第8話 封じの由来

 焚き火の明かりが揺れるなか、哲也は手渡された手帳を開いた。まだ、字を読める程度に視力は残っている。

 そこには、まず語部の家に代々受け継がれてきたという、写し書きの「封じの記録」が記載されていた。

 「これ……葛ノ原が“始まりの地”と呼ばれる理由、そこにすべて記されてるんです」

 沙耶は、呟いた。文字のかすれた墨書が、慎ましげにこう語っていた。

 > 《昔、くずのはらにて、川の怒りを鎮めるため、人の首を水神にささげし。

 > されど、供物の呪い強く、夜な夜な声にて、語らせし。

 > ゆえに、語りて笑わし、菓子として供えしが、封じの地となしぬ》

 「やっぱり……饅頭様って、“水神の怒り”そのものなんだな」

 哲也のつぶやきに、沙耶は静かにうなずく。

 「もともとは“饅首(まんずくび)”と呼ばれていたんです。実際の人の首を供える風習だったけれど、あまりに忌まれたので、菓子の形に変えた。それが“饅頭”の原型。でも、形だけ変えても、祟りの本質は消えてなかった」

 饅頭様は、ただの怪異ではない。人間が恐れと便宜のために生贄の儀式を“語り”によって誤魔化し、封じ込めようとした結果、生まれてしまったもの——。

 「饅頭が郷土名物として、広がっていくにつれて、呪いの依代も日本中に広がっていきました。お饅頭が美味しかったからなのか、水上様、饅頭様がそれを望んだからなのか知る由はないけれど。」

 沙耶は少し息をふっと吐いた。

 「村が壊滅したとき、私の祖母だけが生き残りました。その時、社も本殿ごと流されたんです。それ以来、ただ語ることによってのみ封印を延命してきた。でも……祖母や私だけの語りだけでは、封印を持たせることはできませんでした。」

 

* * *

 

 さらに別のページに、哲也はある記述を見つけた。

 > 《昭和四十八年、饅頭様うごめき、外の語り手 柳翁にこれを託す。

 > されど、語りの途中にて、恐れを呑まれ封印ならず。饅頭、深き水底に眠りつづけり。》

 「じいちゃん……やっぱり来てたんだ、ここに」

 沙耶はうなずいた。

 「祖母の語りだけでは、もう封印はもたなかった。だから、語りのプロであるおじい様にお願いしたの。」

 「柳翁さんの語りは、確かに封印の型をなぞってました。でも、恐れが勝ってしまった。“笑わせる”まで至らなかった。そして、また、あの時も・・・」

 哲也は拳をぎゅっと握った。

 「つまり、封印は“半分だけ”閉じられたまま……だから、今、俺たちの前にまた現れたってことか。」

 「そうです。残された語部の血、そして柳翁の末裔——それが、“最後の語り”を許される唯一の組み合わせ」

 「そして、先輩は技術だけでなく、語ることの怖さを身をもって知っています。だから。」


* * *

 

 風が、山の奥から吹き抜けた。

 その音はまるで、水の底から誰かが嗤っているかのようだった。

 「……私の聴覚も、もう限界です。たぶん、数日中に言葉も出なくなる。だから、今のうちに“封じの語り”を全部、先輩に託したい」

 哲也は、火の向こうにある祠の黒い口を見つめた。

 あそこに座り、笑わせなければならない。

 “饅頭こわい”で——本当に、怖がらせて、笑わせなければならない。

 「俺が、やるしかない。」

 その言葉は、決意にも諦めにも似たものだった。


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