第2話 死のう交渉、まだまだ続くでござる!

「はぁ!? “死のう交渉”ですって?」


その声は、図書室の静けさを一撃で切り裂いた。

教科書の横でウトウトしていた僕も、思わず顔を上げた。


そこに立っていたのは、制服の上に何故か陣羽織を羽織った、女子剣道部の黒羽 凛。その服装、校則違反じゃないの?

目元は涼しげなのに、放たれるオーラはなぜか時代劇。

どう見ても“時代錯誤”なのに、なぜか誰も否定できない圧を持っていた。


「“士”とは武士! 武士とは誇り! それを“死のう交渉”などと……貴殿、よもや命知らずではござらぬか!」


そう詰め寄られていたのは、当然、彩音。


「えっ……あっ、なんか、ごめん?」


「ごめんでは済まされぬ! 武士はネタではないのでござる! しかも“死のう交渉”とは何ぞや!」


「えっと……武士が命がけで話し合う制度、みたいな?」


「どこ情報でござるか!?」

「脳内……?」


凛が刀――の形をした定規を抜きかけたのを見て、僕は慌てて立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って! お互いの立場には立場の良さがあるし! 歴史ってのは多面的に……あの……」


言いながら、なぜか死のう交渉の仲裁をしていることに気づいた。


なんだこれ。



その日から、彩音 vs 凛の奇妙な抗争が始まった。


廊下ですれ違えば、


「“士”が一番って考え方がそもそも固定観念だと思うんだよね〜」


「ならば“死のう交渉”が正しいという証拠を持参してから申されよ!」


文化祭実行委員会の掲示板には、いつの間にか勝手に“士農工商の再評価をめぐる討論会”のポスターが貼られ、

図書室の蔵書購入要請リストには『江戸の身分制度再考』『武士の精神文化』『交渉学入門』などのタイトルが並んだ。


そして、当の僕は――


両方に相談される係になっていた。


「ねぇ、武士って実際は農民より下だったって説もあるんだよ?」(彩音)


「この論文をご覧あれ! “武士”とは精神的上位であることが重要とされ……」(凛)


「うん……あの、僕、現代人だから……」

「「黙れ」」(両者)


現代人、話す隙もなし。



そんなある日、三人で登校中、ふいに彩音が口を開いた。


「でもさ、“死のう交渉”って、けっこう良い意味じゃない?」


「……どのように?」


「命がけで話し合うって、ちゃんと向き合うってことでしょ? それって、恋とかにも必要じゃん?」


僕と凛は同時に沈黙した。


「え? どうしたの、二人とも急に静かになって」


「……貴殿、またしても戦場を開こうとしておるな?」(凛)


「ま、まぁ、話し合い、大事だよね……うん……」


鼓動が、なんだかやけにうるさかった。



放課後、図書室で借りた本を返しながら、凛がポツリと言った。


「拙者、昔から笑われるのでござる。“語尾がござる”とか、“真面目すぎ”とか。だが、武士の誇りは譲れぬ」


「うん。笑わないよ。……むしろ、そういうの、かっこいいと思う」


凛は少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。


「……ならば、“死のう交渉”にも少し寛容になるべきでござろうか?」


「いや、そこは戦ってもいいと思う」


「やはりな!」


図書室の奥でまた笑い声が響いた。


こんな日々が、まだしばらく続きそうだ。


“死のう交渉”は、まだ終わらない。


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