チャプター18:君が望んだもの(4)

「はい、お茶」

「ああ、サンキュ」


 右手は書類にペンを走らせ、左手で手元に置かれた湯飲みを手にしてお茶をすする。


「ん? なんかいつもより美味しいな」

「そう? 良かった」


 そのまま顔を上げることなく作業を続ける紫宿。

 時折考えて顔をしかめたりしながらではあるが、滞りなく。


「ね~、お湯沸いたよ~」

「あ、はーい!」


 台所へと駆ける足音。

 何やらそれはとても久しぶりに耳にする音だ。


「う~ん……俺、数学は得意だけど、こういう単純計算は嫌いなんだよなぁ……」


 ひたすら数字の並んだ足し算や掛け算の繰り返し。

 もちろん電卓を使ってやっているのだが、あまりに数字が細かすぎてどこまで計算したか分からなくなったり本当に合っているのか不安になったり、その気持ちはお分かりだろう。

 しかも先ほどからそればかりやっているものだから、さすがの紫宿も集中力が切れてくるというものだ。


「そこ、一つ飛ばしたよ」

「え……あ、ホントだ。ありがとう」

「どういたしまして」


 後ろから覗き込むように声で教えると共に指を差して示された場所は、確かに一つ飛ばしてしまっていた。

 これに気付かないままだったら、後でかなりの手間になっていただろう。


「泉、おまえ実は事務仕事向いてるんじゃないか?」

「え~? 何か言った~?」


 何故か遠くから聞こえた気がした泉の声。


「すぐに残りのを持ってくから待っててね~」

「?」


 そこで気付く。

 まずは、いつの間にか目の前に料理が並べられている。

 しかもそれはインスタントラーメンなどではなく、とても美味しそうな家庭料理の数々。

 鼻をかすめる匂いも文句なしで、自然とお腹が鳴る。


「おぉ……」


 これこそ最初に紫宿が泉に期待していたものだった、いやそれ以上か。

 だがしかし、泉は家庭科の成績が悪いと言い、さらにインスタントラーメンを作ると言っていたはずだ。

 それに、たった今の彼女の返事は遠くから聞こえた気がした。


 そこで考える。

 先ほど台所へ駆ける足音が聞こえなかったか?

 泉は幽霊だ、足音など聞こえるはずが無い。

 それに、お茶の味まで泉がいつも淹れてくれるものと違った。

 何より……泉が台所にいるとしたら、後ろからミスを指摘してくれたのは誰なのだろう?


 勢いよく後ろを振り向いた紫宿。目を見開いて驚く。


「あ、やっと気付いた?」

「な、なな……」


 言葉が出ない紫宿、それほど驚いたのだ。

 そして、やっとの思いで彼女の名前を口にした。


「あ、藍音!?」

「やっほー♪」


 そう、そこにいたのは月ノ宮藍音その人だった。


「紫宿、すごい集中力ね。私がいることに全然気が付かないんだもん」

「え……ぇあ、おぉ?」

「あはは! それ、何語?」


 紫宿の口から漏れるのは解読不能な言葉にならない言葉。

 それだけさすがの彼でも現状が把握出来ないで混乱しているということだ。

 だが仕方無い、普通なら呼び鈴を押すだろう。

 いくら書類に集中していたとはいえ、呼び鈴には即座に反応する紫宿だ。

 しかしその音の欠片すら無かったものだから。


「ふふふ、びっくりしたぁ~?」


 台所から、泉が両手に料理の盛られた皿を持ってふよふよと向かってくる。


「これで全部だね、美味しそう~♪」

「泉さん、食べられるんですか?」

「う~~~ん……挑戦してみるわね~」


 確かにお供え物をするなどの習慣はあるのだが、果たして幽霊が食べ物を口にすることが出来るのかどうかは誰も知らないだろう、きっと泉が世界初挑戦だ。

 それほど目の前に並べられた料理は魅力的で食欲をそそるものだった。


「こ、これ……一体どうしたんだ?」

「私が作ったのよ」

「藍音が!? 嘘だろ?」

「どういう意味かしら?」


 紫宿の言葉に彼をギロッと睨みつける藍音。

 しかし藍音はお金持ちのお嬢様であろう上に、活発な性格から料理を始めとした家事は苦手なのではないかと思ってしまっても無理は無い。


「台所でラーメンのためにお湯を沸かそうとしたところで、窓から藍音ちゃんの姿が見えたのよ~」


 泉がそう言う。

 つまり、それで藍音が呼び鈴を鳴らすより先に玄関の戸を泉が開けて向かい入れたということだ。


「それで泉さんがラーメンを作るなんて言うから、だったら私がちゃんとしたものを作りますって言ったの」

「へ……材料は?」

「もちろん買いに行ったわよ」

「……いつの間に」


 買い物に行く時間も入れてそれなりの時間が経過していたにもかかわらず、そのことに全く気付いていなかった紫宿。

 時計に目をやると、すでに14時を回っていた。


「げ、もうこんな時間か……腹がうるさいわけだ」

「あはは。遠慮しないで、どうぞ」

「あ、ああ……いただきます」


 リビングのテーブルを三人で囲んで座り、手を合わせて食べ始める。

 どうやら藍音も昼はまだだったらしい。


「……」

「どう?」

「お世辞抜きで美味い」

「ふふ、良かった」


 未だ見た目は良くても味はアレではないのかと少々警戒していた紫宿ではあったが、一口料理を口に運ぶとそこから零れたのは感嘆の言葉だった。


「料理だけはね、自信あるのよ。裁縫や洗濯は苦手だけど」


 紫宿の想像は完全に的外れではなかったようで、やはり藍音は家庭科全般が得意という訳ではないらしい。

 だが彼女の話によると、料理だけは母からしっかりと教えられていたとのこと。

 ちなみに藍音の母親は健在だそうだ。


「おぉしいぃ~~~♪」

「幽霊って、食べ物を食べられるんだ……」

「俺も初めて知った……」


 ガツガツと次から次へ食べ続けている泉は誰がどう見ても幽霊には見えない、なんとも幸せそうな表情だ。

 そしてなんだかんだで紫宿も久しぶりの手料理の味に、何かこみ上げるものがあった――それは当然、悟られないようにしていたのだけど。

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