第6話 遠ざかる約束

「……よぉ、セリン。」


あの声が、空気を震わせた。

一瞬、時が止まったようだった。


けれど──目の前に立っていたのは

あの頃とは少し違った、ヴェントだった。


「そんな顔すんなよ、セリン。オレたち、もう仲間じゃねぇだろ。」

その声は、どこまでも冷たかった。


足元の小石をまるで踏み潰すように蹴り飛ばす。

周囲を囲むセルヴェリス兵たち。

銃口は、既にセリンたちに向けられていた。


「命が惜しいなら、さっさと降伏しろ。じゃねぇと……ここで終わるぜ?」

ヴェントの口元の笑みは消えていた。


霧の向こうで、銃を構える音がした。

ヴェントは、それを止めもしなかった。


むしろ、わざとセリンたちを追い詰めるように振る舞った。

混乱する小隊を横目に、ゆっくりとセリンに近づいた。


「俺は──」


ヴェントがそう言いかけた瞬間──

ドォンッ──!空気がひび割れるような轟音がした。


すぐ近くに砲撃が着弾し、内臓が押し返されるような

重たい衝撃がセリン達を襲った。


ヴェントの口が、何かを告げたが

その声は爆発音にかき消され断片的にしか聞き取れなかった。


「や……そく……」


セリンは、銃を握り締めたまま、立ち尽くしていた。


気がつくと、ヴェントとセルヴェリス兵の姿は消えていた。

川の向こうから、次々と砲撃音が響いてくる。


「今度は、ノクテリスの奴らか!」


セリンが振り返ると、ジークがスコープ付きライフルを構えながら

険しい顔で東の高台を睨んでいた。


「あの砲撃……ノクテリスのパルスランチャーだ。」


その手はすでにトリガーにかかっていた。


「待て、今──」


クレインが一瞬、言葉を切った。


リオンが叫んだ。


「上空だ! 霧の向こうから撃ってきた!」


クレインがスコープをのぞいたまま呟く。


「……熱源感知、空中からのステルス砲撃。機体識別

おそらく、ノクテリス所属機……“ナイトシェード”。」


その名前に、セリンの心臓がわずかに波打った。


ナイトシェード──

(ケリス、まさか……君が、撃ったのか?)


空を見上げたその瞳に、淡い希望と苦しみが混ざっていた。


「ふざけんなっ……!」

「ノクテリスもセルヴェリスも、揃いも揃ってこっちを狙いやがって……!

何のつもりだ!!」


ジークの苛立ちが爆発する。

だが、セリンにはその言葉すら遠くから聞こえてくるように思えた。


(ヴェント……ケリス……君たちは、本当に──)


目の前で笑みを消したヴェントの顔。

空に滲む“ナイトシェード”の名。

あの頃と変わらないはずの二人が

今は“敵”としてそこにいるのかもしれない現実。


喉の奥が焼けつくように乾いていた。

でも、怒りとも悲しみともつかない感情は

言葉になる前に、ただ重く胸に沈んでいく……。


(違うって、言ってくれ……)


幼馴染の二人

ヴェントは何かを言いかけて、消えた。

ケリスは何も言わず、空から銃火を向けた。


信じたい気持ちと、疑うしかない現実。

その狭間で、セリンの思考は揺れ続けていた。


その時──


「──撤退する。」


鋭く、静かな声が空気を断ち切った。


ヴォルガン隊長は、すでに全体の戦況を読み切っていた。


「セルヴェリス兵は撤収済み、ノクテリスの航空部隊は上空で包囲を始めている。

下手に動けば、挟撃されかねない。」


一瞬で戦況を整理し、次の行動を指示するその姿に

小隊の誰もが無言で従った。


「後退しながら西の林へ。霧を盾に一気に距離を取る。

……ジーク、後方警戒。クレインは上空警戒を続けろ。」


「了解!」


隊長の指示に即応し、小隊が動き出す。


セリンはその場に一瞬、取り残されたように立ち尽くしたが──

ふと顔を上げ、前を行くヴォルガンの背中を追いかけて駆け出した。

感情が整理されるより先に、身体が反応していた。


撤退命令の後、小隊はアストラ川東岸を離れた。


焼けた大地を踏みしめる足音だけが、静寂の中に響いていた。

誰も言葉を発しない。

風の音すら、さっきまでの喧騒を忘れたかのように静かだった。


セリンは、何も言わずに歩いていた。

ただ前を見て、歩いていた。

でも、頭の中は……めちゃくちゃだった。


(ヴェント……なんであんな言い方を)


『命が惜しいなら、さっさと降伏しろ』

あの声。あの顔。

でも、本当は──


(何か言おうとしてた。……約束?)


