第2話 夜明けの狩り、いつもの地獄
爆炎が少女の真横、馬車の前部分を吹き飛ばした。彼女の横に座っていた大人たちが数人巻き込まれて、衝撃と共に飛ばされるのを……その少女は虚ろな瞳で見つめていた。
(つらいことばっかり。しぬかな……もういいや)
少女はノヴァーク王国北西部の島国から運ばれてきた。怒鳴られて叩かれて、痛くて。もう故郷で過ごした日々すら塗り潰されて……そうして王国に売られてきたのだった。ノヴァーク王国では珍しくない、奴隷たちを乗せた馬車である。
『ミィ・ディア!!』
前に座っていた女性がとっさに故郷の言葉で叫んで、少女に覆いかぶさった。その瞬間、屋根に燃え移った炎が女性の背中を焼いた。
(……しんじゃった。どうせここでおわるのに。なんでたすけたの)
女性はまだ呻いていたが、
(あつい……あぶないから、そとへいこう)
少女は覆いかぶさったモノを押しのけて馬車の外へ出る。どすっと鉄球が地面に落ちて、少女は息を吸い込もうとした。すると、
――神様みたいな人がそこに立っていた。
吸い込まれそうな黒いローブに、黒い光を放つ大鎌。傍目にも怖いモノにしか見えなかったその女性は、
(キレイ)
両側に二つに結んだ長い髪と、くりっとしたまあるい瞳。でも心にぽっかり穴があいてしまったようなその人は、どこか優しい顔をしていて……
(かみさまって、いるんだ)
何人もの死体と炎が焼け付くような狩り場で、少女は『死神』と出会った。
+++++
その数時間前、夜明けとともにエーコは目を覚ました。欠伸一つせずにベッドから出て、足元の遺体を踏み越して伸びをする。居心地のいい街だったが……人がいないと、食事が出来ない。また生者のいる場所へ。部屋に転がる三つの遺体をよそに、エーコは手早く旅支度をする。
(一ヶ月アタシを楽しませてくれて、ありがとねぇ)
エーコは同じく
(修繕屋に直させたりも、あと一回くらい出来れば良い方)
ほつれてきた制服のスカートの裾を持ち上げる。転生前の自分を捨てるようで、何となく先延ばしにしてきたけど、もう頃合いだろう。服さえ満足に手に入らない。
(ほんっっと……異世界転生なんて、ロクなもんじゃない!)
舌打ちして、旅支度を進める。嵩張るものはローブへしまう。荷物が全て、ブラックホールに落ちるようにローブの闇夜に消えていった。旅をするのにリュックなど必要ないのも、スキル『死神』のいいところだ。ただし荷物の重さは相殺できない。ローブと荷物の重量が肩に食い込む。
(離れるのは少し心もとないけど、出立するなら、早いうちによねぇ)
この世界では夜は危ない。最初の夜に襲ってきたカエルとトカゲを合わせたようなデカい魔物を見て、まだ女子高生だったエーコは悲鳴を上げたものだった。だから移動は昼の内――それを身をもって学んだ。
4階の窓から外へと助走をつけて、エーコは貴族の邸宅から跳躍した。
(スキル『死神』は、飛べない)
高い建物から落下すると、そのまま落ちるしかないのだが――その代わりに『足場』を作ることが出来る。エーコが意識した中空に、幾何学的な模様が出現する。
(対魔力から――物理障壁へ)
『足場』は普段はオートで魔力を弾くが、集中すると物理障壁としても使える。足場一枚目で、まずは落下する衝撃を殺す。ローファーが足場にぐっと沈み込んだところで、跳躍。そしてさらに先の中空に足場を一歩、二歩、さらに先へ作っていく。
トランポリンのように跳ねる足場で、エーコは空高く舞った。陽光が照らす青い空をリズミカルに駆ける姿は、天使やペガサスのように見えたかもしれない。
(いや、天使ってか悪魔なんだけどねぇ、実際は)
黒いローブを身にまとって、黒く光る大鎌を振って、空中を自在に駆け回る――そして『人の魂を喰らって』生きている。
(殺さないと死ぬ……罪悪感なんて消さないとやってられない。スキル『死神』――ケッタイな能力だけど、恵まれている方よねぇ)
大型トラックに轢かれた一年半前、ただの女子高生だったエーコが生き抜くことが出来たのも、このスキルのおかげだった。空を跳ねて街の外へ。地上から数十メートル上空に光る紋様を駆け抜ける。目の端で風景が後方へ流れていく様は、元の世界の車中から見えるドライブ感に近かった。そうしてスピーディにポンポンと中空を駆けていると――
(何あれ?)
