第17話 泣けない死神と、温かさの理由
『でさー、ウチのカレシ最悪! こないだ瑛子にやってもらったネイルのデコ、全然気づかねーの! 普段はちょっとリップ変えただけで褒めちぎってくるくせに、こういうところには全然でさ!
『まぁねぃ。でも瑛子には敵わんよー、同じ大学生でも前に瑛子が付き合ってたのって京王のやつでしょ? ってかオマエまじ高望みすぎじゃね? あたしなんかさー……』
エーコの周りで同い年くらいの女の子が二人笑っている。エーコは会話のノリに合わせて、
「あー、マジそれな。私だって優しくしてるって。言い寄る奴らがチャラチャラし過ぎなんだよ。それよりさ――」
答えるエーコの声は明るいし、顔も笑ってる。でもモモは知ってるよ。
(はぁ……くっだらな。こういう儀式、はやく終わんないかなぁ……)
そう考えて壁時計をチラチラ見てる。モモには見せたこと無い、エーコの暗い空っぽな目……私も、こんな目で見られてるのかもしれない?
――ふたりで色んな景色を、見に行きましょうね――
うぅん、そんなわけない。だってエーコはキラキラした私の神様……いや。
『アイ』なんだから。
+++++
ノイスヴェンセン城を奪ってから三日が過ぎて、モモはすっかり体調を整えたようだった。元々健康な子だったのか、今は倒れたのがウソみたいに城内の小さな庭園を駆け回っている。城に来た小鳥を追っていたが、小鳥は三階の手すりの向こうへ飛び去ってしまった。
「あー……逃げちゃったぁ」
遠くから小さく声が聞こえて、エーコはソファに身体をうずめた。ソファの片側で本の束がズルっと傾く。残念がるモモから目を逸らして、エーコは考える。
(ここ数日、いやに平和だ。食事はまだ出来るし、この世界に来て初めて不自由を感じてない……けれど、ヘイタイが来る気配がないのが不気味だ)
モモを分霊化した日、ノヴァーク軍に襲われたのを思い出す。オーデンセはまだ紛争を続けているのだろうか。胸騒ぎがないでもないが、自分がすべきはこれからの生活の心配だろう。
(魂も狩りにいかなくちゃアタシがヤバいし。どうにかここを拠点にして食料を調達する仕組みを作らないとねぇ)
モモが庭園の中央、テーブルのようにキレイに刈り込まれた花壇を撫でる。
(『私の魂はキレイなままエーコに食べてほしい』か……)
昨日の問いも脳裏から離れない。モモを食べる? そんなことはしたくない。だって私はモモを愛してるんだもの。この子の魂を食べるなんて、考えたくない。こんなキレイで透明な――
(魂か……考えたこと無かったけど、アタシにとってただの食事ってだけでいいのか? こんなにキレイで美しい人の感情の究極。右手をただ振るだけでアタシは簡単に手に入れる)
それを形にする、ということ自体が命に対する冒涜なのかもしれない。……冒涜? いやそう考えるのも自分にはリスクだ。『異世界人は野蛮で、獣と同じ』。それが少しずつ剥がれていくような感覚を覚えるようになったのは、いつからだったろう。
(先生の言ってた通りにしないと、楽しめないと。アタシは途端に弱くなる)
弱ければ、モモを守れない。あぁそうだ、温かさを思い出すようになったのは――
「エーコ、何か難しいこと考えてる?」
不意に、モモが傍まで戻ってきていた。こちらが考え事をしているのを聞いたのだろう、魂に少し不安の色が見える。エーコはソファから体を起こして、
「うん、ちょっとねぇ~」
と、死神の声で誤魔化した。
「エーコ、こないだから本を読んでるね。それは何?」
ソファに摘んであった本を指差す。
「城にあった東の国との貿易……商売の記録ね。西のユーマンスから船が出ているみたい。いつか二人で行ってみたいわねぇ」
世界地図で言うところのインドやアジアに当る場所のことが書かれていた。エーコが知る現実とはやはり少し違っているようだったが……機会があれば足を伸ばすのもいいかもしれない。モモは『東の国かぁ』と興味を移したようだった。自分の不安をモモに悟られるところだった、危ない危ない。
人間の感情なんて出すもんじゃない。もし自分が弱くなったら、この子を戦わせることになるじゃないか。あの青く燃える炎の狼の姿で、血に塗れて……
「モモは……敵を殺すとき、どんな感じがするの?」
そんなことを、聞いてしまった。淡々と尻尾を突き刺す光景を思い出して、少し胸がゾワッとする。モモは少しだけ困ったようにしたあと、
「『狼』になってるときは、やらなきゃってことだけ考えてた。私が私じゃなくなるみたいで……でも、元に戻ったら、何だか胸がギュッてなる。あんまりいい気分じゃないけど……エーコが傷つけられる方が、もっと嫌だから」
だから、とモモは続ける。
「エーコとこんな毎日が過ごせるなら、モモはこれからもエーコと一緒に戦うよ」
更に胸が締め付けられる。この子にはまだ罪の意識はない。けれど、エーコのために手を汚すことを選ぶのだ。自分が魂を喰らい続ける限りは。
「……エーコ、泣いてるの?」
涙が頬を伝っていた――いや錯覚だ。頬に触れた手は濡れていない。酷いことをしているから。モモに? それとも今まで犠牲にしてきた命に?
「……泣くわけないじゃない。アタシは死神なんだから」
「エーコは、エーコだよ。『アイ』だよ。だから、泣くよ。モモもエーコが泣いたら悲しい。泣かないで、エーコ」
「違う。アタシは……私は……」
「エーコ、よしよし。つらかったね」
モモが膝をつく私を自分の胸に抱いた。モモの体温と心臓の音が聴こえる。魂の色がずっと透き通って、水みたいだと思っていた色は、アクアマリンの宝石のようにキレイで――
「モモ、もうちょっとこうしてていい?」
「うん、エーコが望むなら。アイするエーコ。あいらーびゅ……泣かないで、笑って」
またエンゲリシェ。泣いていないのは本当だ。でも、それがたまらなく――妬ましかった。
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