昨日、鼻が詰まっていて

にのまえ(旧:八木沼アイ)

昨日、鼻が詰まっていて

 十年の月日が流れた。その結果が、銃声が鳴った後のような静けさなのか。喉がきゅーっと絞められ、言葉が喉をノックしている。そのノックは、出ていきたいという前向きな気持ちではなく、どちらかというと出て行ってもいいのか不審がって、確認をするようなノックだ。

 俺の自信の無さが、きっと観客にも、そして相方にも伝わっている。照明も、少しずれている。

「も、も」

 言葉が重い。俺は、自分の面白さを信用していない。

「もうええわ、どうもありがとうございましたぁ…」

 その言葉を吐き出したあと、精一杯の作り笑いと共に、袖へ逃げ出した。パチパチ、というあまりにも感情が乗っていない義務的な拍手。俺ら二人が舞台を後にした瞬間、拍手は止んだ。余韻すらなく、通り雨というにはあまりにも地面が乾ききっていた。

「…ごめんな木原、僕がミスったばっかりに」

「いやいや、俺のせいだって、まぁ、責めたって仕方ないんだし」

「そっか…でも、なんかごめん」

「謝んなって…」

 俺のせい。心の中で、反芻する。牧野は一度たりともミスはしなかった。

「…すまん木原、ちょっと、お手洗い行かせてくれ」

「…あぁ」

 大きな舞台が終わると牧野は、大体トイレに行く。六年前の大きな舞台の時、俺は隠れてあとについていった。純粋に俺もトイレに行きたかったからだ。だが、牧野は個室で声を震わせていた。それ以降、こいつのトイレ事情は誰にも話さないと心に決めた。舞台は暗転して、司会は次の芸人を呼ぶ。

「木原先輩!」

「どうも、次、俺たちの番っすね」

 後輩の鹿谷と立川。こいつらは二年目にして、有名な賞レースの準決以上に出場という好成績を残している、今大人気の若手コンビ、嵐の両面。正直、羨ましい。

「いやぁ、先輩の漫才おもろかったすねぇ」

「まじで、すごかったです」

「はは、ありがとう」

 絶対に、そんなことはない。

「次は、才能で殴りこんできた、期待のルーキーコンビ、嵐の両面!」

 司会は声を張り上げ、会場の期待値を上げる。

「あ、じゃあいってきます」

「ああ」

 今大会、主役の登場だ。そこからは圧巻だった。始まった直後の掴みは完璧。袖から見る観客の顔、観客の反応、観客の拍手の質、俺たちとはツイをなしていた。溢れ出す笑い声、観客は体をのけぞって手を叩いていた。内容も非の打ち所がなく、満遍なく面白い。会場が熱気に満ちており、彼らの独壇場というほかないだろう。

 ズボンを握る手に力が籠められる。あれが正解なら、俺たちは不正解だ。この領域では笑いが正義で、つまらないが悪とされる。だが、その正義に俺は憧れていた。照明が、俺たちが立っていた時よりも元気な気がして、彼らをしっかりととらえていた。

「…なわけあるか、もうええわ! どうも、ありがとうございましたー」

 称賛、感謝、敬意、そんなものを彼らは浴びている。戻ってくる彼らにどんな言葉をかければいいかわからなくなっていた。

「いやぁ、たまたまウケてよかったです」

「今日はめっちゃ客層がよかったよな」

「…面白かったよ」

 脚色なく出た言葉は、本音だった。

「え、ほんとですか! ありがとうございます!」 

「木原先輩に…あ、すいません、マネージャーから呼ばれてて…」

「そういえば、先輩、打ち上げ参加しますよね?」

「…あぁ、どうかな、行けたら行くわ」

「それ来ないやつじゃないですか。では、また後で!」

「ではまた」

 軽く手を振り返すと、彼らは嵐のように去ってしまった。話し終わっていてもまだ、拍手は続いていた。


 ○


 帰りの電車、疲弊したサラリーマンが、俺の肩に頭を乗せている。牧野の隣に立つ中学生は、音漏れするイヤホンで音楽を聴いていた。すると、目の前に立っている牧野が聞いてきた。僕ら限界なんじゃないか、と。熱量の差が生まれた瞬間、誰かと本気で目指していたものは一瞬で墜落する。先輩にも同期にも、そして後輩にも、同じようにして解散した人たちがごまんといることを知っていた。だから俺は、その問いを聞いた瞬間、本当に終わったのだと思った。俺は無言のまま自分の靴を見つめていた。


