第16話 アタタカイ夜ノ記憶
間宮はその後、変死体についての妙な薀蓄を延々と喋り続け、解剖の時間が迫ったと言ってさっさと帰って行った。
俺はまたどっと疲れてオフィスに戻り、自席でコーヒーを飲んで溜息をついた。
寺岡さんも何故か戻らないし、咲守はしばらく帰って来ない。
ここに異動したばかりの身としては、かなり手持無沙汰になっている。
少々、何かしなくてはという焦りはあるものの、今日は色々と心労激しく、このままでもいいかと思っていた。
マグカップから昇るコーヒーの湯気の揺らぎがまた眠気を誘う。
俺はまた目を瞑り、オフィスで堂々と惰眠を貪っていた。
深い眠りに落ちた頃、ふいに電話が鳴った。
俺はこれまた飛び上がるように起きて、デスクに備え付けられた電話の受話器をあげ、何だかくぐもった声で特殊犯罪課、一条です。と名乗った。
『おぉ一条。俺だ』
寺岡課長だった。
電話の向こうはざわざわと喧噪がしている。
「お疲れ様です」
『俺も今日は石岡について出るから戻らない。お前、誰もいないからって寝るなよぉ?』
「寝ないですよ」
澄ました声で大嘘をついた。
とんでもなく爆睡していたあとである。
『お前あれだ。石岡が溜めまくってる報告書の処理を頼む。もう、すんごい量あるから頑張れよ。今後書類捌くのはお前の仕事になるぞ~』
うひひと笑った寺岡さんは明るい声でじゃあ!と言って電話を切った。
俺は受話器を置いて咲守のデスクに山積まれた書類を見た。
軽く30cmは積もっている。血の気が引きそうな量に慄いた。
これすべてが必要資料か?
とりあえず、付箋で仕切られている上10枚程度の書類を取り、中を確認した。
俺がここに配属になる前に起きた事件で、50代の男性が首から下は地中に埋まって発見されたというものの参考資料のようだ。
最初は捜査一課が担当していたので、俺の記憶にもある事件だ。
山の中でタケノコと並んで、タケノコのように頭だけ出して死んでいたので随分と目を丸くした。
死因は撲殺。
鈍器で後頭部を思いっきり殴られていた。
埋められたあとに猪にでも食われたのか、頬が抉れていて、歯が見えていた。
一体何でこんなへんてこりんな死体になってしまったのか、かなり謎めいていて必死に捜査したがよく分からず、次の週には特殊犯罪課が担当となっていて、結局真相は知らないままだった。
俺は資料を読み進め、真相部分にたどり着いた。
犯人は被害者の隠し子の息子だ。
犯行の理由は”ない”と供述。
何故あんなへんてこりんな遺棄をしたのかについては、”特に意味はなく、邪魔だなと思ったから山中に運んだ。土の中に全部埋めちゃうと何か苦しいかなって思ったから頭だけは出していた。見つかっても見つからなくても良かった”とのこと。
なんて妙な供述・・・。
殺しておいて、今更苦しいかもと頭だけ出して埋めたのも意味が分からない。
更に供述があった。
犯行に及んだ日は曇りで頭痛がしていた。
物を落としてしゃがんだ父の後頭部を見た時、痛みのせいか思いっきり殴ってやりたくなったと記載がある。
”そんなこともある”
咲守の妙なうねりのある字で書いてあった。
そんなことは・・・ないのではないだろうか。
自分の常識と照らし合わせると、犯行に及ぶ動機というのはいつもある。
この場合、何か親子関係でねじれがあったのではないだろうか。
何せ隠し子だ。
色々と思う所があったに違いないと考えてしまうが、本人は特に揉めていた事はないと言っている。
父親の事は好きでも嫌いでもない。
ちょっと口うるさいと思ってはいたが、そもそも、いてもいなくても生活は変わらなかったと。
明確な殺意は瞬間的に湧いて出たと記述されている。
そんな・・・ものだろうか。
俺には全く理解できなかった。
捜査一課での殺人事件には明確な動機があった。
その瞬間は分からなくても、事情聴取を進めて行くうちに沸々と湧き上がってきたような不満や怒りが犯人には見えて、それらしくなっていたのだ。
ここで取り扱う事件は、ありのままを受け止めていて、何だか理解を超えている。
そう思うと同時に、本当にそうだろうかという疑問も浮かんだ。
例えば小さい頃、俺は兄貴が持っていた3色のボールペンを盗んだ事があった。
そのボールペンには兄貴がハマっていた漫画のキャラクターが描かれていて、とても大事にしていた代物だった。
俺は別に好きでも嫌いでもなく、3色ボールペンというちょっとお兄さんな文房具には少しだけ憧れがあったくらい。
その時は兄貴が慌てて家を出ようとしていて、ソファーの下にボールペンが落ちた事に気が付いていなかった。俺だけが転がり落ちるボールペンを見ていたのだ。
誰もいないリビング。
目撃者は俺だけ。
この先の行動を誰かが見る事もない。
この状況下で初めて”あの漫画のキャラクターが描かれた3色ボールペンが物凄く欲しい”と思った気がする。
状況が衝動を生み、気にも留めていなかった欲望を増幅させた。
事の大小はあったとしても、仕組みとしてはこれに近しいのではないか。
そんな気がした。
そうだとすると・・・”そんなこともある”のかもしれない。
俺はうすら寒い気持ちになった。
この程度の欲望や衝動は誰しも兼ね備えている。
そんな事がまかり通るなら、この世界は殺人者予備軍ばかりということになりはしないか?