街路に燃えている馬車団を見つけて、エーコは前方に足場をいくつか作って、ゆっくりとブレーキをかけた。静止してよく見ると、辺りにはガラの悪そうな男たちが群がって、馬車の中の物品を持ち出そうとしている。追いすがって蹴り飛ばされる商人と、大きな馬車から逃げ出そうとする拘束具をはめられた人間も見える。
(奴隷を積んでいるのかしら? 野盗ってか……商人も野蛮ねぇ)
この世界では、人の命は驚くほど軽い。エーコも数多くの命を奪ってきたが……それでも、街道沿いに死体を見つけることが少なくない。
(昨日のクズみたいな貴族といい、貴族や王族ってのは民衆の命なんて気にしてないみたいだけど――アタシとどっちが死神なんだか)
この世界ではありふれた光景だし、野盗も生きるために必死なのだろうが……自分に見つかるとは、運のない。
(商人の馬車なら、服とかあるかなぁ。それにお弁当も調達できるわねぇ)
魂には消費期限がない。しかし、味はどうしても劣化するのだった。魂を美味しい保存食に加工するのは、まだ試している段階だ。だからこういう『なるべく自分で手を汚さない』機会が出来るのも、良心が咎めなくていい。それに、
(悪党なら、殺されても文句言えないわよねぇ)
エーコはニタリと笑ってみせた。今さら正義ぶる気なんて無い。ここからは狩りの時間だ。
(そうと決まれば、行ってみましょうか。『死神』らしく)
エーコはごうごうと火の手が上がる馬車団に向けて、空中の足場を操作しながら助走をつける。体操選手のように体を丸めて姿勢変更、斜め後ろに作った足場を両足で蹴った。鷹が地上の獲物を狩るように、馬車団へ向けて滑空……いや跳躍する。
(美味しい魂と、きちんとした服が積んでありますように!)
夜空のような黒いローブが陽光を吸収して、闇夜が空中を切って飛ぶ。重力に任せて滑空した先には――燃える馬車団と、逃げ惑う人影。エーコは凶暴性に心を委ねながら、口元を歪める。
(さぁ……狩りの時間!!)
