復刻シリーズ「黄昏ミルクセーキ」

 寒空の下、トレンチコートを着た吸血鬼は、缶に口をつけてすぐに顔をしかめた。


『ブラッディ・ポタージュ』——人間の血を使ってはいるが、雑味が強く、何より入っている歯が邪魔だ。

 やはり、血は直接吸うに限る。


 ちょうどその時、若い女がこちらへ歩いて来るのが見えた。

 彼女も客らしい。

 少しばかり化粧は濃いが、なかなかの美人だ。


 しかし残念ながら、客と知りつつ手を出すのはマナー違反とされている。

 内心で溜息をつきつつ、彼は缶をグビリと煽った。

 そして空き缶をゴミ箱へ捨てると、歯をバリバリ噛み砕きながら、自販機の前を離れた。






 今すれ違ったコートの男——多分だけど、人間じゃなかった。

 背筋にうすら寒いものを感じながら、牧野まきのひとみは小さく深呼吸した。


 瞳は中学生の時、家族旅行中に海難事故に遭った。

 臨死体験の末、何とか奇跡的に息を吹き返したが、両親は死亡。

 瞳は親戚の家に引き取られることとなった。


 事故以降、瞳は奇怪で不可思議な者達の姿を目にする様になった。

 そのせいで、叔父と叔母には気味悪がられ、学校では嘘つき呼ばわりされた。


 先日は、夜道で黒い影に付きまとわられた。

 コーヒー代をせがまれたので、仕方なく小銭をあげたら、小躍こおどりしながら夜の闇に消えていった。


 公園脇の歩道で、首の折れた血塗れの少女の姿を見ることもあった。

 可哀想だが、気付かぬふりで通り過ぎるのが日課だった。

 最近は姿を見ないが、成仏できたのだろうか?


 その晩——キャバクラでの仕事帰りに、瞳はふらりと裏路地へ足を踏み入れた。

 何かに呼ばれたような気がしたのだ。

 そうして瞳は、黒い自販機の元へ辿りついた。






「こんばんは、よい夜ですね」


 自販機は、朗らかなの声で言った。 

 この自販機も普通ではない。

 直感でわかったが、不思議と怖くはなかった。


「あ、これ」


 瞳の視線が、だいだい色の缶に釘付けになる。


「『黄昏たそがれミルクセーキ』ですね。キャッチコピーは『どこか懐かしい暖かみ』。十年前にメーカーが倒産し、本当に懐かしの飲み物になってしまいました。もはや人々の記憶の中にしか存在しない商品です」

「小さい頃、よく飲んだなあ……」


 投入口へ小銭を滑り込ませ、ボタンを押す。

 ガコン、と缶が取り出し口に落ちる音。


 瞳は缶を取り出し、プルタブを引いた。

 口をつけると同時に、口内には甘さが、体には温かさが、そして脳内には懐かしい記憶が広がっていった。


 あの頃は幸せだった。

 両親に愛され、怪異に悩まされることもなく、毎日が楽しかった。


「お気に召しましたか?」

「うん、ありがとう」


 瞳は頬をつたう涙を拭い、自販機に礼を言った。






 それ以降、瞳は頻繁に自販機の元を訪れた。

 出現地点は毎晩変わったが、瞳には不思議と場所がわかった。


 ミルクセーキを飲みながら、自販機と世間話をするのが瞳は好きだった。

 自販機は聞き上手で、職場の愚痴や彼氏の悪口を、文句一つ言わずに聞いてくれた。


 他の常連客と鉢合わせになることも度々あった。

 ある晩などは、下界を巡回中の天使が羽を休めていた。

 金髪のウルフカットに青い瞳。

 性別は不詳だが、モデルの様に美しかった。


 天使は『デモンズウイング』という禍々まがまがしい響きのエナジードリンクを飲んでおり、


「内緒ですよ。禁止されてはいませんが、イメージが崩れるので」


 と笑った。


 ミルクセーキのために足繁く通っていることを話すと、天使は、


「昔を振り返るのも時には必要です。しかし、過去に囚われると——」


 と、そこまで言ってチラリと自販機に目をやり、


「——ま、何事もほどほどに」


 と肩をすくめた。

 目の前での営業妨害は、流石に気が引けたのかもしれなかった。






 その晩、自販機はとある廃ビルの屋上に出現した。


「こんばんは——あまり、よい夜ではなさそうですね」


 瞳の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。


「彼氏と別れた」


 自嘲気味に笑いながら、瞳は小銭を投入した。

 ボタンを押し、ミルクセーキを買う。


「何故です?」

「変に霊感なんてあるとね、相手の嘘とか、隠し事がわかっちゃう時もあんのよ」


 自販機は、それ以上何も訊かなかった。

 ミルクセーキを飲み干し、瞳はふう、と息をついた。

 街を見下ろし、ポツリと呟く。


「なんかもう、死んじゃおっかなあ」


 ——ガコン。


 缶が取り出し口に落ちる音がした。


「……何か落ちたよ?」

「ええ。どうやら、当たったようです」

「ああ、もう一本貰える的な?」


 そんな機能もあったのか。

 いや——自販機なりに、私を慰めてくれているのかもしれない。

 そう思った瞳は、

 

「てゆーか、商品は自分で選べないの?」


 笑いながら、取り出し口へ手を伸ばした。


 と——そこで瞳は、異変に気づいた。

 取り出し口に缶は見当たらず、ただ漆黒の闇が広がっている。


「はい、選べません。


 次の瞬間——闇の中から無数の腕が伸びてきた。

 老若男女の様々な腕が、瞳の腕をがっしりと掴む。


「ずっと観察していましたが——やはり、あなたにはがある」

 

 悲鳴をあげるより早く、物凄い力で腕を引かれた。

 あっという間に、瞳は闇の中へと飲み込まれ——そして——……

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