 意を決した牧野は、解散しよう木原、と告げた。


 薄々感じていたことだった。最近、牧野のトイレに行く回数が減った。この漫才に、注ぐ熱量がなくなってきたんだろう。そして、今日が、こいつの人生をかけた漫才だったんだ。その結果があれじゃあ、立ち直るのは難しい。隣に立つ中学生の男の子はイヤホンを外した。俺が代わりにイヤホンをつけて、今の言葉を聞いていないことにしたかった。伏し目気味に、コンバースを見ると、親指の先に穴が開いていることに気づいた。牧野は続けた。もしかしたら僕、家業を継ぐかもしれん、じゃあ、と、俺の言葉を聞かずに、そのまま人混みの中へと消えていった。

 遠ざかる背中を無理やりドアに遮られてしまい、感動的なシーンにちゃちゃを入れられた気分だった。やるせない気持ちになり、思わず、本音それかい! と大声で最後にツッコんだ。一気に注目を浴びたおかげで肩は軽くなり、一人はニヤニヤしながら音楽を聴き始め、一人は隣に誰もいなくなってしまった。


 〇


 ネタを考えるのは決して苦ではなかった。幼い頃から人を笑わせるのが好きで、それが今の職業につながっていると言っていい。自分の言葉で人が笑ってくれるほど、幸せなものを知らなかった。だが、中学生の時、目立ちたがりな性格があだとなり、酒井といういじめっ子に目をつけられた。最初は無視される程度で済んでいったが、次第に、石を投げられたり、教科書を破かれていたりとエスカレートしていった。見かねた学級委員長が先生に告げて、保護者会に持ち込まれた。話し合いという無意味な折版案を出して、結果的に俺と酒井が転校することになった。

 引っ越しの準備をしている最中、母親は俺の横でごめんね、と呟いた。その時、なぜ俺に謝るのか、少しだけわかるような気がした。俺が母親に敵意を向けている、もしくは、なぜ俺が転校しなきゃならないんだという怒りの感情を持っている、と推察したからかもしれない。悪いのは酒井であり、母は何も悪くない。実のところ俺は、新しいところで面白いことができると期待に胸を膨らませ、ワクワクして荷造りをしていた。だから母に、ううん謝んなくていいよ、と言い、手を休みなく動かした。母は、少し安堵した様子で、再び作業に戻った。そして、その転校先で牧野と会った。

 その牧野が先ほど解散という言葉を口にした。これまでそんな話をしたことはなく、俺と牧野はこのまま続けて、最期は芸人として死ぬものだと思っていた。

今日のライブで、牧野は腹をくくってやっていたのだ。だが、俺は正直、また次があると思ってしまっていた。しかも、ネタは噛み噛み。小箱でのライブならイキイキとできるのだが、あんな大勢の前で発言することに、まだ、緊張してしまう。きっと、牧野は一人で何度も練習をしてきたに違いない。だから、ノーミスだったのだ、牧野は。

 そんな熱量の差で生んでしまった結果がこれだ。空っぽな手元をよく見て、ギュッと握る。先に熱量の差を生んだのは、俺じゃないか。目の前のドアはさっさと出て行けと言わんばかりに、苛立ちを抑えず、開いていた。


 〇


 ホームはやけに涼しく、俺の服は風向きになびいていた。頭の中では、はっきりしない思考がずっとグルグル回っている。夜道は街灯に照らされ、住宅から香る夕飯の匂いが鼻をかすめる。将来への不安、現状の把握を迫られ、問題を先延ばしにしていたツケが回ってきた。

 心の中にあった、寂しさとノスタルジックが刺激され、夏休みの最終日を思い出す。たまりにたまった課題は、現実味を帯びて、武装し、俺の前へ立ちはだかる。小学生の時ならまだいい、なぜなら答えがあるから。だが、これから先の宿題に、答えはない。そんな現実がただただ恐ろしく、夜道の影へと身を隠してしまいたくて堪らなかった。用意された正解をただ写す作業は、不正解への目隠しにしては十分すぎる。俺は、不正解を書くペンすら握れない臆病者で、誰かと一緒に失敗をすることで安心感を得ていたような人間だ。そんな卑怯な人間が、人を笑わせたい、人を笑顔にしたい、笑止千万だ。相方に見限られても仕方のない人間じゃないか。