たった一言さえ、聞き取れなかった。

その声を、砲撃音がかき消した。


そして今度は──ケリス。


(あれがナイトシェードだったなら、ケリスが……?)


信じたくない。

でも、撃ったのは──“ノクテリス”だった。


仲間だったヴェントに、銃を向けられ

かつての親友ケリスに、砲撃されたかもしれない。


(二人とも……本当に、もう──敵なのか?)


思考の迷路に、出口はなかった。

何を信じればいいのか、誰を信じていいのか……


セリンの足は、乾いた地面を踏みしめながらも

その胸の奥では、何かがずっと崩れかけていた。


ヴェリオンの光が地平に傾き、影が長く伸び始めた頃

ようやく、小隊は野営地にたどり着いた。


冷え始めた空気の中、既に防衛線の目印の焚き火が灯っていた。

火花がパチパチと音を立てていた。


ヴォルガン隊長は無言で腰を下ろし、ブーツの泥を払っていた。

ジークとリオンが、何やら短く言葉を交わしている。


セリンは──

焚き火のオレンジ色の炎を見つめていた。


視界の端で、誰かがパンと缶スープを配っているのが見える。

けれど、彼の手は受け取ることもなく

ただ、じっと炎の奥にある“記憶”を見つめていた。


(あの頃には、もう戻れないのだろうか?──)


その焚き火の灯りの向こうに

ヴェントの、あの横顔が一瞬だけ重なった気がした。


焚き火の周囲に、すでに何人かの兵士たちが腰を下ろしていた。

食事をとる者、無言で火を見つめる者──

そのどれもが、“生きて戻った”ということの証だった。


セリンは誰に声をかけられるでもなく、その一角に腰を下ろした。

レーザー銃をそっと脇に置くと両腕を組み、ゆっくりと息を吐いた。


「……なあ。」


唐突に、隣に座っていたジークが口を開いた。

炎がセリンの頬にゆらめきを落とし、その表情の奥を読みにくくしていた。


「さっきの……アイツ、セリンの知り合いなんだろ?」


セリンは何も答えなかった。


ジークは火に枝をくべながら、続けた。


「友達か?」


焚き火が、パチッと小さく爆ぜた。


しばらくの沈黙のあと、セリンは静かに目を閉じた。


(ヴェント……君は、何を言おうとしてたんだ?

 本当に、敵として現れたのか?)


「うん……。幼馴染……っていうか家族かな。

──俺の家で、しばらく一緒に暮らしてたんだ。」


「え?!」


ジークが目を見開いて、セリンの顔を覗きこむ。


「セルヴェリスから逃げて、飢えて倒れてたのを助けた。

俺とケリス…もう一人の、幼馴染と一緒に。」


セリンは、少し嬉しそうに話しを続けた。


「ノアとネアも、だいぶ懐いててさ。」


「あぁ、セリンの妹と弟か。可愛いよな。」


ジークは、セリンの双子の兄妹を思い出しながら微笑んでいた。


「ヴェント兄ぃ、ヴェント兄ぃって、あと着いて回ってたっけ。」


「あいつ、ヴェントっていうのか…」


「でもさ、ある日突然『旅に出る』って置き手紙だけ残して

いなくなっちゃって…」


「で、さっき再会したってわけか?」


「……まさか、あんな形で再会するとは思ってなかったけどな。」


悲しそうな微笑みを浮かべたセリンの言葉を飲み込んでから

ジークは、ぼそっと言った。


「──やっぱりアイツ、ふざけたヤローだな。」


どこか納得したような、呆れたような

でも、最初のそれとは確かに違う口調だった。

それは彼女の優しさでもあった。


セリンは、ただ、燃え続ける炎の向こうで

遠くに消えていった、ヴェントの背中を思い出していた。







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