三章:面白いものって、全然面白くない

第六話

 先日、特に予定もなく退屈していた私は、遊び半分の気持ちで放課後のゆりなを捕まえて外を連れ回した。

校則にそこまで厳しい制限があるわけではないが、あの堅物な性格の彼女が自分からそんなことをするはずがない。

それに、表向きとはいえ私の婚約者である以上、人生経験があまりに狭いままでは格好がつかないだろう。


 本来その日の予定は、ゆりなが大人しく私の指示に従い、放課後の寄り道程度の小さな行動ではなく──深夜まで私に付き合うことだった。

ところが彼女は、またしても私が「気にしない」と言い切ったあの問題を口にしたのだ。


 どうせ私たちの名前は生まれる前から一枚の紙で結びつけられている。

ならば、私が破棄を告げるまでは、きちんと私の指示に従うべきじゃない?

退屈な生活の中にこんな面白い出来事が現れたのに、簡単に手放せるはずがない。


やはり、折を見てもう一度ゆりなと“交流”しておくのが、私らしいやり方だ。

そんなことを考えながら机の上の試験用紙に目を落とす。それは今日行われると予告されていた数学の小テストだった。


 開始から半分も経たないうちに答案を埋め終えた私は、余った時間で周囲をさりげなく観察する。

視界の端に入るのは、友人設定のななみとあいり。ひとりは明らかに最後の悪あがき中で、もうひとりは悠然とペンを走らせていた。


さらに前列に座る優等生へと目をやる。今もなお集中力を切らさず、真剣に問題に向き合っている。

けれど、あの実力と落ち着いた手つきからして、すでに解き終えて検算をしているのだろう。


──そんなに真面目にやっても、結局は校門を出た先で誰かの顔色を伺うだけじゃない。

だったら最初から、素直に私へ頭を下げればいい。

ま、私が飽きるまでは、少しくらいは応えてやるだろう。たぶん。


 ここまで考えると、もう一度試験問題を見直しつつ、いくつかの答えを書き直した。


 テスト終了後しばらくして──

「今回の不合格者は以上です。追試は必ず受けるように」

先生の声が教室に響き、不合格者の名前が読み上げられる。

その中に「黒崎凛々子」の名前があった。入学以来一度もリストに載ったことのないはずの、あの名前が。


「えっ!!凛々子が赤点!? 」

川下ななみが放課後に大声で叫び、すでに全員が耳にしているはずのことを、さらに拡散した。


 でも、確かにななみですらギリギリ通ったのに、私が落ちたとなれば驚くのも無理はない。

あいりだけでなく、クラスのほとんどが信じられないといった表情をしていた。


 普段から成績を高く維持しているわけではないけれど、模範生の仮面と恵まれた容姿のおかげで、私はそれなりの評価を得ていた。

だからこそ『初めての赤点』という事実は、誰の目にも鮮烈だったのだ。


「どうしたの?珍しいわね」

佐々木あいりが相変わらず落ち着いた声でそう言ったが、本当に心配しているのが伝わる。


「うん……ちょっと家のことでね。しかもちょうど苦手な範囲だったから、こうなっちゃった」


「追試いやだー!これじゃ放課後、凛々子と遊べない!」


「追試、すぐ来るし。大丈夫? 私、人に教えるの苦手だし」


「ななみも無理!教えるの難しい!」


 あいりは成績こそ良いが発想が飛びがちで、ななみに至っては自分の点を維持するのが奇跡に近い。

学習パートナーとしては最初から候補外だ。


「二人ともありがとう!そうね、今回の範囲はちょっと困ってて……教えるのが得意な人ならいいんだけど」

そう言いながら教室を見回し、わざと一拍置いて付け加える。

「でも、人の時間を奪うのも悪いし……」


 短い沈黙のあと、あいりが思い出したように口を開く。

「委員長に頼んでみたら?いつも丁寧に答えてるし」


「おお、確かに!」

ななみが大声で同意し、前列に座るゆりなへと視線を送った。


標的となったゆりなは、昔から誰かに頼まれると断れない。

単に好印象を得たいからではなく、そもそも人を断る技術そのものが欠けているように見える。


……いや、技術不足というより、「拒む行為そのもの」を恐れているのかもしれない。


視線に気づいた彼女は、危険を察した小動物のように固まり、どう対処すべきか分からず戸惑っていた。

その様子が可愛らしく思えてしまう。


結局、ななみに半ば引きずられる形で前に連れてこられ、「目標確保!」と誇らしげに宣言されてしまった。


可哀想な彼女に、私は善意の同級生として助け舟を出す。

「それはちょっと悪いよ。花園だって予定があるかもしれないし、無理させない方がいいんじゃない?」


それなのに、彼女はさっきよりも怯えた目で私を見つめ返すだけ。

せっかく彼女に逃げ道を与えてやったのに、無反応だなんて失礼じゃない?

だからさらに一言、念を押す。

「もし必要なら……パパにお願いして家庭教師をつけてもらうこともできるから。だから無理にお願いしなくても大丈夫だよ。」


「大丈夫大丈夫!委員長、友達いないし!」

ななみの声が教室に響き渡る。


ゆりなは苦笑を浮かべつつ、隠した手でスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。


「家庭教師代、遊びに使おうよ!」

あいりも相変わらず独特の調子で言う。


言われても、ゆりなは反論することなく、ただ苦笑を浮かべて視線を私と二人の間で揺らしていた。


「ちょっと教えれば凛々子をトップにできるでしょ!」

ななみが軽い調子で言った。


「え、えっと……黒崎さん、どこが分からないんですか?今なら時間あります」


──ここまで言われても何も突っ込まないなんて。

“友達がいない”はまだしも、自分の努力の成果を軽く扱われて黙っているなんて、本当にそれでいいの?


結局、本人がそう言うなら、私が遠慮する必要はない。

「本当に助かります。まさか花園さんが専属の家庭教師になってくれるなんて、安心ですね。」

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