第14話 夕映エニ消エタ声

その子は、自分の事をハナちゃんと呼んでいたと思う。


ハナちゃんとは近所の公民館で出逢った。

よく1人で図書コーナーにいて、大人しく絵本を読み、時折館内を見渡しては少し寂しそうな顔をする女の子。

結構小さかったから、まだ幼稚園児だったんだと思う。


俺はあまり本は読まなかったけど、図書コーナーの一角に置いてあるボードゲームが好きで、友達とよく遊びに行っていた。


その日は友達を誘ったけど習い事なんかで誰も掴まらず、うらぶれた気持ちで公民館へ行った。

1人で遊んでも仕方ないが、いつものくせでボードゲームを取りに図書コーナーに入ると、公民館のすぐ近くに住んでいる悪ガキ達がハナちゃんの絵本を取り上げて意地悪をしていた。

ハナちゃんは返して!と半泣きで追いかけていたが、少々年上の悪ガキには追い付けず、その場に座り込んで本格的に泣き始めてしまった。

すぐさま助けに入ろうと思ったが、多勢に無勢。

年下相手といえど、人数が多かった。

こういう場合は大人の力を借りよう。

俺は、職員の人を呼んで悪ガキ達を叱ってもらい、本を取り返して、ハナちゃんに返した。

大きな鳶色の目に溜まった涙を拭いて、にっこり笑ったハナちゃんは、ちょっと水っぽい声でありがとうと言うと、ポケットから飴玉を出して俺にくれた。

それから俺達は一緒に本を読んだり、トランプをしたりして遊び、とても仲良しになった。


ハナちゃんは俺の事を歩人あゆとの二文字をとって、”あゆ”と呼んだ。

日本人離れした顔立ちから察するにハーフらしく、ビスクドールのような顔立ちと真っ白な肌が印象的で、大きな鳶色の目を瞬かせ、あゆは私のヒーローなんて言っていた。

俺はまんざらでもない顔をしていたと思う。


散々遊んで暑くなったハナちゃんが、大きすぎる白いカーディガンを脱いだ。

ハナちゃんの小さな腕には、薄いけど大きな痣があることに気が付いた俺は、どうしたのかと尋ねた。

すると、パパが叩いたのとハナちゃんは答えた。


「なんで・・・パパはハナちゃんを叩いたの?」


「・・・いなくなっちゃったママに似てるからじゃないかな」


「ママ、いないの?」


「うん。どこかに・・・行っちゃった」


どこかにの後、間が開いた時にちらりと俺の目を見てまた俯いた。

今思えば、何か言いたげな素振りに見えた気がする。


「え・・・でもさ、それってハナちゃんは悪くないじゃん。何でハナちゃん叩くんだよ」


「分からない。パパはね、ママがいなくなってから女の人と一緒にお酒を沢山飲むの。そして、時々とっても怒る。いつもじゃないんだよ。本当に時々・・・。ハナちゃんをぶったりするの」


「そんな・・・。痛かったろ」


俺はそっとハナちゃんの痣に触れた。

ハナちゃんは首を横に振って、もう大丈夫と言った。


「ママいなくて・・・寂しい?」


「寂しい。パパはお家にいても、ハナちゃんとお喋りはしない。ハナちゃんはお家の中で1人ぼっちなの」


「・・・俺もね、ママいないんだ」


「そうなの?」


「パパもいない」


「出て行っちゃったの?」


眉根を寄せて、今にも泣き出しそうな顔をしたハナちゃん。

俺は小さな手を握って、首を横に振った。


「ううん。事故で死んじゃったんだ。でもね、俺には年の離れた兄ちゃんがいる。とっても優しい兄ちゃんがいるから、ちっとも寂しくない。ハナちゃんは兄弟いる?」


「・・・弟がいる」


「一緒に来てないの?」


俺は周囲を見渡した。

他の子供の影は見当たらない。


「弟は寝てる。よく寝る子なの」


「そうなんだ。姉弟で遊んだりしないの?」


「弟とは会えないの」


「どうして?」


「そういう決まりなの・・・」


ハナちゃんはそう言うと俯いてしまった。

俺はよく分からなかったが、何だか聞いてはいけないことを聞いてしまったいうことは分かった。

気まずい沈黙が流れ、次の言葉を探していると、ハナちゃんがポツリと言った。


「でも・・・明日は弟を連れてくる」


「え?会えないんじゃないの?」


「ハナちゃんはね、会えない。でも、あゆは会えるよ」


意味が分からない。

どうしてハナちゃんだけは会えないんだろうか。


「でも・・・俺はハナちゃんしか知らないし、見つけきれないかも」


「大丈夫。同じ顔だからすぐわかるよ。ハナちゃん達はね、双子なの」


「へぇ。双子の弟なんだ。名前は?」


「名前は・・・●●●。それにね、ハナちゃんの本当の名前は●●●。ハナちゃん達はね・・・%$14#*@*%#・・・」


あの時、ハナちゃんが何と言ったのか、俺はどうしても思い出せない。

肝心な部分がぼやけたようになっている。

とても悲しい話しを聞いた気がする。

俺は随分と心が傷んだんだ。


そして、俺はハナちゃんと何か約束をした。

指切りした小さな手を覚えている。


帰り際、夕焼けに向かって歩くハナちゃんを見送った。

時折、振り返って手を振るハナちゃんの顔は陰になって見えない。

それでも俺はハナちゃんが見えなくなるまで見送って、帰り道でずっと考えていた。

ハナちゃん達に伝えるべき言葉を。


そして、ハナちゃんはそれっきり公民館へ来る事はなかった。

もちろん、双子の弟も。


何日経っても現れないハナちゃんと弟。

俺は公民館の職員の人に、ハナちゃんの事を何か知らないかと尋ねた。


「あぁ、綺麗な顔した女の子ね。最近いないねぇ。お引っ越しでもしちゃったんじゃない?」


俺は居ても立っても居られなくなって、当てもなくハナちゃんを探し回った。

いくつかの公園、幼稚園、保育園、コンビニ、駅。

どこを見ても、ハナちゃんはいない。

とっぷり日が暮れるまで1人で探し回ったが何の情報もなく、やるせない気持ちをぶら下げて公民館に戻ると、兄貴が俺を迎えに来ていた。


「歩人!どこ行ってたんだ!探したんだぞ」


兄貴は俺を見つけると駆け寄って来て、頭を撫でた。

温かい手のひらと、ふんわり香る我が家の唐揚げの匂い。


「ごめん兄ちゃん。会いたい友達がいたんだけど・・・ここに来なくて・・・探し回ってたんだ」


「そうか。きっと何か用事でもあったんじゃないか?さぁ、今日は帰ろう。ご飯出来てるぞ。今日は歩人が大好きな母さんの唐揚げだぞ」


「・・・もう兄ちゃんの唐揚げだよ。俺、兄ちゃんの唐揚げ大好き」


そうかと笑った兄貴が俺の手を引いて歩き出す。

やるせなかった気持ちが、兄貴の大きな手の温もりで晴れていく。


次に会えたら伝えたい事があった。

とても大切な何か。

その何かが今はもう分からなくなってしまった。


あの時、俺たちは何の話しをしていたんだろうか。


思い出せないまま、今もずっと、胸の奥で伝えられなかった思いだけが震えている。

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