+++++
燃え盛る一台の馬車のたもとに、エーコは着地する。着地の風圧で、炎の勢いが少し弱まる。逃げ惑う商人と、荷馬車を漁ろうとする盗賊たち。繋がれた馬たちが、嘶いて馬車を引きちぎろうとする。
「なっ……なんだ!?」
盗賊が上げる声に答えもせず、エーコは右手に大鎌を出現させ、それをダンプカーくらいの大きさに巨大化させる。
(これやるとちょっと疲れるけど、すぐに食事できるし、いっか)
刃渡り10m弱はある大鎌を盗賊団の集団に振った。魂を抜かれた身体が、風圧で竜巻に飛ばされるように空に舞う。重さゼロの刃先を確認すると、少しくすんだ色をした魂が十数個。
(あまり美味しくはなさそうねぇ。まぁ非常食だと思えば、上々)
スキル『死神』は魔力で編まれた大鎌を一振するだけで、強制的に相手の魂を奪うことが出来る。相手が屈強な男であろうと、大型の魔獣であろうと、一切関係なく。
――返す刃先で、反対側も同様に薙ぐ。上空から捉えていた野盗は、ほぼ狩り尽くした。
まさに『
(悪党の魂って、なんだか漬物みたいな味がするのよねぇ……あぁ、昨日のクズの味が恋しい)
あぁいうクズの味は、案外イケるのだ。盗賊がダメで、貴族が良いのは……おそらく教育だろう。不意に背中に熱を感じた。オートで『足場』の魔導障壁が展開されて、エーコを守った。
(死神のローブ越しでも熱い――わりと強い火炎魔法ねぇ)
家一つくらい簡単に燃やせそうな炎は、光る足場と闇夜のローブだけをすり抜けて、眼前の馬車へと直撃する。悲鳴とともに馬車から鎖につながれた人間が一人、外へと投げ出された。奥にも何人か、巻き込まれたようだ。
(やっぱり異世界って……人の命が軽いのねぇ。野蛮ったらない)
人間が焼ける不快な匂いを無視して振り向くと、盗賊の内の一人がこちらへ右手をかざしていた。魔導士崩れだろうか。驚愕と恐怖の色が見える。渾身の術だったのだろう……しかしスキル「死神」の『足場』はそんな術すら容易く防ぐ。
「ざぁんねぇん!」
エーコはぐにゃっと口元を引き攣らせて、大鎌を振るう。その刃は
「スカートに穴が空いた……」
炎は防いだが、火の粉が飛んだのだ。只でさえ見栄えが悪くなっているのに。危険が無くなったと理解したのか、生き残りの商人たちがこちらに駆け寄ってきた。しかしエーコは心底機嫌が悪くなっていた。大鎌が商人を数人、横薙ぎした。『安堵』『希望』――そんな魂の色が見えた。
(こいつらだって、悪党だし。アタシの視界に入ったのが悪い)
周囲の死体を冷たい目で見下ろして、もう慣れてしまった自分が冷酷に言う。悪人だろうが善人だろうが、エーコは容赦をしないことにしている。
『異世界人は獣と同じ』という、この世界の先生の言いつけだ。守らないと、自分の命が危ない。それに――
(事故に遭ってここで目を覚まして、最初に出会った女の子。何が何だか理解ってなかったアタシを――助けようとしてくれたのよね、きっと)
最初に喰った魂の持ち主のことを、今でも思い出す。まだこのスキルがよく
「ま……まさか、『死神』!?」 「逃げろ!!」
とりこぼした商人たちがいたらしい。生き残った者たちは恐れ慌てて走り去っていった。先刻までエーコが滞在していた街の方角へ。
「……まぁ、深追いしなくてもいっか。そっちに行っても、もうみんな死んじゃってるしね」
襲撃された商人の荷馬車を物色する。荷馬車のシンボルを見ると、どうも王都行きの商人ギルドらしい。燃えていない商品がたくさんある、冒険者用の服、女物もある!
(良いもの置いてるなぁ。服に食料に奴隷……羽振りが良かったのねぇ)
『死神』なんてけったいな能力のせいで、これまで大きな街へはあまり立ち入れなかったが、思わぬ幸運だ。これが渡りに船ってやつかぁ。
「あ、これいい感じねぇ」
女性の冒険者用服とハイブーツを見つける。これでダメージが目立ってきた制服から着替えられる!
(お別れ……かぁ)
エーコにとって制服とは、前世の象徴でもあった。こんな世界に染まる自分が嫌で、意地でも着続けてきたのだけど――もう暇を出しても、いいだろう。自分もいい加減元の世界への未練を断つときだ。ちょうど良かった。
(……もうアタシ、人じゃないんだなぁ)
自嘲して、着替えようと馬車の陰に移動しようとすると。不意に視線を感じた。振り返ると、
チャリン、と鎖の音がした。
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