第38話 それを人は『原罪』と呼ぶ

 ――あと三日。


 アントヴェール市、ユーマンス商工会(ギルド)の交易事務所。ユーマンスはノヴァークやオーデンセの木造建築は少なく、レンガと石造りの建物が中心になっている。事務所は石造りのしっかりした建物だ。エーコとモモは前回同様、真夜中に事務所内へ忍び込んだ。いつもより高い位置から滑空。音もなく事務所内の中庭に降り立つと、即座に大鎌を巨大化して事務所の一階と二回分をまとめて薙いだ。


 死神の大鎌は基本的に生き物の魂にしか引っかからない――それを利用する。『モノにも魂らしきものがある』ので、石造りが少しだけきしんだ。エーコは思わずヒヤリとしたが、建物は崩れずにそのままだ。中にいた少数の人間のみが効率的に無力化されただろう。


「行くよ、モモ。申し訳ないけど、まだ生き残ってる人が近づいてきたら……お願い。私の作業が終わるまで誰も近寄らせないで」


「なるべく痛くしないようにする。船の予定、見つかるといいね」


 そうしてモモに見張りをしてもらって、建物内を探る。残っていた職員や衛兵の遺体が廊下にぽつぽつと倒れていた。最初の一撃で魂がいくつか引っかかっていたので、犠牲者が出たことは分かっていたが……震えそうになる手をぐっと抑える。館内のフロア地図を見ながらしばらく部屋を当たっていくと、目当てのものが納められた部屋を見つけた。


「『エイシア行き、イルドア号』。ロートルダム港湾から……四日後に船が出る。これね」


 この先の港町から出ていく貿易船の出港予定、近い日付の便があってよかった。航海については北の城で少しだけ勉強した。外国への船というのは基本的には春になってから出港だが、どうも討伐軍遠征の影響で早まる便があるらしい。ここからなら、十分間に合う。


(臨時便ってやつね。後ろ暗い荷物……奴隷とかクスリとか、そういうのが積まれてるんでしょ、多分)


 入口で見張るモモを横目で見て、エーコは何とも言えない気持ちになった。あの子も故郷から連れ出されて、その港町から王国へ運ばれていたのだろう。奴隷売りなんてものを容認しておいて、何が討伐だ。矛盾している。


(討伐軍ってのはこないだのノヴァーク国境での襲撃が最後。ユーマンスにも手は伸びているでしょうけど……私たちの進路は読まれているかしら?)


 地図を出してスキルで灯りを付ける。自分たちの終着点……港町へ行くことは読まれているかもしれない。だが、冬の航海に潜り込むということまで予想されていないと思う。冬の航海は危険のほうが大きいからだ。まぁこれは北のお城で読んだ限りの知識だけど。


(考えても始まらない、こういうのはスピードが大事だ。脱出のチャンスが巡ってくるのなら、判断は早いほど良い)


『リスクと判断力は紙一重だ。失敗したときのカバーを考えろ』というのは先生の教えだ。もしも討伐軍が自分たちを襲ってくるとしても……王国からここまで大軍を引き連れてくるとは考えにくい。進行スピードは圧倒的にこちらの方が早いのだ。


(うん、きっと大丈夫)


 エーコは頷いて、航海予定表をローブにしまった。もしドンパチがあるとしても、あらかじめ予定されている船は止められないはずだ。大丈夫。


「もう終わったわ。行きましょう」


 そう言ってエーコは再びモモを連れて、空中へと昇っていった。ひんやりとした冬の夜の空気が肌に染みる。船が出るまでまだ間がある――まずはゆっくりと身を休められる場所を探そう。空が一段と昏くなってきた……そろそろ夜明けだ。



 +++++



 朝焼けの光が空いっぱいに広がっている。ロートルダムまであと数十キロ、というところにエーコ達はやけに目を引く大きな緑のドームを見つけた。口にはしないが、モモだって疲れているだろう。繋いだ手の力が弱くなっている。


「ちょっと行ってみましょうか。長く休憩できるといいけど」


「ありがとう、エーコ。ちょっとしんどくなってたから」


 引き寄せられるようにそこへ降り立った。窪地のような地形、緑の壁を抜けると、


「うわぁ……大きな樹……」


 モモが瞳を輝かせて眼の前の巨大な大樹を見上げる。エーコもこんなに大きな樹を見るのは初めてだった。『屋久島の縄文杉』というワードが頭をよぎった。元の世界でも実物を見たことはなかったが、この樹はそれを遥かに上回っていると思う。地図で場所を確認すると、