俺は頭を振り、変な考えを取っ払った。
気を取り直して書類を何ページか捲ると、急にお腹空いただの、帰りたいだの、どうでもいい咲守の心境が綴ってあった。
挙句の果てにはオンラインゲームのイベント時間を走り書いていて、ただのメモ紙扱い。
これをどうまとめろと・・・。
ため息とともにPCを起動して、とりあえず所定のフォーマットに報告事項を並べていく。
こういった書類仕事は結構やっつけ仕事ではある。
中身の濃淡に関わらず、出す事に意味があったりする。
俺は事実関係だけを淡々と記載して、夕方までに残り10cm程度までに減らした。
時刻は19時前。
今日は兄貴達と夕食の約束があるし、誰もいないことを鑑みるとあがってもいい気がする。
いいことにしよう。
俺はいそいそと片付け始め、帰りの身支度を済ませた。
ブラインドを閉めようとした時、外は雨になっていることに気が付いた。
朝の怪しい雲行きはやはり雨という結果。
生憎、傘を持ってきていなかった。
近くのコンビニで買おうと思い、警視庁の扉を速足で出ると、妙なビブラートが利いた鼻歌が聞こえた。
「あれ~?歩人!今日は早いじゃん!」
横を見ると、透明なビニール傘に水色の合羽を着て、アヒルの嘴みたいな色の長靴を履いた咲守が立っていた。
下校途中の小学生のような出で立ちだ。
「咲守!事件は?」
「今日の調査は終了~。直帰予定の寺岡さんにここまで送ってもらったの。歩人もう帰るの?」
咲守はビニール傘を俺に握らせた。
「え?あ、ありがとう。あー・・・うん。誰もいないし、いいかなと思ってね。咲守はオフィス戻るの?」
「うーん・・・僕、今日は力を使い過ぎてお腹ペコペコなのね。帰ろうかな」
「いいんじゃない?お疲れ様」
俺達は揃って歩き出した。
最寄の駅まで並んで歩きながら書類を片付けた事を伝えると、優秀だ~!と裏返った声で俺を褒め軽くスキップした。
「僕、書類仕事が死ぬほど苦手なの!もうとっくに提出期限過ぎてたんだけど、知らん顔してればいつか消えてくれるかもしれないと思って見ないふりしてたんだ~。助かった!お礼にご飯ご馳走するよ!」
書類仕事が消えてなくなるわけないだろう。
どうなってるんだ咲守の思考回路は。
こりゃあ本当に書類仕事は俺の仕事になりそうだ。
「何食べたい?」
「あ、今日は俺、兄貴と飯なんだ」
「歩人、お兄ちゃんいるの?いいな~」
「あぁ。10歳上の兄貴が1人ね。咲守は兄弟いるの?」
「いない。一人っ子だよ」
「そうか」
「僕も兄弟欲しかったなぁ。お兄ちゃんも弟も欲しかった。構ったり、構われたりする関係って羨ましいよ」
咲守は少し声のトーンを下げた。
夜が迫るこの時間では、横顔から覗く咲守の目は良く見えない。
それでも何となく、寂し気な目をしている気がした。
「・・・一緒に来る?」
珍しく寂し気な空気を纏った咲守に思わず声をかけていた。
「え?」
「だから、一緒に飯食う?兄貴はきっとウェルカムだからさ、一緒に飯にしようよ」
「でも・・・」
「俺の兄貴はさ、すごーく心配性なんだよね。普段どんな仕事ぶりなのかとか、ちゃんと生活してるのかとか、もう俺27なのにいちいち心配するんだ。咲守からも言ってやってよ。心配いらないって。な?」
嬉しさと迷いがせめぎ合っている表情・・・なんだろうか。
咲守は口を尖らせて難解な表情を浮かべ、前を向いて大きく頷いた。
「じゃあ、行く」
「よし!兄貴に連絡する」
俺はすぐに兄貴に電話した。
同僚を連れていくというと、兄貴と義姉さんは大層喜び、部屋をもう少し綺麗にしておくべきだったと嘆いていた。
警視庁から兄貴の家までは電車で30分。
