アンタ。なんであんなに一生懸命にやれるんだ」


 その純粋な問いに、ユイは迷いなく答えた。


「夢があるからです」


「夢?」


「私、子ども向けアニメの歌手になりたいんです! そして、いつか何千人も入れる大きなコンサートホールで、子どもも大人も一緒に歌うんです!」


「そりゃあ、たしかに夢みてぇな話だな」


 とっくに十秒は過ぎていたが、スタッフの誰も剥がしに来なかった。ユイはまだそのレベルにいるということだ。なのにアニメの歌手だの、何千人のライブだの、夢でなければなんだというのか。だが、ユイは笑って言った。


「知ってますか? 夢って、起きているときに見たほうが楽しいんですよ!」


※ ※ ※


"みんなー! 一緒に歌ってーっ!"


 ユイの号令に合わせて会場に集まった五千人が合唱する。一階も二階も三階も、性別も年齢も飛び越えてみんなが歌った。アリーナ席の子どもたちも皆、元気に大声を出して歌っていた。


(ユイ、お前の言うことは正しかったよ)


 哀澤は万感の思いを込めてペンライトを掲げた。ユイのメンカラーである鮮やかなピンクが輝いていた。


(起きてるときなら……一緒に夢を見られるもんな!)


 アイドルがファンを生み、ファンがアイドルをアイドルたらしめる。アイドルなくしてファンはなく、ファンなくしてアイドルはない。夢の景色にたどり着いたのはユイであり、そして哀澤たちでもあった。

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