【第27話】ざっくりヒロインの深層『麻友菜編』

 朝の黄昏学園、校舎裏のベンチにて。

「よし、ざっくりいこっか!」

 それは、麻友菜の口癖だった。今日もそれは冴えわたり、朝から“ざっくり”とした行動力を発揮していた。

 彼女はパンを両手に持ち、左手には焼きそばパン、右手にはクリームパン。何を選ぶでもなく、どちらも“まあ食べたらいいじゃん”的な精神で、交互にかじっていた。

 その姿を少し離れた場所から見ていた俊輔は、あきれ混じりの笑みを浮かべた。

「……あいつ、今日も“選択の美学”ゼロかよ……」

「“同時選択型ヒロイン”って斬新だよね」

 隣でつぶやいたのは功陽だった。彼はなぜか手元で麻友菜の“ざっくり行動記録”をまとめていた。

「今日の朝:登校中に鳩の群れに遭遇 →“道ふさがれてるし、こっち行こっか!”と即ルート変更 → 近道が奇跡的に存在していた →“運命力高い”と自画自賛 → 結果、なぜか早く着いた」

「どこまで観察してんだよ……」

 だが、そんな“ざっくりヒロイン”にも、今日という日は少し特別だった。

 昼休み。麻友菜は、ひとり校庭の隅にあるベンチでスケッチブックを広げていた。

 彼女の異能共感拡散は、周囲の人々が持つ“ポジティブな感情”を引き出す力だ。それはまるで“空気の調律師”のように、自然と人を笑顔にする。

 けれどそれは裏を返せば、“他人が楽しくないと、自分もつらい”という、意外と繊細な異能でもあった。

「……最近さ、ちょっとだけ思うんだよね……」

 誰に言うでもなく、麻友菜はつぶやいた。

「私って……ほんとは何が好きなんだっけ?」

 彼女の“ざっくり”は、実は“どっちでもいい”のではなく、“どっちでも他人が笑ってくれるならいい”という生き方の現れだった。

 過去。小さいころ、家族が喧嘩していた。何が原因かは分からなかったけれど、幼い麻友菜は、泣きそうな母に向かって、むちゃくちゃな変顔をしてみせた。

 すると母は、ぷっと吹き出して笑った。

 ――それが最初の“ざっくり”だった。

「誰かが笑えば、自分のことなんてどうでもいい」

 そう信じて過ごしてきた。だから、恋愛相談も、友情のすれ違いも、ざっくりと中和してきた。でも。

(……本当に私のこと、分かってくれてる人って、いるのかな)

 そんな思いを抱えたまま、彼女はその日の放課後、図書室に足を運んだ。

 珍しく“静かな時間”が欲しくなったのだ。

 ところが。

「お、麻友菜!」

 とんでもなく騒がしい声が、棚の隙間から響いた。貴宗である。

「図書室で叫ぶなっていつも言ってるだろーが!」と砂耶が毒舌全開で追いかけ、碧季は棚の影から「“音の乱れは心の乱れ”です」と冷静な指摘。功陽は「この騒がしさ……カオス演出素材にできそう」と録音を始めていた。

 麻友菜は小さく笑った。でも、その笑顔は少しだけ曇っていた。

(……私も、こうやって皆を笑顔にできてる。……けど、たまには、ちゃんと“自分”ってやつを知ってもらっても、いいよね?)