咲守は雨の日の小学生みたいな出で立ちでずっと電車に乗っていた。
同乗者からは少々様子がおかしいと思われているのか、咲守の周りは空間にゆとりができる。
図らずも窮屈な思いをしないで移動できた。
駅を出る頃にはすっかり雨は上がり、雲の隙間からは空も見えてる。
それでもまだ咲守は合羽を着ていた。
「合羽好きなの?」
「好きというかー・・・僕は濡れるのが嫌いなんだ。傘だけだと結局洋服濡れたりするじゃない?そしたら、揮発する時に体温も持っていかれる。僕は寒いのは平気だけど、冷たいのは苦手なんだ」
ちょっと意味が分からなかったが、咲守独特の言い回しには慣れてきていた。
「ふーん。それで完全防備なのか」
「それに、可愛いでしょ?」
アラサーの男が着ていい色合いではないような気がするが、こと咲守であるということを考えると、まぁ可愛いような気がしないでもない。
「似合ってるね」
「ふふふ。でしょでしょー?」
咲守はまた独特なビブラートが利いた鼻歌を歌った。
細かく揺れる音階は、じっとしていられない咲守自身のようで聞き慣れない音だが、嫌いじゃない。
最寄の駅から兄貴の家は徒歩5分ほど。
他愛ない会話をしている内にあっという間に着いてしまった。
俺は預かっている合鍵でエントランスホールの鍵を開けた。
咲守はエレベーターを待っている間に合羽を脱いで、お菓子とゲームでパンパンなリュックの中に押し込んだ。
合羽は気に入っているのかと思っていたが、わりと雑に押し込んでいる。
多分、次に出す時にはシワシワになっているだろう。
兄貴の部屋の前に到着し、一応インターフォンを鳴らすと、機嫌のいい声ではーいという義姉さんの声が聞こえた。
「あれ?女の子の兄弟もいるの?」
「あぁ、兄貴のお嫁さん。もうすぐ結婚するんだよ」
「へぇ!歩人のお義姉さんになる人なんだね」
「そう」
ガチャリと鍵が開く音がした。
扉を開くと、エプロン姿でニコニコ笑う義姉さんがいた。
「まぁ!いらっしゃいませ!2人ともどうぞ上がって」
「こんばんは!お邪魔しまーす」
咲守は元気に挨拶すると、サングラスを外して部屋の中へと入って行った。
突き当りのリビングに入ると、兄貴がキッチンで唐揚げを揚げていた。
「あぁ!こんばんは!こんなところからの挨拶ですみません。歩人の兄の一条賢人です。弟がいつもお世話になってます」
「こんばんは!こちらこそお世話になってます。僕は歩人くんの同僚で石岡咲守と申します。今日は突然の事で、手土産も用意せずお邪魔して申し訳ありません」
なんと驚くことにあの咲守が普通の人みたいに挨拶している。
あっけに取られている俺など目に入っていない咲守は、さっさとダイニングテーブルに通されている。
驚きを隠せない俺はぎこちなくテーブルについた。
義姉さんは出来上がった料理をテーブルに運びながら改めて挨拶した。
「私は賢人さんの婚約者で、
義姉さんは口元を手で隠してクスクスと笑った。
「飲み物は何を用意しましょうか?石岡さん、このあとお仕事は?お酒飲めますか?」
「お仕事はしっかり終わらせて来たのでご心配なく!でも僕は下戸なのでお酒は飲めないんです。ジュース持ってるのでお構いなくー」
咲守はリュックのサイドポケットから飲みかけのペットボトルを出した。
ずっとサイドポケットに入れていたのであれば大層ぬるくなっているだろう。
「咲守、冷えたジュースあるよ。オレンジかりんごかグァバもあると思う」
「え?ホント?じゃあグァバで!」
「はいはい。グァバね」
俺は立ち上がってキッチンに入った。
「2人は同い年なのか?」
兄貴がグァバジュースを冷蔵庫から出しながら言った。
