チャプター20:君が望んだもの(6)

 言いたいことだけ言って一方的に電話を切ってしまった藍音の母。

 紫宿は頭の整理がつかず、呆然としたまま受話器を握りしめて立ち尽くしていた。

 その彼の肩をぽんと叩いて笑いながら藍音が言う。


「お母さん、若いでしょ。たまに姉妹と間違えられるのよ」


 テンションだけなら藍音をはるかに上回るだろう。


「でもあれで能力はものすごいのよ、分野によってはお父さんを裏で操っているくらい」


 紫宿にとって、それはどうでもいい。

 何より、藍音が自分を怒っているのかどうかだ。


「……藍音」

「うん?」

「おまえ、どうしてうちでバイトをするなんて言い出したんだ?」

「変?」

「ああ。だっておまえ、俺のこと嫌いじゃ?」

「……え?」

「“この……悪魔っ!”って」

「ああ、あれね」


 この台詞は誰がどう聞いても藍音が紫宿を嫌った、もしくは憎んだとしか思えない。

 だったら顔も見たくないことだろう。

 なのにもかかわらず、彼女はわざわざ自分から助手のバイトをすると言い出したという。

 そんな常識と正反対の行動を取ってみせた藍音の心情が紫宿には理解できないのだ。

 すると藍音は少々照れながら答える。


「ごめんね、酷いこと言って。あれは私の早とちりちゃんだったわ」

「……意味が分からん」

「まあまあ、なんでもいいじゃない~。とにかく藍音ちゃんは紫宿を嫌ってなんかいないし、アルバイトは藍音ちゃんのお母さんにも許可もらったわけだしぃ~」

「まあ、そうだが」


 ニコニコ顔の泉、これはこれからも美味しい料理にありつけることを期待しているのかもしれない。

 おそらく、自分が料理の練習をしようなどということは頭の片隅にも無いのだろう。


「ねえ紫宿、ところでさ」

「ん、なんだ?」


 唐突に切り出した藍音。


「……あの人に、プレゼント渡したの?」

「いや、今日の夕方のつもりだ。さすがにすぐは面会の許可が下りなくてな、やっとだ」

「そっか」


 意外にも自分も付いて行きたいとは言わなかった藍音、それはちゃんとプレゼントが何かを知っていたからだ。

 その事を紫宿はなんとなく感じ取っていたのか、どうして知っていたか尋ねはしない。


「それじゃあ私たちはリビングでボーっとしてるわね~」

「あのな……」

「あはは。そうね、客間とリビング以外がちょっと汚れてたから、掃除でもしてるわ」

「ああ、頼むな。来客と電話の対応も」


 夕方になり、紫宿は出掛ける支度をした。

 今までなら泉一人に留守番を任せていたから出掛けるのは不安で仕方が無かったが、藍音はその辺りがしっかりしているようなので安心した紫宿。

 少しだけ賑やかになった我が家に、心なしか足が軽かった。


 ◇


「よ、おっさん。調子はどうだ?」

「健康なことこの上ないよ。まあ、寂しくはあるが」


 健康ということは嘘だろう、少々やつれた様な暁彦の顔。

 刑務所で彼と面会している紫宿。

 暁彦の寂しそうな表情を見て、溜め息一つ。


「おっさん、心配事なんて何一つ無いんだぜ?」

「どうして?」

「藍音がな、親父さんに掛け合ってあのビルの賃貸料を下げてもらったんだと」

「え……?」

「それだけじゃない。後はおっさんのサイン一つで会社は月ノ宮グループの傘下になれる」

「な、なんだって!?あの月ノ宮グループの!?」


 目を見開いて驚く暁彦。

 だがそれも仕方ないだろう、社長である自分が逮捕されたのだ、ただでさえ経営が苦しかった会社がそれで潰れない訳が無いのに、そうならなかったどころか天下の月ノ宮グループの傘下になれるというのだから。


「ど、どうなって……?」

「あんたらのプロジェクトに予算不足でお流れになってるやつがあったんだってな、それが実行できれば相当のものになるってことで月ノ宮の社長の目に留まったんだ。さらに社員は皆それなりの年齢とはいえ能力が高く、そこも気に入ったんだそうだ」

「……」

「まあ、かなり親馬鹿らしくてな。始めは藍音がそうお願いしたからだったらしいんだが、実際に会社のことを調べてみたらぜひ傘下に加えたくなったんだと」

「なんと……いうこと、だ……」


 涙をこぼした暁彦。

 自分の愛する妻を殺害してまで守ろうとした会社と社員。

 自分が自首して、彼等がどうなったのかが気がかりだった。

 どう考えても路頭に迷っている……そうとしか結論出来ず、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。


 しかし、彼等は救われていた。しかも予想も付かないほど最高の形で。

 何もかも、最悪の事態ではなかったのだ。

 少なくとも――取り返しの付かないことをした後悔は、どうしようもなくとも。


「……おっさん、感激して泣いてるトコ悪いが」

「?」

「もっと泣いてもらうことになると思う」

「何?」


 彼の言葉の意味が判らずに首をかしげた暁彦と、少々言い辛いのかポリポリと頬を掻いた紫宿。とはいえ、彼が動かなくては何も始まらないのでポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。


「泉から伝言があったと思うが、とっておきのプレゼントがある」

「ああ、それは聞いたが……」


 だがそんなことを言われても、今の自分がこれ以上に喜べるようなプレゼントなど思い当たらない。

 いや、たった一つだけあるにはあるのだが、あまりに非現実的な夢のようで、それはまさに神の奇跡だろう。


 ――ところが、紫宿のプレゼントとはまさにそれであった。


「ほら、予定ではそろそろだ」

「これは、スマートフォン?」


 なんてことはない何処にでもある普通のスマートフォン、それが紫宿の差し出したものだった。

 許可をもらってそれを暁彦に渡すと、ほとんど同時にそのスマートフォンが鳴り出した。


「早く出なって」

「あ、ああ……」


 ディスプレイには相手の名前が記されていない。

 一体誰からの電話だろう……しかも紫宿は自分に出ろと言ってきた。

 困惑気味ではあったが、何故か手は自然にボタンを押し、電話を耳に当てる。

 聴こえた声に涙がとどまる事を知らぬと言わんばかりに――ひたすらに、零れ落ちた。

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