「『祈りの緑園』……昔は幻獣種が棲み着いてたみたい」


 かつては害獣のねぐらだった場所に、イラッとするほどロマンチックな名前を付けたものだ。冬だと言うのに樹の周辺は何故か春みたいに温かく、雨水が溜まって水辺のような風景をしていた。天然のグリーンガーデン、といったところか。


「……船が出るまでここに泊めさせてもらいましょうか」


 緑に囲まれた安全地帯のように思えた。出来るならここでずっと過ごしてもいいかな……とも考えたが、同じところに何ヶ月も留まるのは危険だ。考えていると、お腹の鳴る音がした。モモかと思ったら、


「エーコ、お腹空いてるね」


 モモに指摘された。自分だった……恥ずかしくて頬が熱くなった。『死神』になってもお腹が鳴るなんてことあるか?


「……そうね。じゃあここでちょっとだけ贅沢ぜいたくしちゃいましょうか。取っておいた天使種族からの保存食も解禁よ」


「大事に食べるって言ってなかったっけ?」


「たまにはゼイタクしなくちゃ、心が疲れるでしょ。それにいざというときにきちんと動けるようにしておかないと」


 ひょっとしたら最期に討伐軍と派手にドンパチするかもしれない。エーコもそうだが、モモだって空腹のままだとすぐに殺されてしまう。ローブからエナジーバー(?)みたいな固形物を三つほど取り出す。他にも水を注げば食べられるものもあった。本当に、文明レベルの差に腹が立つ。


「「いただきます」」


 二人して、食前の魔法の呪文。モモが固形のスティックをかじりながら、


「前にも食べたけど、すごく美味しい。甘くてちょっと塩っぱい。エーコ、これモモにも作れるかなぁ?」


「それを作るのは……難しいかもねぇ」


 そう言って自分も魂をいくつか取り出してかじりつく。『恐怖』『安堵』『絶望』……死に際にはありきたりの感情だったが。


(魂にも味がある。けどそんなこと、もうどうだっていい)


 旅の道中、お腹が空くのはどうしようもない。天使種族とやらから分けてもらった非常食は温存していたが、今回の滞在で食べきってしまいそうだ。


 悪人の魂だけ狩れたら良かったのだが、そんな都合よく人々の危機になんて遭遇しない。むしろ自分たちのほうが『死を呼ぶ厄災』なんて呼ばれる有り様だ。それに、


(魂を美味しく食べるなんて、もう考えたくない)


 二人で生きるために仕方なく人々を襲う。今回だって襲ってきたのは最低限、船に乗る情報を集めるときだけだ。けれどこの先は?


(東の国へ行っても、私のスキルが無くなるわけじゃない。あっちでも人を殺し続けるの? 最低限?)


 それだけだと栄養が足りない。モモと一緒に生きているだけで、この身はいくらだって魂を欲している。今まで自分は、なんておぞましいことをしてきたんだろう。けれど、もう美味しい食事なんて必要ない。缶詰に手を伸ばしているモモを温かく見つめながらエーコは、


「ねえモモ。愛してる」


 そうささやいた。まるで許しを請うように。


「エーコ? ……うん。モモも、愛してる。I love you」


 そう言って愛しい人が私の名前を呼ぶ。アイを囁いてくれる。食事中だけど、手を伸ばして二人の指が絡み合う。モモが私を愛してくれる。私もモモを愛している。それ以外に、何が必要だというんだ。


 クラス中が自分を噂している、あの世界全部が敵になったような孤独、それに比べれば愛する人がいる今のほうがずっと温かい。たとえ人を殺して生きる体になったとしても。この愛だけで生きていければ、それだけでもう何も要らないのに。



(どうして私たちは、何かを犠牲にしないと生きていけないんだろう?)



 答えのない問いだった。どうして……楽しく生きようなんて考えてしまうんだろう。生きているだけで満足すれば良いのに。モモと一緒に食卓を囲む。そんな日々を過ごしていたいだけなのに。


(犠牲なんて……そんなことを言い出したら、キリがないじゃないか)


 死神でも偽善者でもない、としてのエーコは思う。


(私たちはいつだって罪と一緒に生きている。その答えを探すのが、償いなんじゃないの?)


 そう。私たちは生きて、死ぬために答えを探し続けている。死ぬまでいくつも罪を重ねて……生き抜くことが、償いになると信じて。人を殺すしか能のない、魂すらないこの身だが。せめて心だけは人間らしくいたいと、この子と同じでいたいと思った。


 大樹に寄りかかって、二人で食べて、笑って、寝息を立てる。たった二日、そんな穏やかな日々を過ごした。


 ――そして、彼女たちはその日を迎えた。

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