どういう意味なのか分からず、きょとんとした顔の俺を見た咲守が察して答えた。
「あぁ、呼び方ですか?僕は歩人くんより2歳上で、役職上は上司ですけど、僕が名前で呼んでってお願いしたんですよ!お兄さんとお義姉さんも名前で呼んでください。よそよそしい呼ばれ方だと悲しいんで」
「まぁ・・・じゃあ、咲守くんね」
義姉さんが名前を呼ぶと咲守は嬉しそうに笑った。
兄貴特製の唐揚げはすぐに出来上がり、揃って食卓に着いた。
大人4人の食卓になると兄貴の家のダイニングテーブルでは少々狭い。
テーブルに所狭しとぎゅうぎゅうに並んだご飯を見ると、父さん母さんが生きていた頃の食卓を思い出す。
食べ盛りの18歳だった兄貴とワンパク盛りの8歳だった俺。
食卓はいつも山盛りの大皿おかずが並んでいた。
皆で囲む食卓というのは、いくつになってもとても心温まるものだ。
捜査疲れでお腹ペコペコな咲守は、真っ先に兄貴特製の唐揚げを頬張って、めっちゃうまーーーーい!!と裏返った声で叫び、兄貴は大層笑っていた。
咲守はしばらく猫を被っていたようだが、すぐにいつもの咲守になり、自分が担当してきた珍事件を独特な表現で話して笑わせている。
聞けば聞くほど、よくそんな珍事件ばかり起こるものだと思う。
俺はこれからまだ見ぬ珍事件の報告書をクソ真面目に書ききれるのか・・・。
「あー面白い!特殊犯罪課ってそんな変な事件ばかり取り扱うの?」
ひとしきり笑った義姉さんが聞いた。
「うーん。まぁ、色々あるんだけど、話せる事件だけ話した!特殊犯罪課は珍妙な事件から難解な殺人事件まで扱うから、中にはやっぱり悍ましいのもあるよ~」
「おー・・・一課に配属になった時も心配だったけど・・・歩人、お前ちゃんとやっていけるのか?亨とも離れてるんだろう?」
兄貴は眉根を寄せて俺を見た。
「出た。兄貴の心配性。亨と一緒だった時も別に世話にはなってなかったよ。全然平気」
「出来の悪い弟を持つ兄の心配は尽きないんだよ。身を案じてくれる兄貴がいて有難いだろう?」
「へーへー。咲守、言ってやってよ。俺はちゃんと刑事してるって」
「ぬははは。そうね。やれてると思う!ちょっと天然で抜けてるけどね」
「あー、やっぱり天然が出てるか」
「え?俺、天然?」
「自覚なかったの?お兄さん聞いて。こないだ捜査の帰り道で、夕暮れの海岸沿いを車で走ってたのね。そこは波間に大きな夫婦岩があって、岩の正面の砂浜には立派な鳥居があるの。でね、鳥居の上に黒い影がいくつかあって、歩人ったらそれ見て”あんなところに座る人間いるんだなー”とか言って不思議がってるんだよ?どう考えてもそんなところに人は座らないから、海鳥だって分かりそうなもんなのに、最後まで不思議がってたの。あんまりにも可愛いから訂正はよして、不思議だね~って答えたよ僕」
「え!?あれ人影じゃなかったの?」
「ははっ。さすがに人影じゃないよあれは。足掛けるところもないのに、どうやってあんなところに登るのさ」
「歩人~・・・そもそも、鳥居だぞ?そんな罰当たりなことしないぞ普通」
「いや、だから不思議だな~と思ってたんだよ」
「そんな不思議はないねぇ」
咲守が生暖かい目で俺を見ている。
兄貴は大袈裟なため息をつき、頬杖をついた。
「こいつこんなで抜けてるけど、俺が頑張って真っ直ぐ育てたからとってもいい子なのよ。咲守くん、色々と世話が焼けるかもしんないけどよろしく頼むね」
「うんうん。歩人は真っ直ぐ育ってると思う。僕に任せて~!」
俺は咲守よりは普通の人間だと思っていたのに、天然ボケのレッテルを貼られて大変不服だ。