 現実が解答用紙なら、今のところ俺は白紙だ。俺にとっての芸人は、この白紙を紙飛行機にして飛ばせてしまうほどの度胸があって、人を笑わせるために人生を賭けられる人だ。俺は、同じく白紙で提出しようとしている人間を囲って、安心しようとしているクズだ。だから、新しいネタを考えるため、思考を反対にグルグルと巡らせた。



 パンッ


 民家から、乾いた発砲音。音が鳴った方へ首を回すと、民家の前には寂しそうなパトカーが一台置いてある。俺は興味本位で近づいてみることにした。何かのネタになるかもしれない、そんな浅はかな思いで足を進める。不思議なくらい足取りが軽い。風によって門は金切り声を上げる。家のドア開かれていた。中から声が聞こえたので、慎重に近づいて覗いてみる。俺はとてもハイに近い状態になっていた。

「おい、ここで何しているんだ」

「え、警察!? ちょ、ちょっとまって」

「不法侵入での現行犯逮捕だ」

「まって、まって…あ、え、なんでここに、先輩」

 中には、片手にピンク色の可愛らしい女性の下着を強く握りしめている、後輩の鹿谷がいた。腰を抜かしている。

「あ? 誰だよ…え、お前、木原?」

 鹿谷に銃を構え、俺の方を驚愕の目でみているのは酒井だった。

「木原、こんなところで何してんだよ、お前も不法侵入で掴まりたいのか?」

「おいおい、銃を向けるなよ、そんなんじゃなくて…てか、鹿谷はなにしてんの」

「せ、先輩助けてください! 俺何もしてないんです」

「何もしてないって、その片手に持っているのは何だよ」

「こ、これは、こいつに持てって言われて」

「言ってねぇよ! ここは私の家だぞ!」

 逆上した酒井は鹿谷に標準を合わせる。

「酒井の家なのかよ、え、お前あんなのはいてんの」

 顔を真っ赤にする酒井は声を荒げる。

「うるせぇよ! お前のせいで、私は転校する羽目になったんだからな」

「はぁ?」

 違うだろ、酒井のせいで俺が転校する羽目になったのだ。なんでこいつが被害者ずらをしているんだ。

「な、何の話ですか?」

「うるさい変態野郎! お前は黙ってろ」

「す、すいません」

 うつむく鹿谷を横目に、酒井は話し始めた。

「わ、わたしはさ、木原のことが、好きだったんだよ!」

「…は? いや、何冗談言ってんだよ」

「冗談じゃないわよ!」

「どういうことだよ、俺はお前にいじめられて…」

「あれ違うのよ。ほら、私ってモテたじゃない?」

「まぁ、ああ」

「あれ、私が木原のことが好きってあんた以外にバレて、そこで嫉妬した女子が私がやったって言いふらしていただけよ」

「…え?」

「教科書を破ったり、あんたの所有物を隠してたしていたの、主犯格は学級委員長だったんだから。それにも気づかすにあんたってやつは」

 頭の中で事象が散らかっている。片づけられそうにない。

「どういうことだ…」

「学級委員長は私だけいなくなると踏んでいたみたいだけど、木原もいなくなるなんてね。笑っちゃうわ」

「でも、無視してたのはお前だろ」

「あれ、緊張して離せなかっただけ、ごめんね」

「はぁ、え、あー、え、はぁ」

「うん」

「うん、じゃねぇよ! 俺の思い出返せよ!」

「そういうことなの、んで、今も私、木原のこと…好き」

 拳銃を握る両手に力が籠められる。俺が目線をそらした先には鹿谷がニヤニヤしていた。電車にいた男子中学生を想起させた。

「二人とも、お似合いっすね」

「でしょ」

「でしょ、じゃねぇよ!」

「二人で組んでみたらどうですか? あでも先輩、相方の牧野さんが…」

「さっき解散した」

「え、まじで!?」

 すらすらと言葉が出てくる。純粋に楽しんでいるのかもしれない。いいネタだと確信する。その確信は、自信へと直結する。

「だから、今、隣が開いてる」

「木原くん、それ、ほんと?」

「酒井、俺の隣、空いてるよ」

「そっか、木原君、私と」

「…ああ」

「結婚してください!」

パンッ

「あ…」

「あ…」


 勢い余って握りしめた拳銃は、鹿谷の脳天を貫いた。


「もうええわ! どうもありがとうございました!」

 

 観客からの拍手とともに、白紙の解答用紙を十二分に満たしていった。

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