 その夜。学園の中庭に、ポツンと麻友菜がいた。

 星がちらちらと降るような夜空だった。

 そこへ、ひとりの影が近づく。

「……ここにいると思った」

 俊輔だった。

「どうして分かったの?」

「お前が“なんでもざっくりで済ませる日”って、だいたい“本当は悩んでる日”だろ。言ってたじゃん。“ざっくりは、繊細の防御膜”って」

「それ、覚えてたんだ……」

「そりゃな。俺、“人のルール破るのは得意だけど、仲間の言葉は忘れないタイプ”なんで」

 麻友菜は黙ったまま、ぽつりとつぶやいた。

「私ね、ホントは……迷ってるの。“人を笑顔にする”って、私の願いだと思ってたけど……気づいたら、“自分が求められるための武器”になってたかもって」

 俊輔は、黙って隣に座った。

「“役に立てるから必要とされる”って思っちゃうとさ、もうそれ以外の自分じゃ、誰も見てくれない気がするんだよね」

「……なあ、麻友菜」

「ん?」

「それ、俺にも少し分かるわ。俺も“破天荒キャラ”じゃなきゃ、誰にも構ってもらえない気がしてたし」

 麻友菜は驚いた顔をした。

「俊輔も、そんな風に思うんだ」

「人間、意外とみんな“自分の仮面”で悩んでるっぽいぞ。……でも、たまには外してもいいんだってさ。誰かがちゃんと見てくれてるならな」

 麻友菜は、ふっと目を伏せた。

「じゃあ、ちょっとだけ……ざっくりじゃなく、言っていい?」

「おう」

「私、今ちょっと、寂しかった。……誰かに“自分らしさ”って何? って聞いてほしかった」

 俊輔は、夜空を見上げながらつぶやいた。

「麻友菜はさ、ざっくりしてるけど、ちゃんと“誰かの痛み”だけはざっくり流さないじゃん。それって、十分“お前らしさ”だろ」

 麻友菜の目が、ほんのり潤んだ。

「……それ、すっごく嬉しいんだけどさ。やっぱざっくり言ってもらっていい?」

「お前って、そういうとこだぞ」

 ふたりは顔を見合わせて、大笑いした。

 夜の学園に響く、自然な笑い声。

 それは、“仮面のない麻友菜”が、ようやく自分を許せた瞬間だった。




 次の日の朝、麻友菜は珍しく、教室に一番乗りしていた。

「おはよう、私!」

 そう言って、窓から差し込む朝日に向かってにっこり笑う。誰もいない教室でのひとりごとは、普段の彼女なら絶対にしない行動だった。けれど今は、少しだけ“ざっくり”を置いて、自分の気持ちに正直になってみたくなったのだ。

 椅子に座り、机に肘をついてぽーっとしていると、背後のドアが開いた。

「おはよう……って、うわ、麻友菜!? どうしたの、めっちゃ早くない!?」

「おはよー、俊輔!」

 俊輔は面食らった顔をしながらも、麻友菜の前の席に腰を下ろした。

「なんか雰囲気違うな。いつもの“突発・場当たり・勢い型ヒロイン”じゃない」

「ひどい分類だけど合ってる!」

「で、どうしたんだ?」

「ちょっとだけね、自分の“ざっくり”とちゃんと向き合ってみたくなったの」

「ほう。何かきっかけが?」

「昨日さ、思ったの。“誰かに求められてる自分”と“本当の自分”って、いつもイコールじゃないんだなって」

 俊輔はうなずいた。

「あるな。俺も、ルール破るのが好きって言ってるけど、実はけっこう不安だったりする。ルールに守られないって、意外と孤独なんだよ」

「うわ、それちょっと刺さる~」

 麻友菜は両手で顔を覆いながら笑った。

 でもその笑顔は、今までよりも少し深く、しっかりと地に足がついていた。

 その日の昼休み、教室ではいつものように仲間たちが集まっていた。

「はいはーい、ざっくりだけどお昼会議、始めますー!」

 麻友菜が高らかに宣言する。

 俊輔がノリよく返す。

「議題はなんだ? 弁当の中身を交換する権利争奪戦か?」

「違うの違うの。今日は“ざっくりヒロイン脱却宣言”をしてみようかなって!」

 功陽が驚いたように手を挙げた。

「それはつまり、“ざっくり”を“しっかり”に変えるってことかい!?」

「いやいや、それはしっかりしすぎてキャラ崩壊!」

 砂耶がクールに言い放つ。

「まあ、あんたが“しっかりしすぎる”とか言い出したら、この世のバランス崩れるわよ」

 貴宗はポテチを頬張りながら、にこにこしていた。

「でもさ、麻友菜って“ざっくり”だからこそ、俺たちがちょっと失敗しても許される空気つくってくれるじゃん?」

「そうそう。俺、昨日“牛乳ぶちまけ事件”起こしたけど、麻友菜が“拭いたら無かったこと!”って言ってくれて、マジで救われたもん」

「ざっくりには、癒しの魔力があるのよねぇ」と梢永がメモを取りながら言い、碧季は「あれは一種の“流動型肯定感”です」と難しい名前をつけていた。

 麻友菜は、仲間たちの言葉を聞きながら、ゆっくりと息を吸った。

 そして、立ち上がった。

「えー、では、ここで宣言いたします!」

 一瞬、みんなの視線が集まる。

「私はこれからも“ざっくり”します!」

「お、おう?」

「でもね! それは“適当”じゃない! 私のざっくりは、“みんなと笑い合うための余白”でできてるの!」

「名言きたー!!」

「“余白型ヒロイン”、新ジャンルだな」

 俊輔が笑いながら拍手すると、皆がそれに続いた。

「ありがとう、みんな!」

 麻友菜は大きく手を広げて言った。

「私は私なりに、みんなと楽しく生きてくよ! ざっくりでも、ちょっとだけ本気で!」

 教室に笑い声が広がる。その中に、ちゃんと“麻友菜自身”の声もあった。

 それは、他人の笑顔だけじゃなく、“自分の心”もちゃんと大事にした笑顔だった。

 放課後、校舎裏でふと立ち止まった麻友菜は、空に向かって一言つぶやいた。

「……やっぱ、ざっくり最高だわ」

 その横を風がふわりと吹き抜け、彼女の髪を揺らす。

 ざっくり、でもあったかくて、芯がある。

 そんな彼女の生き方は、今日も誰かを救っていた。

(第27話『ざっくりヒロインの深層』完)

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