妙に仲良くなっている兄貴と咲守は、ご飯を平らげたあとソファーに移り、俺の子供の頃のアルバムを持ってきて眺め出した。
いくつかのアルバムをテーブルに積んでいる。
上にあるのは比較的最近の物。
20歳くらいのアルバムを掴んだ咲守はゆっくりと1ページずつ捲ってニコニコしていた。
「全然変わんないじゃん歩人~。わ!これイケメン!成人式かな?こりゃ~モテたでしょ?」
兄貴がアルバムを覗き込み、俺をちらっと見て言った。
「モテるけど、好意には鈍感なのよこの子ったら」
「え~?なんか性格まで良いイケメンの定石って感じだねそれ。ちょっとムカつく~」
「だよな~」
ケタケタ笑う2人はどんどんアルバムを見進めて行く。
義姉さんもお皿を提げながらおかしそうに笑っている。
「でもあれだね。2人はあまり似てない兄弟なんだね」
「あー、俺は母さん似で、歩人は見ようによってはどっちにも似てるかな」
「賢人さん、歩人くんの赤ちゃんの頃を見せてあげたら?ちょっとずつ皆に似てると思うの」
「あぁ、そうだね」
兄貴は俺が赤ちゃんだった頃のアルバムを広げた。
多分、両親と俺が写っている写真を見せているのだろう。
「あ、これはね、生まれてすぐの歩人と両親」
兄貴が指差した先の写真を見た咲守は一瞬口角が水平になった。
驚きながら一点を見つめたかと思いきや、すぐにいつもの笑顔で可愛いねと笑う。
そしてそっと、俺を見て瞬きをした。
「歩人は皆に少しずつ似てるんだね」
咲守は急にパタンとアルバムを閉じ、何だかいい気分だからちょっとだけ飲もうかなと言って俺の横に座った。
「歩人が飲んでるのは何?」
「え?赤ワインだけど・・・咲守は下戸なんだろう?」
「うん。でもさ、憧れはあるのよ。ちょっとだけ味見する」
俺はグァバジュースを飲んでいた氷が残るグラスに赤ワインを3cmほど注いだ。
それを咲守はちょっとだけ飲んで笑う。
「僕は今日歩人のこと色々と知れて嬉しかった。お兄さん、お義姉さんにも出会えたし、こんなに美味しいご飯は久しぶりだったし、兄弟っていいなぁって思ったよ」
兄貴も義姉さんもテーブルに戻り、また赤ワインを飲み始める。
「咲守くんは兄弟いないの?」
「うん。僕は一人っ子」
「出身は?」
「北海道だよ」
「へぇ、道産子なんだ。何で刑事になろうと思ったの?」
「僕はね、本当はプログラマーにならなきゃと思ってたんだ。でも学生時代に寺岡さんが関わる事件に遭遇してね、事件解決のお手伝いをしたの。そしたら、何か気に入られちゃって。お前は刑事になるべきだとか言われてね、ズルズルと引きずり込まれて今日に至るって感じなの」
「そうなんだ!じゃあ寺岡さんとは長い付き合いなんだな。あ、寺岡さんってのは特殊犯罪課の課長。俺達の上司ね」
「あぁ、こないだ歩人が言ってた銭形警部似の上司?」
ほろ酔いの兄貴が言った。
「ふはっ!本当だ!特に年季の入ったトレンチコート姿は銭形警部に似てるねぇ。その上司とは合縁奇縁ってやつで長い付き合いなの。僕の両親も、勧めてくれる人がいるなら刑事でもいいんじゃないかっていうからさ~。成り行き刑事」
チビチビとワインを舐める咲守は段々首が赤くなり始めている。
「ご両親は北海道で何をされてるの?」
義姉さんがチェイサーの水を用意して言った。
「お父さんはシステムエンジニア。お母さんは栄養士で、給食センターで働いてる」
「あ、お父様と近い仕事がしたくてプログラマーになりたいと思ってたの?」
「それも凄く関係あるけど、僕の場合は極端に光に弱い目だから、昼間外に出るような仕事は向かなくて。消去法でもあるんだよね」
咲守はそう言いながら項垂れた。
「え?目に障害があるの?」
義姉さんが咲守の目を覗き込んだ。
「うん。僕の目は光に弱いっていう、まぁ、障害の一種がある。昼間は本当に眩しいんだ。実のところあまり見えてない」
「え?でも刑事って時間関係ない仕事でしょう?昼間も動くし・・・支障ないの?」
「今は光の吸収を抑える特殊なコンタクトレンズをしてるから、随分とマシになったんだ。それに・・・特殊犯罪課の仕事は・・・僕の存在証明とでもいうのかな。唯一無二の仕事をしてると思ってる。歩人も来てくれたし、お父さんに近い仕事もしたかったけど・・・今更他の仕事は出来ないかなぁ」
顔を上げた咲守は真っ赤だった。
よく顔が赤い様を茹蛸のようとか言うけど、本物の蛸ではなくタコさんウインナー的な赤さだ。
下戸であるというのは本当らしい。
「おいおい咲守!お前真っ赤だぞ!大丈夫か?」
「ほらお水飲んで!」
義姉さんが慌てて水が入ったコップを渡した。
咲守はコップは受け取ったが口は付けず、大事そうに両手で持って俯いた。
「うーん。大丈夫~。・・・いいなぁ・・・家族って・・・羨ましいなぁ」
うにゃうにゃ言ってる咲守はついに机に突っ伏した。
「おぉ。下戸ってこれほどまでに弱いんだな。咲守くんこんなじゃ帰れないだろう。歩人、客間にある布団出して。今晩は泊まってもらおう。ついでにお前も泊まってけ」
「俺はいいけど・・・咲守は明日も単独任務なんだよな。帰らなくて大丈夫なのかな?」
「朝早くに起こしてあげればいいだろう。ほら、早く布団敷いて来い」
俺は客間に布団を2つ敷き、酩酊状態の咲守を担いで布団に寝かせた。
布団で横になった咲守は掛け布団を引っ張り上げ、包まる様に丸くなって眠る。
まるで巣で眠る小動物のようだ。
客間を出てリビングに戻ると、兄貴と義姉さんが片付けをしていた。
「歩人、風呂沸かしてあるからお前先に入れ」
「あ、俺が先でいいの?長風呂だって文句言わない?」
俺の長風呂は3人の中では有名なのである。
いい気分でゆったり上がると、兄貴は弟とは思えない長湯ぶりだから、妹が出来たかと思ったと言う。
「あぁ、俺は明日午後の会議からだからゆっくりでいいんだ。存分に浸かってこい」
「私は早番だからもう帰るわ。歩人くん、またね。あ、ハワイのお土産は戸棚に入れてあるから持って帰ってね」
「あぁ、義姉さんありがとう」
「じゃあ俺は涼子を送ってくるからな」
「はーい」
兄貴と義姉さんを見送り、お言葉に甘えて一番風呂に入った。
自宅だとシャワーだけで済ます事が多いが、兄貴の家では必ず湯船に浸かる。
お湯の中で脚を伸ばして目を閉じると疲れが染み出るようで心地いい。
つい、長湯になってしまう。
温かいお湯に揺蕩いながら咲守のことを思い返す。
昼間にはちょっと遠い存在かもしれないと思っていた咲守だが、夜には家族構成も知れたし、下戸だということも分かった。
丸くなって眠る癖も知ったし、特殊犯罪課を自分の存在証明だと思っているということも知れた。
特殊犯罪課に配属されて間もないと言っても、雑談の中で知れそうな事は沢山あったにもかかわらず、全く知らずにいた事を反省した。
咲守はきっと、聞かれれば答えるんだろう。
俺が苦手意識を持って聞かなかっただけなんだ。
多分、間宮も同じだろう。
俺は勝手に距離を作り、捜査内容も知らされてないと子供のように拗ねていただけだったのだ。
明日、咲守が起きたら捜査内容を尋ねてみよう。
何か役に立てる事があるかもしれない。
折角相棒に指名してもらったのだ。
期待に応えたい。
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